第二百九十三話 秒読み
持ち時間の半分がなくなった。
あと考えられる時間は、半分だ。手を動かす時間もあるので25秒を過ぎたら行動に移さなくてはいけない。つまり、考えられる時間はあと10秒程度だ。
気持ちの中に焦りも生まれてくる。
秒読みの将棋は、ミスをしてしまえば終わりの極限の中の勝負である。
時間におわれながら、大ポカをしないように、そして、相手を追い詰めるように指し続けるのだ。そして、これは決勝への切符をかけての大勝負。緊張感はいつもの倍以上ある。
山田さんがとても落ち着いているように見えた。
やはり、場慣れしている。
前回の県大会優勝者であり、全国大会の最高成績はベスト4。
どう考えても強豪である。そんな相手に俺は本当に勝てるのか。
余計なことは考えるな。
集中しろ。
俺は自分にいい聞かせる。不安が生まれた、その対処のために脳のリソースが持っていかれてしまう。そんなことでは、山田さんに勝つことなんて夢のまた夢だ。
時間の進みがとてつもなく早く感じている。しかし、逆に、遅くも感じるのだ。
矛盾した時間感覚。それは、いつもおもしろい将棋の時に訪れる。
俺は、脳の中から考える選択肢を可能な限り排除した。
どうせ時間もない。全部を考えることなんて不可能だ。
だから、分からない選択肢、難しすぎる選択肢は排除するしかない。
みんなの顔が浮かんだ。
文人からは、正確な序盤力の大事さとバランス感覚。
葵ちゃんからは、正確な終盤力とそれを生かす勇気。
かな恵からは、未知の局面への冷静な対処法。
部長からは、終盤の粘りかたと複雑な盤面の突破法。
みんなが俺に将棋を教えてくれた。だから、俺はここに居るのだ。
最強の王者を玉座から引きずり下ろす権利を与えられて。
わかりやすく、勝てそうな選択肢を探す。盤面は俺の方が有利なはずだ。
だから、奇を狙わずに、落ち着いて盤石な勝利を目指す。あとは、どれくらい山田さんが、盤面を複雑化してくるかにかかっている。俺は、次の一手を指した。
たぶん、これが最善手。
俺は神に愛されているはず。
根拠のない自信と共に、俺は攻め合いの一手を選んだ。
守ることはなく、お互いに攻め合って一手差で勝つ。怖がったら、負けるはずだ。
だからこそ、俺も攻める。
「女神は、勇者に微笑む」
俺が大好きな偉大な棋士はそう言って複雑な終盤でマジックの如く神の一手を大舞台で見せて、勝ち上がってきたのだ。
だから、俺もそれにあやかりたい。
全てを出し尽くして、そして、勝つんだ。
俺の決心は山田さんにも伝わり、そして、彼は笑った。




