第三百十六話 かわし将棋
桂太くんのゾーンに入った状態時の集中力はすさまじい。
ほんの数秒で正着を導き出して、結論にたどり着いてしまう。
まるで、コンピュータのように正確な受けが特徴となる。
私たちは、同じ受け将棋だけど、正確に言えばわずかに棋風は違うのだ。
私の受け将棋は、敵の攻撃を先読みして、受け潰す「受け将棋」だ。持ち駒を有効活用して、あいての手を少しずつ潰していく。自陣に駒を積極的に打ちつける。最強の駒の飛車だろうが、防御に活用する。
一方で、桂太くんは、厚みと広さを重要視する受け将棋。
私のように、敵の攻撃を駒で止める将棋じゃない。
ゆらゆらと水のように、王が逃げていく将棋だ。
陣地は中央付近の制空権を獲得しているので、王の上部への脱出を容易にさせる。
また、陣地は、守りこそ薄いものの、広さがあるので王が動きやすい。
動的な受け将棋である桂太くんと、静的な受け将棋である私はやはり微妙に将棋の大局観が違う。だからこそ、おもしろい。私と似ているところと違うところが明確にあるのが、彼の将棋の魅力だ。
なにもわからないひとは、彼を私の劣化版だとか偉そうに言うけど、それは絶対に間違っている。
私と彼は似ていても、本質は全然違う。
私が泥沼であるならば、彼は清流。
私はネチネチした受けが信条なのに対して、彼は水のように滑らかな受けをする。
それがとても素敵だ。私にないものを彼は持っている。だからこそ、わたしは彼の将棋が好きだし、研究パートナーに選んだ。
彼は、いつも私を知らない場所にまで運んでくれる。
だから、好きなんだ。
今日はどんなところへ連れていってくれるの?
そこでどんなことをしてくれるの?
また、盤上でデートしてくれる?
そんな馬鹿なことを考えながら、私は勝ちに行く。
一気に攻め潰す。彼をもうどこにも逃がしはしない。
※
部長の攻撃が一気に激しくなる。
たぶん、俺は逆転されている。
いつの間にか劣勢になっている。
部長の猛攻によって、俺は一手ミスすれば敗北する状況になっている。
横から迫りくる龍に対処するか。
上から押しつぶそうとする金を最初に対応するか。
俺が持っている選択肢は、どちらも受けきるものだった。
たぶん、それ以外に無理に攻めても部長の攻撃が間に合ってしまう。
▲5九歩 △8七金 ▲6九玉 △8八金 ▲6二と △7九金 ▲同 玉 △7五香 ▲6九玉
最初に頭に浮かんだのはこの底歩という選択肢。
これは、龍の横からの攻めを歩で遮断する。しかし、香車と金の連携攻撃によって、自玉を上から圧迫されるかなり危険性が高いハイリスクハイリターンな選択肢。
もうひとつは、上からの攻撃に対処する方法だ。
▲7七金 △同 金 ▲同 玉 △5一角 ▲6三と △5七歩 ▲6八金
俺の金と相手の攻撃に来ている金をぶつけてしまい上からの攻撃に対処して、逃走経路を確保する。
こちらのほうが、俺の好みだ。
持ち時間がドンドン無くなっていくのを感じる。
王が上に逃げた場合、どうなるか。最終的に捕まってしまうのか。
俺は残りの持ち時間をすべてこの局面に使うことを決意した。
体が少しずつ震えていく。
ゆらゆらと体を動かしながら、俺はできる限り深く読みこむ。
△4二歩 ▲7二と △同 金 ▲6六金 △9九金 ▲同 角 △7九龍 ▲7八銀 △8五香打 ▲7六金 △8七香成 ▲6六玉
光がみえたような気がした。
秒読みになったとしらせるブザーの音とともに、俺は次の一手を打ちこんだ。
▲7七金
上からの攻撃に対処する選択だ。




