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第二百九十六話 それぞれの桂太③(かな恵編)
私は兄さんの将棋を見ている。
この後、自分の準決勝があるのに、それすらも忘れて兄さんたちが紡いでいく棋譜に見とれていく。
ふたりは、悪戯好きな幼稚園児みたいな将棋を指していた。
常識とか定跡とかそんなことには無頓着で、自由におもしろそうな変化があったら、そこにツッコんでいってしまう。小さなころの私が憧れた自由な将棋だった。
本当にうらやましい。
私が目指した将棋の理想形は、目の前にあるのだ。
兄さんと初めて実際に将棋を指したとき。
あの時の市内トーナメントの決勝戦は、忘れられない。私の人生の中で一番楽しくて幸せな将棋の時間だった。
あれを超える舞台で兄さんと戦えたら……
たぶん、死んでもいいほどの幸せな時間になるはずだ。
だから、私は次の勝負で勝たなくてはいけない。
県最強の女帝である部長を超えて、頂に立つ決意を私は固めた。
盤上では兄さんが、勝負手を放っていた。




