第二百七十八話 天才の挫折
準決勝まで、あと10分。
緊張してきた。
どんなに対策をしてきたからと言っても、相手は絶対王者だ。対策なんて何の意味もないのかもしれない。それができているくらいは、彼と戦う場合の最低レベルの話だ。
彼は、対策万全のライバルたちを粉砕し続けて、その地位に君臨していた。それを何年も繰り返している。まさに怪物で、絶対王者の称号を欲しいままにしてきた男だ。
彼を倒せる可能性があるのは、米山香。部長だけだ。みんなそう考えている。勝ちを拾うためには、部長クラスの絶対的な終盤力と粘りが必要になる。
会場へとはやめに向かおうと、俺は前に進む。
しかし、足が震えだした。
だから、なかなか前に進まない。緊張のためだろうか。ドキドキと心臓が高鳴っていく。
気持ち悪くなってきた。俺は、少しだけ休もうとベンチに腰掛ける。
「桂太、センパイ?」
その隣から聞きなれた声が聞こえた。
俺が横を見ると、そこにいたのは葵ちゃんだった。
彼女の眼は少しだけ赤く充血していた。
「どうしたんですか? もうすぐ、準決勝じゃないですか」
「葵ちゃんの方こそどうして?」
「敗戦のショックで、ここで茫然自失しているんですよ」
葵ちゃんに余計なことを聞いてしまった。そんなこと聞かなくても分かるだろうに。
彼女は苦笑している。
「ごめん、変なことを聞いた」
「本当ですよ。先輩は、デリカシーにかけますね。傷心の乙女の傷口に塩塗りこまなくてもいいじゃないですか」
「ごめん、本当にごめん」
「いいですよ。先輩のそういうところ好きですから。あっ、ここ大事な所なんで、難聴主人公にならないでくださいね」
「ならないよ。っていうか、葵ちゃん、ちょっとキャラぶれてない」
「キャラくらい、ぶれますよ。本当にショックだったんですからね」
「だよね」
ほぼ、勝ちの状況で、詰みを逃しての大逆転負け。
それも、葵ちゃんの得意な終盤でのミスだ。ショックは大きいだろう。
「センパイ、やっぱりさっきの酷いことを言った償いをしてもらってもいいですか?」
「えっ」
「責任、とってくださいね?」
「言い方っ」
「ごめんなさい。からかいたくなって」
葵ちゃんはそう言って笑うと、真面目な口調になる。
「準決勝、勝ってくださいね。そして、決勝でも勝ってください。すごい強い人との対局でも、センパイが負けるところ、みたくないです。私の前では、カッコイイ先輩でいてくださいね」
そう言って、震えている俺の手を彼女は握りしめた。
「大丈夫です。先輩の強さは私がよくわかってます」
葵ちゃんの優しさに、俺は救われる。




