第三十三話 矢倉
振り駒の結果、おれが先手となった。
これは、ラッキーだ。絶対に決勝にいきたい。その思いを強くする。ここで、おれはエース戦法を採用する。「矢倉」だ。
羽田さんも居飛車党であり、おれが矢倉を狙えば、それに乗ってくるという確信はあった。
矢倉とは、お互いに王を「矢倉囲い」に入城させて、盤面全体で戦いをおこなう戦法だ。「将棋の純文学」とも言われており、将棋のだいご味がつまった戦法である。プロアマ問わずファンが多い。昭和のころはこの戦法ができなければ、名人にはなれないともいわれるほど信奉されていた。とあるプロが「矢倉は終わった」という風に発言し衝撃をうけたこともあるが、いまだにおれのエースは矢倉だった。
お互いに同意のうえで、矢倉を作っていく。
その間に急襲をかける定跡もあるがそちらは採用されなかった。この場合、本当にガチンコ勝負となる。実力によって、勝敗が分かれる正面からのぶつかり合いだ。
妖艶な笑顔で笑いながら、なめらかな腕で、矢倉をつくる羽田さんに少しだけ恐怖を感じる。中性的な表情はいったいなにを考えているのかわからない。
この戦法はプロが何年もかけて築き上げてきた定跡によって支えられている。一手一手に意味が込められているものだ。永世名人がこの矢倉を解明する本を出したが、変化が膨大すぎて数学の学術書のような難解な棋書が誕生したことでも有名である。さらに、その難解な本が何冊もでてもまだ全容は書ききれないらしい。
そして、矢倉にもたくさんの戦い方がある。
「脇システム」「森下システム」「雀刺し」などなど。
そして、おれが採用したのは「3七銀戦法」だ。
矢倉の、いや将棋の王道戦法だ。「これこそ、将棋だ」という人までもいる。昭和の中盤から平成の後期までの数十年間、コンピュータの発展までプロの世界では王道に君臨していた偉大なる戦法だ。この戦法の発展が、ひとつの将棋の歴史だったともいえる。
その歴史の重みをぶつけて、おれたちは戦っていくのだ。
お互いに古風な戦形となった。昔ながらの将棋だ。
おれは桂馬を動かす。敵の陣地への楔となる形で。敵はそれに対して、銀が上がり迎撃する。
その迎撃を確認したところで、今度は端の歩に手をかける。相手の角は、おれの銀の後ろにいる飛車に狙いを定めて、狙撃位置につき、お互いの陣形が完成した。
おれは覚悟を固めて、盤面全体を使った攻撃をおれは開始した。
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人物紹介
羽田……
高校三年生。居飛車党で、前回の県新人戦ベスト16。
中性的容姿で、常に笑みを絶やさない。
その穏やかな姿とは裏腹に、棋風はかなり攻撃的で、一度食いついたら離さない「マムシ」のような戦い方をする。
用語解説
矢倉……
居飛車の戦法。おたがいに矢倉囲いに固めてから、盤全体の攻撃に移行する。「相矢倉」ともいう。
ダイナミックな戦いとなるので、ファンが非常に多いが、近年はコンピュータによる新しい定跡が発見されており、苦しい戦いを強いられている。
3七銀戦法……
矢倉の中でも、最もオーソドックスな戦法。
何十年、何百年単位の歴史を持ち、非常に定跡の整備が進んでいる。




