第三十四話 矢倉②
おれが、戦端を開いた。
上から相手の陣地を押しつぶすかどうかのせめぎ合いだ。相手の陣地を攻撃しつづけるが、おれの攻撃が少しだけ緩んだ。その一瞬のスキを羽田さんは見逃さなかった。
カウンターによる端攻めだ。
端攻めとは、敵の守備陣に向けて、歩と桂馬、香車の小駒を突入させる攻め方だ。ほとんどの防御陣に有効で、敵の囲いを崩壊させることができる反面、かなりの犠牲が発生するので、かなり戦力を減らしてしまう。まさに、「諸刃の剣」だ。
特に、攻撃的な棋風の羽田さんは、この攻め方を得意としていた。
敵の猛烈な特攻におれの矢倉はズタボロにされていく。一手でも対応を誤れば、そのまま投了へと続く攻防。制限時間が短い将棋では、攻めているほうが圧倒的に有利となる。守りの手順は、一手でもミスをすれば即敗北なのだから。時間との勝負の中で、おれは高揚感を感じる。
「このくらいの状況でなにへこたれているんだよ。部長との将棋では、これが日常茶飯事だろ。考えろ、考えろ、考えろ。絶対に守りきれる」
そう脳内で叫んで、おれは没入する。
ひとつの逃げ道が光を放つ。
おれは矢倉の放棄を決めた。王を全速で、矢倉の外へと逃げさせる。もはや、落ち武者のような状況だ。だが、絶望感はなかった。なぜなら、これがおれの長考のはてに見つけたひとつだけの冴えたやり方なのだから。
相手は、王を逃がさないように、角を先回りさせてそれを逃走経路を遮断しようとする。
しかし、相手も前がかりすぎていた。攻撃手段が切れたのだ。そこをついて、成った角によって飛車を討ち取る。そして、相手陣へと飛車を打ちこんだ、形成は、少しずつ混沌とした状況へと変わっていく。相手はなおも攻めようと香車を進軍させた……。
おれの持ち駒は、歩と香車が1枚ずつ。
相手は、金と桂馬が1枚、銀2枚、歩が4枚とかなり豊富だ。しかし、相手も詰みはまだない。
考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える、考える。
おれは、桂馬を動かした。
敵の金の下に。
「これは……」
羽田さんの顔が青ざめる。
「詰めろ、だね」
彼は、声をしぼりだした。
そう、詰めろだ。詰めろとは、なにもしなければ、詰んでしまう状況のことだ。この状況では、相手がなにもしなければ「▲4二飛車成△同銀▲同馬△2二玉▲3一銀△1二玉▲2二金」の7手詰めが成立している。
そして、おれの王は……。
「どう考えても詰まない」
いつも不敵な笑みを浮かべている羽田さんの顔から苦悩の表情になっていた。
豊富にある手駒でなにもできない。この状況は辛い。
「ありません」
苦悩のはてに絞りだした言葉を俺は聞いた。おれが決勝へのチケットを獲得した瞬間だった。
安心して、おれは別の準決勝に目を向ける。そこでは、文人が崩れ落ちていた……。
そして、おれの義妹が目を閉じながら、勝利の余韻にひたっていた。




