第三百六話 決勝へと向かうふたり
「部長、ありがとうございました」
そう言って彼女は、対局場を離れていった。満場の拍手に包まれながら。
まったく、あんなに感動されてしまうとやりにくくてしょうがない。
まだ、こっちには決勝戦が残っているというのにな~
私は、勝ったんだ。
彼女がこの場を離れて、拍手が鳴りやむと私は自分が勝ったことを実感する。
やった……
やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった、やった。
顔は冷静でも、心の中では喜び狂った。今まで一番嬉しい決勝への切符だった。後輩を蹴落としてでも、欲しかったゴールドチケット。
ついにここまできた。やっと、私の自慢の弟子と真剣勝負ができる。
今までの練習対局が真剣ではなかったというわけではない。ただ、公式戦の重さが、私たちの集中力をあげてくれる。そして、すべてをわかっている彼とは、今までは違う次元、違う場所にいけるかもしれない。そう思うと、胸が狂ったみたいに高鳴っていく。
私は彼の将棋が好き。深く深く思考の中に潜っていく姿が好き。
誰にでも優しい彼が好き。
将棋にひたむきに頑張る彼が好き。
私は桂太くんが大好き。
大好きな桂太くんを間近で見ることができるチャンスを私は手にいれたのだ。
そして、私は彼に勝つ。
これが私の目指す筋書きだ。
そして、隠し玉は幸運にもまだ使っていなかった。これを最高の場所で披露できるのだ。
勝算はとても高い。
「待っていなさい。桂太くん。最高の泥沼を用意しておいてあげるわ」
私はここにいない彼にそう告げた。
「そして、私は勝つ」
脳に糖分を補給するために私は一口チョコを口に含んだ。
ほろ苦い甘さが、私をよみがえらせる。
※
「じゃあ、行ってくるわ」
「おう、がんばれよ」
「桂太センパイ、応援していますからね」
そう言って、文人と葵ちゃんは俺を応援してくれた。
俺は、深呼吸してから、廊下を歩く。
レモンキャンディを食べて、糖分補給をする。
酸味と甘みが体全体を生き返らせてくれる。
次の3本勝負が最後の戦いだ。
ここで終わってしまってもいい。だから、部長相手に全力で勝負を挑みたい。
最高とは言えないけど、いけるはずだ。俺は部長に勝つ。そして……
「兄さん?」
対局場の前には、かな恵が立っていた。
「おつかれさま。かな恵」
「ありがとうございます。兄さん」
「残念だったな」
「はい、兄さんと対局したかったです。でも、部長は強かったです」
「だよな。俺も毎回、コテンパンになっているし」
「ははは」
「でも、今日は負けるわけにはいかない」
「決勝、ですもんね」
「それもあるけど……」
「じゃあ、師への恩返しですか?」
プロの将棋界では、師匠に公式戦で勝つことを恩返しと呼んでいる。
俺たちはアマだけど、部長と俺は師匠と弟子の関係だ。
「それもある、でも、一番は、かな恵のためだよ」
「えっ?!」
「お兄ちゃんが、妹の仇をとってきてやるから。応援、よろしくな」
「ありがとうございます。大好きです、兄さん」
「ああ、勝ってくるよ」
そして、俺は扉を開く。
窓から夕日が差しこむその場所には、ひとり女帝が玉座を守っていた。
「やっと来たわね。桂太くん」
「はい、お待たせしました。部長」
「じゃあ、はじめましょうか?」
「はい」




