第二百六十七話 わたしのしょうぎ
四間飛車は、終盤勝負。それが昔からの伝統だ。だが、もし守備力が同等クラスの居飛車が出現した時どうするのか。それが課題だった。
相手にある程度リードを許しても離れすぎないようについていけばいい。最後は守備力を活かして、逆転する。固さが力の証明だった。しかし、居飛車穴熊の出現以来、それは古き良き時代の概念になってしまった。
居飛車側が、こちら以上の守備力を身に着けたら、こちらが先行しなくてはいけない。
これはどの分野でも同じだ。
自分が欲しいものが、なかなか近づいてきてくれないなら、自分から歩み寄らなくてはいけない。
そうしなければ、その宝物は別の誰かのもとに行ってしまうかもしれないのだ。だから、私は桂太くんにアプローチをする。なんどかわされても、何度嫉妬してでも。ほかの人から見れば、みっともないかもしれない。でも、そんなことは関係ないのだ。だって、そうしなければ一生後悔することなんてわかりきっているから。
将棋には感想戦というものがある。簡単に言えば、反省会だ。あの時、ああすればよかった。敗者はいつもそうつぶやくのだ。そして、そこでもやってしまった後悔よりも、勇気が出なくてやらなかった後悔のほうが何倍も強い。
だから、私は強く動く。本来の四間飛車から離れた将棋かもしれない。でも、それが私の将棋だから。しかたがない。私は山瀬さんに角交換を打診した。「(普通の)振り飛車(の対策)には、角交換」という将棋の格言に反した一手だ。自分から、不利になるのをおそれない積極策。
山瀬さんの将棋から感じるのは、品のよさだ。優等生で筋のいい手を何度も繰り出してくる。だから、そこの弱点を突く。私が得意などろどろとした力勝負。そこは未知の世界が生まれるため、筋とか関係のない本当の読みの力が重要になっていく。
盤上には、見たことがない盤面が誕生した。
主導権は向こうにわたっているけれど、ここからは私の時間だ……
すべてを受けまくる。




