第三十五話 極限の速攻
おれは、ベンチに戻ると、高柳先生が待っていた。
「お疲れ様。キミと源くんが、決勝進出だね。おめでとう。決勝戦は1時間後だ、がんばって」
「はい、あ、あの文人は?」
「文人くんは、しばらく頭を冷やしたいと言って、外の空気を吸いにいってるよ。しょうがないね。あんな負け方をしてしまっては……」
そう、先生がため息をついた。
「あ、あの、棋譜とかありませんか?」
「本当に見る? 決勝に悪影響じゃないかな。どうしても見たいなら、ぼくのタブレットに棋譜をいれておいたよ」
「見せてください」
おれは、タブレットを貸してもらい、棋譜を再生する。
終局、39手……。かな恵さんの圧勝劇だった。文人は、なすすべもなく彼女に敗れたことになる。
「いったい、どうして?」
たしかに、かな恵さんは強い。2回戦の結果でそれはわかっていた。でも、少なくともふたりの実力差はそこまであるはずがない。文人だって、相当な実力者だ。県ベスト16の萩生さんにも勝利して、準決勝まできているのだ。
「やられたよ。まさか、彼女がここまで定跡に詳しいなんてね」
そう言って、先生は初手から局面を動かす。
「早繰り銀……」
先手のかな恵さんが繰り出したのは、早繰り銀戦法だった。
ただし、角換わりをおこなっていなかったが……。
「先生、なんですか。この戦法は……。早繰り銀だけど、角交換をしていないし……」
「これは「極限早繰り銀」という戦法だよ。コンピュータ将棋やプロの間で話題になっている最新の戦法。定跡を知らなければ、39手の短手数で敗北を迎えることになる」
「39手……」
まさに、対局の手数と一致した。
「おそろしい戦法だよ。飛車と角を失っても勝ってしまうのだから……」
盤面は、文人がかな恵さんの大駒2枚を獲得していた。
しかし、この状況ですでに文人は敗北しているのだ。駒の得が実際の勝利にはつながらない。
文人は40手目で、何分も考えて、結局指さずに投了した。
屈辱的な負け方だった。そして、かな恵さんの実力を如実にしめしていた。
「あれは、怪物……」
「違うよ、桂太くん」
おれが、そう言おうとすると、声は途中でかき消された。
「かな恵ちゃんは、キミと同じ人間だよ」
声の主は、米山部長だった。
「せっかく、模試をちょっぱやで終わらせてきたのに、そんなしけた顔しているんじゃないの。辛気くさいな~」
「部長っ」
「わたしが応援してあげる。だから、必ず勝ってきなさい」
「は、は……」
おれがそれを言い終わる前に……。
「それはそうと、葵ちゃんの応援しよう!」
部長は次の戦いに切り替わっていた……、ハハ。
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用語解説
極限早繰り銀……
数年前に誕生した新戦法。本来なら、角交換をしてからおこなう早繰り銀を、角交換しないで敵陣に突撃させる速攻。とても激しい変化があり、なにも知らなければ39手で敗勢となってしまう。




