第二百七十三話 気持ちと思い
相振り飛車では、お互いに攻め合いになる。
葵ちゃんは、私の奇策に少しだけ悩んだ様子だったけど、しっかりと盤面を読み込んで、私との攻め合いを選択した。中飛車は、お互いに振り飛車にする相振り飛車において不利だと言われている。いくつか理由があるけど、中飛車側の手が途中で難しくなりやすいことが原因だ。
だから、なるべく中飛車との相振り飛車戦では、中盤を長く持久戦気味にしたほうがいい。
そのセオリーはわかっていた。でも、それを許してくれるほど、葵ちゃんは甘くない。
葵ちゃんは、ほとんど囲いができる前に速攻の構えを見せた。
これは完全に定跡を無視して殴り合いになる手順だった。葵ちゃんも私にのったのだ。
これでは、お互いにすべてをさらけ出さなくてはいけない。
もう、隠し事はできないのだ。なにかに躊躇したらそれは敗北を意味する。
こういう将棋の棋譜は言語をも超越する。無言で盤に向き合うことで、会話は成立するのだ。
相手の考えを理解できなければ、それが自分の弱点となる。自分をさらけ出せなくては、それは死を意味するのだ。
だからこそ、将棋は楽しい、のかもしれない。
「葵ちゃん? 兄さんのことは好きなの」
「聞かなくてもわかっているでしょ。私もわかってるよ。かな恵ちゃんが、お兄さんのことを、桂太先輩のことをどう思っているかなんて」
「じゃあ、負けられないね」
「うん、私も負けたくない」
私たちは、盤上の代理戦争で殴り合いを繰り広げる。
すべては、兄さんと決勝戦、つまりはトーナメント表の頂点でめぐり合うために……
私は最強の天才を相手に殴り合って勝利する覚悟を固める。
今までずっと逃げてきた自分を、この盤上にすべて置いてくる……




