第二百六十九話 だいじなひと
部長たちの対局がはじまった。私は葵ちゃんのほうをむく。葵ちゃんは、力強く私の方を見ていた。そして彼女は、静かにうなづく。
わたしたちも始めましょう。そういう合図だ。
ついに、私は最強の新人に挑戦する。彼女は、私を将棋部に導いてくれたある意味、恩人だ。だからこそ、負けたくない。
葵ちゃんも、たぶん、兄さんのことが好きだ。
もしかしたら、無意識なのかもしれない。無自覚なのかもしれない。
でも、わかる。彼女は、私と同じ人のことを好きなんだ、と。
そして、彼女の方が将棋の才能はある。これは間違いない。
私と兄さんの繋がりは、将棋によって維持されている。だから、彼女の存在は私にとって最大の脅威だ。彼女の台頭によって、私はとても焦っていた。私の存在意義が失われてしまうんじゃないかと、いつも怖がっている。
そして、私はここ最近の公式戦で負け続けている。
もう、私のいる意味はなくなった。そう思って絶望した。狂った。嫉妬と焦りしか考えることができなかった。
どうして、私はこんなに弱いの?
どうして、兄さんは私じゃなくて、部長や葵ちゃんのことばかり見ているの?
どうして、この気持ちは届かないの?
どうして、部長のことは慰めるのに、私にはそんな配慮してくれないの?
どうして、私たちは、兄妹という関係で出会ってしまったの…… もし、葵ちゃんのように普通の後輩として出会えていたら、違っていたのかな……
私が葵ちゃんに嫉妬しているのは、それが一番の理由だ。
彼女は、私が夢を見ているもしもの体現者なんだ。だから、嫌だ。ずるい。
彼女は本当にいい子だからこそ、私は苦しい。あんなにやさしい子に嫉妬している自分が、どうしようもなく無様だった。
「俺の将棋を見ていて欲しいんだ」
「俺はかな恵に葵ちゃんも部長も倒してほしいって、思ってるからな」
大事なひとの言葉を思いだす。
がんばろう……




