第二百八十九話 タブー
俺があえて急戦の選択肢を見せたのは、理想形を作り出すため。こんな柔軟な戦い方ができるようになったのは部長のおかげだろう。実力が格上の部長は終盤型だから、序盤からリードを取らなくては負けてしまう。俺は序盤でミスをしないために必死に研究を繰り返した。
部長が敢えて俺の研究手順を外す手を指してくる場合は、それに柔軟に対応しなくてはいけない。その経験がうまく生きてきた。これで中飛車側が一方的に得をする状況は回避できたのだ。中飛車側も、右の桂馬を前に出すことができずに理想形を作り出せなくなっている。
これはチャンスだ。ここからは、じっくりと上から押しつぶすようにポイントを稼ぐだけだ。あとは冷静に相手のカウンターをつぶしていければ勝利はもうすぐだ。もしかしたら、これはいけるかもしれない。
そんな楽観論が俺の中で生まれた。しかし、現実はそんなに甘くない。だって、おれの前にいるのは絶対的な王者だ。
彼は俺の陣形を見て、囲いを組み替える。本来ならば、木村美濃という囲いがノーマル中飛車では理想形なのだが……
俺の陣形はそれに制限をかけている。
だから、囲いを進化させることはできないのだ。
そんな甘い考えを山田さんは楽々と粉砕した。
「銀冠?」
王の頭に銀が冠のように乗ったのだ。バランスが悪くないが、守備力は堅くなる。
そのくらいなら想定内だけど……
「違うよ、佐藤くん。僕の狙いはそんなに単純じゃない」
王者はにこりと笑うと、飛車に手を伸ばした。
まさか……
俺がその選択肢を疑う前に行動に移されたそれは、将棋界のタブーに挑むものだった。
「王飛、接近すべからず」
そんなタブーなんて気にしていないかのように、王者側の両者は急接近した。
すべては、俺の陣形を上から押しつぶすために。
このタブー破りによって、山田陣地の攻撃力は格段に上がった。
しかし、それはカウンターに弱くなりもろくなったことも意味する。
王と飛車が接近すると、最重要である2つの駒に両取りがかかりやすくなり、ミスが即敗北になるのだ。
つまり、山田さんは、特攻をしかけようとしている。
すべてをかけて、俺の陣地に迫るつもりだ。
こんなに嬉しいことはない。
絶対王者に認められたんだから。すべてをかなぐり捨ててでも俺に勝ちたい。山田さんはいつもの笑顔でそう言っていた。




