第三百三十八話 大人たちの夜
高柳side
仕事を終えて、シャワーを浴び、パソコン前の椅子に腰かけた。ネットの将棋ニュースやSNSサイトを軽く巡回する。やはり、昨日の対局のことで持ち切りだ。
ネットのニュースサイトでは見慣れた自分の名前が拡散されている。
<伝説のアマ名人高柳氏、10年ぶりに表舞台に登場。現役復帰か?>
<東京某所で、アマチュア最強決定戦勃発?伝説の男の復活!?>
<最強vs伝説!両者一歩も譲らず>
<”プロハンター”と呼ばれた男”高柳氏”とは何者か?>
<ブランクを感じない指しまわし。”精密機械”と指し分け>
<これが伝説のアマ名人の穴熊!>
「ずいぶん、好き勝手言ってくれてるな。これだから、ネットのあおり記事は怖いんだ」
俺は苦笑しながら、サイトを閉じた。たぶん、動画サイトでも昨日の棋譜が紹介されて拡散されているだろう。一躍ネットの有名人だ。なにぶん教師というお堅い職業上、あんまり目立ちたくなかったんだけどね。
大会にはでていないだけで、気晴らしのネット将棋はしていたから現役引退しているわけではないのだけど……本人以外はそうは思っていなかったようだ。
確かに気楽なネット将棋ばかりなので、真面目に指すことは少なかったけれど……
そして、あの”精密機械”とは実はネット世界で何度か対局したことがあった。本人は気がついているかどうかはわからないけど……プロを除いて本気で勝てるかどうかわからなかった唯一の相手だった。全盛期の自分で勝てるかどうか。
スマホが鳴った。山井だった。
「よう、高柳。現役復帰おめでとう」
「いや、引退してねぇから。もう、記事見たのかよ」
「ああ、酷い将棋だったな」
「好き勝手言ってくれるな、まったく」
大学の同期で、将棋のプロ棋士”山井九段”は、学生の時のようにざっくばらんな口調で語りかける。プロ随一の四間飛車党で、タイトル経験もあるビッグネームなのに……どうしてこうなった。
「相変わらず筋悪いよな。高柳の将棋はさ」
「そのひどい将棋に学生時代に苦しんでいた奴はどいつだったけな?」
「あれは、おまえの将棋が変態すぎるだけだし」
「お前はいつもそう言って負け惜しみする。プロの矜持はどこにいったんだよ」
「負けず嫌いじゃなくて、何がプロだよ。それにお前とは大学の同期として指している」
「まあ、そうじゃないとやってられねえよな」
「ああ」
「ところで、どういう心境の変化だよ?表舞台復帰は?」
「ああ、部活の教え子たちが全国大会に出場することになったから、その下見だよ」
「ああ、米山君と佐藤君だっけ?それはおめでとう。でも、気が早いんじゃないか?」
「いや、間違いなくみんなはあいつとぶつかることになるよ」
「教師ばかだな」
「今に見ていろ」
「ああ、そうする」
俺は、ウィスキーをコップに注ぐ。黄金色の液体がコップを満たした。
「それでどうだった?”精密機械”は?」
「手に迷いがない。本当に無感情で研究範囲はノータイムで指してくる。まさに将棋ソフトの申し子だな」
「だよな。俺も隣の対局でプロがぼこぼこにされるところをみたことあるし」
「なにより終盤も正確だ。序盤に作ったリードを活かしてそのまま押し切る将棋だな。俺とは正反対だ」
「”好位圧倒”。プロはあの子のことをそう言ってるよ」
「こういあっとう?」
知っていてあえてとぼけてみた。
「序盤の研究で、自分が有利な陣形・ポジションを確保してしまってあとは、勢いそのまま敵を圧倒することだ」
「うまいたとえだな」
「みんな恐れているよ。王龍との対局を見ても序盤は圧倒していたしな」
「たぶん、そこだな」
「ああ、つけいるとしたらそこしかない」
「「あいつは、人間であってコンピュータじゃない」」
俺たちは同じ結論に到達すると、笑い合って電話を切った。
ウィスキーの中で氷は踊っている。




