第三百十五話 トップスピード
よし。俺の飛車は分厚い部長の陣地を完全に突破した。振り飛車のさばきを完全におさえこんで……
これで序盤の作戦勝ちは手に入った。しかし、部長のことだ。なにかしかけてくるにちがいない。
どうやってこの戦局を泥沼化させるか? それを考えているに違いない。
部長は、いつものように考えるポーズをとる。
手をぽきぽきとならすように、動かして思考のバランスをとるのだ。彼女の癖だ。
この仕草が出てきたということは、かなり悩んでいる証拠。そして、泥沼を作り出す前の準備だ。
どうする?
俺は盤面を注意ぶかくのぞきこんだ。
そして、部長の手が持ち駒へと伸びる。
軽やかに駒をつかんだ部長の手は、つかんだ駒を盤面にふわりとおく。その駒はまるで天使の羽のようにかろやかに盤上に出現して、世界を一変させた。
部長は、俺の「船囲い」の急所、陣地直上に「一本の香車」をしかけたのだ。
この狙いはひとつ。
「あなたの囲いを上から押しつぶす」という意思表示。
いつもなら、ここで受けの手順を用意するのが部長なのに……
ここまでアグレッシブな部長をみるのははじめてだった。それほど、この勝負にすべてをかけているということだろうか?
一転して、部長の猛攻がはじまる。今回も俺は受けきることとなった。
※
いくわよ。桂太くん。もしかしたら、これが最後の戦いになるかもしれないからね。
全部ここにおいてくるわ。
覚悟しなさい。
私は一気に攻勢を仕掛けた。
上からの連続攻撃。絶え間なく攻撃をしかけていき、今の劣勢を覆したい。
まさかダブル棒銀でくるとは思わなかった。完全におさえつけられて、飛車が使えなくなってしまった。飛車を使うことが遅くなってしまった。これは私の得意のさばきが完全におさえられてしまったことを意味する。だから、B面攻撃だ。私は玉頭戦をしかけて、紛れを作る。
私は駒台から香車をもって盤上にたたきつける。
船囲いの急所である上部からの攻撃。さあ、桂太くんはどうするの?
私は彼の顔を見つめる。頭をゆらゆらと動かし始めていた。ついに、到達したのね。思考の最高速度へと……
彼はたぶん、自分の癖に気がついていない。
彼は盤上に集中するといつもこの姿勢になる。
まったくどうしてこうもスロースターターなんだろうね。ホントに。
この息詰まる局面になって、やっと本気になってくれたんだね。
どうして、いつもあなたはタイミングが悪いの?
私が本気に好きになった時に、かわいいライバルを連れてくるし……
近づけたと思ったら、勝手に離れていっちゃうし。
こっちのアプローチは簡単に無視するし……
というか気がつかないし……
なのに、なのに……
どうして、私に希望を抱かせるのよ。
私に新しい世界を見せてくれるのよ。
どうして、その気もないのに、将棋しか見ていないのに、私にそんな素敵な笑顔を向けるのよ?
責任、取ってよね?
勝手な言い分だとわかっているけど、そうでも思わないとやっていけない。
だから、絶対……
絶対……
捕まえてやる。




