第二百三十九話 理想と現実③
幸田さんが放った手は、俺の戦法の弱点を突く手ではなかった。
「△5三銀」
総矢倉という囲いを目指す一手だ。
この手が示す意味は、つまり、お互いにどっぷり撃ち合いましょうという誘い。
この後の展開は、俺が主導権を握って、幸田さんが受けまくる。
古き良き矢倉の伝統的な戦い方になる。
幸田さんは、笑った。
高校生らしからぬ渋い仕草だ。
とてもカッコイイと、敵ながら憧れてしまう。
あえて、俺の弱点を突かずに、お互いに好きな戦法でぶつかり合おうという意思表示。
真剣勝負の場でロマンを追い求める姿勢。本当に渋い。
「じゃあ、やりましょうか?」
幸田さんは、そう言って真剣な眼差しを俺に向けた。
そう、矢倉はここから始まる。
「はい、やりましょう」
俺もそう言って、桂馬を跳ねた。
これで、矢倉「4六銀3七桂」の陣形が完成した。
対する幸田さんは、「総矢倉」という矢倉の中でももっとも縦からの攻撃に強い陣形を作りこんで、俺の攻撃を待ち受けている。
最強の矛が完成した俺と、最強の楯を採用した幸田さん。
まさに、矢倉の王道を行く陣形が誕生した。
ここから始まるのは、俺とおそらく幸田さんが愛した矢倉という戦法の古き良き時代の再現だ。
人類が叡智を集結して、作り出した定跡を使っての殴り合い。
伝統とその重みをもったパンチの応酬。それが俺たちが目指し、愛した将棋だ。
俺のパンチが、敵の陣地に触れた。開戦のゴングが鳴ったのだ。
※
「すげえな、米山香。初戦を51手で粉砕したよ」
「ああ、圧巻の横綱相撲だったな」
「序盤から、相手のミスを一気について圧勝だったな。さすがは、優勝候補の筆頭」
ギャラリーは好き勝手言ってくれる。
私は、桂太くんの盤面を見つめた。
相手は、幸田くん。千城高校の3年生で、たまにトーナメントでもあたっている。
ロマンティックな棋風でもあるので、古い定跡になることも多い。これは山田くんの影響も大きいのだろう。
しかし、ふたりとも対策が確立された戦法で正面からの殴り合い、か。
「ホントにおもしろい二人だね」
私は、好きなひとの好きなところを見て笑った。




