第三百十話 ラブレター
部長は、意を決して自分から攻めてくる。
俺がわざとみせたスキを的確についてくるのだ。
部長のメインウェポンである四間飛車は、待ちの戦法だ。
相手に攻めさせて、その勢いを利用してカウンターをしかけるように、なぎ倒す。
しかし、今回使う矢倉は、先手側が自分から動かなくてはいけない戦法だ。先手が後手に主導権を渡すようでは、矢倉を組む必要性はなくなってしまうから。
そして、その自分から積極的に主導権を握りに行く部長をみるのは、俺ははじめてだった。
相振り飛車の時は、積極的に攻めてくるタイプなのは、棋譜から知っていた。ただ、俺は相振り飛車を指さないから、部長のこういった一面を直接見るのは、はじめてだった。
それはとても、とてもかっこよかった。
とても魅力的だった。俺の知らない部長がそこにいた。自分から攻めることを楽しむ部長の満面の笑みがそこにあった。
彼女は、俺が今まで見た中で一番楽しそうに将棋を指していた……
部長は俺の一瞬のスキをついて、あいた空間に角を打ちこむ。
俺の銀と飛車をいじめて、陣形を乱す作戦だ。
そして、俺の攻撃陣を攻めた後の狙いは、逆サイドからの棒銀での逆襲。
40手から60手目までの連続攻撃をしかけられる。一歩でもミスをすれば、致命傷になる猛攻だった。
部長は、この攻撃にほとんど時間を使っていなかった。
要するに……
ここまではすべて部長の研究手順。
メインウェポンの四間飛車だけでなく、俺との対局用の矢倉にまでここまで深く情熱を注いでくれていたんだな。
かなりの時間と情熱をかけなくては、たどり着けないであろう場所に部長が俺のために来てくれた。
そう思うだけで、俺は胸が熱くなる。
たぶん、彼女は信じていてくれたんだ。
俺が決勝にくることを……
山田さんを倒して、玉座を狙えることを……
そして、最高の舞台で、俺と戦えることを……
部長側のトーナメントだって難敵ぞろいだったはずだ。
最強の初心者「葵」ちゃん、覚醒した「かな恵」、そして、古豪たち。
全員と戦ってきたわけじゃないけど、強豪たちを粉砕して部長はここまで来ている。
「ねえ、桂太くん?」
「なんですか。対局中ですよ」
「いいじゃない。ふたりだけの対局なんだから……」
「少しですよ」
「ありがとう。ねえ、、桂太くん? 私が、この対局で、どうして「矢倉」を選んだのかわかる?」
「前にしていた約束をおぼえていてくれたんですよね?」
「そうね、それもあるわ。でも、それだけじゃない」
「えっ?」
「私はね、矢倉を指すためにたくさん、たくさん努力した。並べた棋譜は、たぶん200くらい。読んだ本は7冊。隠れてやっていた対局は、たぶん1000局近く……」
「それを半年間で、ですか……」
「うん、結構頑張ったでしょう? でも、それは全然苦じゃなかったわ」
「どうしてですか?」
「桂太くんを近くに感じられたから…… 将棋の新しい光を私は、あなたから教わったのよ」
「俺は、特に何もしていませんよ」
「そう、あなたはいつも楽しそうに、そして、悔しそうに、将棋をしてきただけ。でも、その様子が私にとってはとてもまぶしく見えた。大きなものに見えた。大事なものに見えた。そして、とても、とても愛しく見えたの」
「……」
「だからね、この対局は、私からのお礼状。そして……」
部長は、はっきりとした口調で、盤面ではなく、俺の顔を見て言った。
「私の1年間の気持ちをこめた本気のラブレターだからね」
部長の攻撃は、一度止まり、俺がカウンターをしかける手番になった……




