第三百五十四話 動き出す歯車
「来てくれたんですね、桂太先輩?」
葵ちゃんは、指定した海岸で静かにおれを待っていた。月が綺麗な夏の夜の海岸。とてもいいムードだ。いつもなら、黒服の恐怖とか言っていろいろと煽るけど、さすがに今日はそんなことを考える余裕はない。
だって、葵ちゃんはとても"真剣"だったから……
なら、俺も茶化さずに"真面目"に彼女にこたえなくちゃいけない。
「ああ、来るよ」
「ありがとうございます」
「隣座ってもいい?」
「どうぞ」
「明日で、合宿も終わりだね」
「詰将棋解きすぎて、頭痛くなってましたよね?」
「お恥ずかしながら」
そう言って、俺たちは笑いあった。この時間が永遠に続いてくれたらいいのに……俺は選択の恐怖に怯えながら、臆病にもそう思った。
「あの時、あの部屋に。かな恵ちゃん、いましたよね?」
「気づいてたんだ」
「はい、だから、大人の対応したんですよ。誉めてくださいね」
「ありがとう。どうしてわかったの?」
「部屋から二人分の息遣いが聞こえましたからね」
「ああ、そっか」
うかつだった。かな恵の寝息は、小さかったけど良く聞けば二人いることくらい気がついちゃうんだな」
「桂太先輩は、嘘が苦手ですもんね」
「ああ、苦手だ」
「たぶん、かな恵ちゃんから、『私って、兄さんのなに?』くらいは聞かれてそうですね」
「葵ちゃんはエスパー?」
「合宿後半のふたりのちぐはぐ感を見てれば分かりますよ」
「すごいな~葵ちゃんは……」
「それくらい、私はふたりのことをちゃんと見ているんですよ?」
葵ちゃんは、楽しい時、本当にいたずらっ子のような笑顔になる。
「ごめんなさい。桂太先輩。本当は大会の後まで、我慢するつもりでした。でも、無理でした。我慢できなくなっちゃいました。だって、普通ですよね。好きなひとが、自分のことをどう思っているのか知りたい。この気持ちに嘘をつきたくない。だから、教えてください。あの時の告白の答えを……」
「葵ちゃん」
彼女は本当に力強かった。
「私は先輩が好きです。将棋で、見たこともない世界に連れていってくれる先輩も好きです。でも、一緒に普通のことをして、普通に楽しめるところが一番好きなんです。だから、ずっと先輩といっしょにいたいんです。私と、付き合ってください」




