第二十八話 シード
「よろしくお願いします」
おれの初戦がはじまった。相手は西高校1年生の男子生徒だ。名前は坂本さん。面識がないので、実力はわからない。
今回はトーナメントなので、ミスをひとつでもすれば終わりの大会だ。おれは、盤に没入しようと集中する。
彼の先手からはじまった。
飛車先の歩を動かす。おれと同じ居飛車党だ。おれも同じく飛車の前の歩を動かした。
「相掛かり」でいこうよ。おれたちはそう合意した。
「棋は対話なり」という有名な言葉がある。盤上は自分のわがままが通る場所じゃない。お互いの合意がなければ戦法は採用できないんだ。
<kana kana>さんみたいな奇襲戦法愛好家を除く……。
「相掛かり」
これは居飛車の中でも一番自由な戦い方だ。お互いに歩を進軍させて、交換し陣形を作っていく。採用できる戦法、守り方、陣形……。組み合わせは膨大で、定跡も整備されていない。自分の個性が強く出る戦法である。
相手の坂本さんは、銀を飛車の前に移動させた。相がかり棒銀だ。棒銀の一種で、火力が高い戦法である。
守り方を知らなければ、受けきれない。だけど、知っていればなんとかできる。
この数日間、おれは後輩のために「棒銀」戦法をひたすらに洗いなおした。その中には対策も含まれている。この幸運に感謝だ。
おれは柔軟な陣形を作っていく。敵の攻撃を誘うために……。
棒銀の攻撃がはじまった。敵の銀はおれの銀と交換するために前進する。歩が交換されたところで、おれは自分の銀を自軍の端の方にひらりと移動させた。こうすると、前のめりに進んでいた敵の攻撃陣は肩透かしあい、どうすればいいのかわからなくなる。
相手は5分間の長考に入った。簡単に突破できそうな陣形だが、実はほとんど隙が無い。完全な手詰まりとなっているのだ。
諦めきれないと見える相手は、まだ無理攻めをしようと次の手を動かした。
しかし、それは想定内だ。
おれは銀を前に動かして、敵の進軍をストップさせる。押しては引きを繰り返し、相手に手詰まりを認識させる作業だ。
相手にとってはこれが一番苦しい。自分のやりたい戦法に対して相手が完全に対策を打っている状況は、精神的な重荷となる。駒音がまるで、少しずつ相手の思考がくずれていく音に聞こえる。
「ま、負けました」
手数は少なかったが、相手にとっては地獄のように苦しい時間になっただろう。
このように、将棋に勝つのには相手の王を詰ますだけでなく、心をへし折ってしまってもいい。これがこのゲームのおもしろいところであり、残酷なところでもあった。
※
「ベスト8進出おめでとう佐藤くん」
「高柳先生、来てくれたんですか?」
「いちおう、顧問だからね」
おれが席に戻ると、顧問の高柳先生が荷物番をしてくれていた。
「みごとだったね。完全に相手の心をへし折った将棋だ。さすがは第一シード」
「あんまり褒められている気がしないんですが……」
この先生は、学校の教師というよりも鋭利な数学者や哲学者みたいな風貌だ。ちょっと怖いときもある。
「みんな順調に勝ってるね。丸内君も源さんも……。あと君の妹さんすごいことしてる」
「えっ」
ちょうど、かな恵さんが対局をしているところが見えた。おれと同じ相がかり戦法での対局だ。
相手は……。
去年の新人戦の団体戦で大活躍した西高の女性エース岩井さんだった。たしか、個人戦ではくじ運悪く2回戦で、うちの部長とぶつかり、敗れてしまったが、かなりの激闘になっていた。かなりの強豪で……。
「なんだ、あの陣形……」
おれは、思わずつぶやいた。
そう思うのも無理はなかった。だって、かな恵さんの陣形はまるで初心者のようにハチャメチャだったのだから……。
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人物紹介
高柳先生……
将棋部の顧問。49歳だが、20代にしか見えない容姿。丁寧な口調だが、慇懃無礼な印象を受ける男性。担当は、倫理。部長に雑務をまかせているため、ほとんど部活に来ないが、将棋に異常に詳しい。部員たちは実際に指しているところはみたことはないが、的確なアドバイスを考えると相当な腕前だと考えられる。




