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第三百十七話 ひかり

「部長が一気に決めに来たぞ」

 文人先輩が、悲鳴のような歓喜のような不思議な声をあげた。

 兄さんの守備陣を一撃で沈めようとする二方面からの攻撃。


 これをやられると舟囲いは弱い。

 もともと、守備力よりも、広さと攻撃力を主張する守りかたなので、二方面から攻撃されると、広さが消えてしまうのだ。


 王を上におびき寄せて、龍が下から猛追する。

 居飛車側の王は仕方なく、上に逃げなくちゃいけなくなる。

 しかし、上部には、四間飛車側のぶ厚い守備陣が待ち構えている。


 そして、兄さんの王は捕縛される。

 これがいつもの流れだ。


 私の横で葵ちゃんは、必死に口に手を添えて考えていた。葵ちゃんが、真剣になるとよくやる癖だ。

「▲5九歩 △8七金 ▲6九玉 △8八金 ▲6二と △7九金 ▲同 玉 △7五香 ▲6九玉。ううん、これだと…… なら、▲7七金 △同 金 ▲同 玉 △5一角▲6三と △5七歩 ▲6八金かな」

 葵ちゃんは、小声で棋譜を暗唱していく。

 次の一手を恐ろしい速さで、検討しているようだ。

 相変わらず深く正確な読みだ。本当にどうして、私は彼女に勝てたのだろう? はたから見ると自分の自信を無くすほどの、才能の片鱗を見せている。


「葵ちゃんは、どう思う?」

 冷静に検討できるほどの心の余裕がない私は、彼女に頼ってしまった。

「そうだね、私は桂太先輩が勝つと思う」

「えっ、だって、すごい攻撃を受けているじゃない。部長の猛攻から逃げられる?」

「まだ、完全に読み切れていないから、はっきりはわからないけど…… でも、桂太先輩なら、勝てる。私はそう信じているの」

「そっか」


 この子は本当に兄さんのことが好きなんだな。私は、兄さんをそこまで信用することができるのだろうか。ダメだ。葵ちゃんは、まっすぐすぎて、本当に私のすべてを奪ってしまうんじゃないかと不安になる。私だってこういう風に兄さんを信じたい。でも、不安で押しつぶされてしまいそうになる。


 だから、私は彼女ほど兄さんを信用できない。それが本当に嫌だ。自分はどうして大好きなひとをもっと信じてあげられないんだろう。


 悔しい、悔しい、悔しい。


 視界が少しずつぼやけていく。

 熱いものが少しずつ落ちていく。

 どうして、どうして、どうして……


 馬鹿な自分が憎かった。


 そんな私の手を、隣の彼女は優しく包み込んでくれた。

「大丈夫だよ、かな恵ちゃん。私が、ううん、()()()が大好きな彼が簡単に負けるわけ、ないよ。たとえ、相手が最強の大魔王だって、負けないよ」


 そんな彼女の優しさが素直に嬉しかった。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「でもさ、葵ちゃん……」

「なに?」

「いくらなんでも、部長のことを大魔王扱いは酷くない?」

「内緒にしておいて、ね」

 そう言って私たちは笑いあった。


 ※


 俺は必死に部長の猛攻を切り抜けようと頭を酷使する。

 糖分と時間が欲しい。もっと考えなくちゃいけなのに、頭はドンドン熱くなっていく。

 だけど、答えは見つけられた気がする。


 ふと客席の方をみた。

 かな恵と葵ちゃんが、祈るように俺の方を見ていた。

 文人は震えているようだ。先生は、いつものように不敵に笑っている。


 なぜか、先生の隣に山田さんが座っていて、先生とは別の意味の笑顔を浮かべているように見えた。


 そして、俺の前には、憧れの先輩がいる。

 今までずっと追いかけていた、憧れていた最強の存在。

 俺を1年間ずっと導いてくれた恩師的な存在。

 

 だから、俺はここで彼女を倒す。

 この次の一手で、この決勝はある意味終わる。

 ここで勝ってもまだ、一局残っているのに俺はそう確信していた。


 そして、文学者の言葉を借りて俺は断言する。


 ここから、そしてこの日から、俺たちの新たな時代が始まる。


 ※


挿絵(By みてみん)


 おかしい。

 どうして、捕まらないの?


 私は自信満々に桂太くんの王に迫ったはずだった。

 なのに、彼の王はヒラヒラと上部に、そして横にへと逃げていく。


 これはおかしい。

 それもほとんど時間を使わずに回避を続けていた。

 まさか……


 読み切っているの?

 この難局を……


 まさか、ここまで……

 いや、たぶん、現在進行形で強くなっているのだ。

 もう、大会が始まる前よりも、大駒1枚分以上、強くなってしまっているような気がする。

 

 もしかして、彼はもう私の届かないところまで行ってしまったのかもしれない。

 認めたくはない。

 でも、盤上では、私のその事実が残酷なまではっきりした形で証明されていた。

 将棋は残酷なゲームだ。

 盤上で証明されたことは、逃げも隠れもせずに、自分に降りかかるのだ。


 私は確信する。

 最低でも、桂太くんは、私たちの立ち位置以上のところまで到達している。

 山田くんに勝った時点でわかっていた。

 でも、認めたくはなかった。


 彼の憧れの存在としてのプライド。

 彼の師匠として、弟子に抜かれているなんて私自身が許してくれないから。


 でも、認めなくちゃいけない。

 だって、それが将棋だから……

 悔しいけど、教え子の成長を喜ばなくちゃいけないんだ。


 手が震える。

 声がでない。


 用意しておいた水をなんとか一口だけ飲むことができた。

 よし、これで言える。

 言いたくない。でも、言わなくちゃいけない。


「負けました」

 かすれた声で、私は桂太くんに投了を告げた。

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