第三百三話 それぞれの中盤
深呼吸して、中盤入り口の手順を確認する。
部長は私の作戦にのっかってきた。この作戦は、桂馬が囮だ。
桂馬が敵陣の注意をひいているうちに、私の飛車が敵陣に突入する作戦だ。
私は、桂馬を犠牲にしつつも敵陣に突入した飛車を使って、速攻を仕掛ける。敵の陣形が整えなおす時間を与えずに一気に攻め潰さなくてはいけない。もし、それができなかったら、序盤で駒損している私の負けが確定してしまう。
県最強の守備力をもつ部長の分厚い壁を、一瞬で貫く。私の将棋は攻め将棋。それも守備力を度外視した一撃必殺の攻撃。それが持ち味だった。
一度は、それを見失っていた。自信が持てなくなっていた。でも、兄さんが取り返してくれた。
私の将棋が好きだって言ってくれた。だから、兄さんのために、今日は勝ちたい。
たとえ、私の前に大きな壁があったとしても、私はそれを乗り越えられる人間にならなくちゃいけないのだ。そうしなければ、私が目指す盤上を創ることはできない。
頭の中で目指すべき手順と、結果図がまとまった。
あとは理想を盤上に表現するだけだ。事前に考えておいた研究内容と昔から自分が鍛えていた攻撃センス。お父さんが叩きこんでくれた手筋。兄さんが教えてくれた前へと進む勇気。
それをすべてここに置いてくる。
私は開戦の火ぶたをきった。賽は投げられたのだ。
※
「受けきるしかない」
決心を固めたにも関わらず、私は一方的に攻め続けられて少しずつ自信を失っていく。
かな恵ちゃんの攻撃力は、山田くんクラスに匹敵するほど重いものとなっていた。
迷いを捨てたから?
自分の気持ちに素直になったから?
自分の将棋が肯定されたから?
理由はよくわからない。そして、分かってはいけないのだと思う。情が生まれてしまうかもしれないから。かな恵ちゃんの将棋には、なんとなく闇があった。何度か指した時、わたしはその闇にふれたのだ。なにか過去の後悔によって生まれた思考の鈍り。かな恵ちゃんの将棋は、強いのにどこかにブレーキがあるようにみえた。
でも、今はそんなブレーキなんて感じられない。
桂太くんのように、自由に将棋を楽しんでいる。
「弱ったわね」
私は、心の中で舌打ちをした。これはまずい。
このままいけば、かな恵ちゃんの圧倒的な攻撃力で、私の陣地は崩壊する。角の位置取りが悪すぎた。選択肢として、ポンポン桂は頭の片隅にあったのに、採用される可能性を軽視しすぎた。
でも、ここで負けたくはなかった。
だって、今回が桂太くんと公式戦で戦える最後のチャンスかもしれない。
そのビックチャンスをむざむざここで捨てていいの? そんな気持ちで、私はこの桂太くん争奪レースに勝てるの?
勝てるわけないじゃない。
中学時代から高校時代にかけて、私は将棋への熱意を失われてしまっていたのかもしれない。でも、桂太くんと出会って、わたしは変われた。
何度も負けていた山田くんに、去年リベンジすることもできた。全国でベスト8にもなれた。桂太くんと出会って、適当にやっていた序盤がかなり良くなった。一緒にやっていた研究会で、カッコ悪いところを見せたくなくて、一生懸命勉強した。
昔は、大劣勢からでも、終盤力の力で逆転していた。それにあぐらをかいていたのは事実だ。序盤の勉強をしなくても勝てるから。そんな甘えた考えを捨てさせてくれたのが桂太くんだった。
でも、今回の対局では、昔の私がでてきてしまった。でも、昔の私でも私は私なんだ。否定することはできないし、否定してはいけない。私は私なんだ。
このままいけば攻めの速さで私の負けだろう。だから、リスクをとって、かな恵ちゃんを迷わせなくてはいけない。
ここに泥沼を作る。
人生で最大の泥沼を。
泥沼のなかでの戦いはお互いに動きが制限される。泥によって、動きにくい盤面で力と力のねじりあいで、打ち勝つ。
それが私の将棋だ。
桂太くんに認めてもらえた私だけの将棋。
「行くよ、桂太くん」
私はここにいない彼にすがった。たまには、強い先輩としてじゃなくて、守ってもらいたい時だってあるんだから。
私は敵陣にいた龍を自陣に引き戻した。攻撃を一度、放棄して、徹底抗戦をするための、自陣飛車だ。
本作のPVが自己ベストを更新しました。
読んでいただいて本当にありがとうございます。
まさか、ここまで伸びるとは……
皆様のおかげです。本当にありがとうございます。




