第二百三十六話 純文学
「純文学とは、心が躍るよ」
矢倉の別名は「将棋の純文学」
とある大棋士が言いだしたことが定着したらしい。
矢倉は、歴史・格調・流れのすべてが将棋の本流を行くと長く考えられていた。
純文学と別名がつくほど、将棋の王道をいく戦法と考えられていた裏返しだ。
ただ、この別名のうらには、「戦い方が、ネチネチしていて、押したり引いたりを繰り返すめんどくさい戦法だから」というニュアンスもこめられているそうだ。
お互いに、固い囲いに組んで、盤上全部を使う戦法。
この戦いに魅了されたのが、初心者時代の俺だ。
それ以来、この戦法と共に俺は歩んできた。
たとえ、今がこの戦法の冬の時代だとしてもだ。
この戦法は先手が主導権を握りやすい。
なので、後手で矢倉を受けると言うことは、幸田さんもおれと同じ受け将棋。
ならば、先手の俺は、主導権を握り続けて圧殺する。
それが専門家としての俺のプライドだ。
右の銀と桂馬を約束の場所に移動させた。
これが矢倉の歴史を、連綿と作ってきた形だ。
矢倉「4六銀3七桂馬」戦法。
かつての将棋の王道だった戦法だ。
「懐かしい形になりましたね」
「はい」
「これは、おもしろそうだ」
幸田さんも、矢倉好きだからか、笑顔になる。
そう、矢倉好きならば、この形は本当にバイブルみたいな存在だったから……
ただ、この形には最大の問題もあった。
それは……
コンピュータによって、明確な対策が生まれてしまったのだ。
幸田さんも、その一手を間違いなく知っている。
それを採用するかどうか、それでこの後の戦いは決まってしまう。
さあ、どうするか?
すべては、幸田さんの次の一手に委ねられた。
――――――――――――――――――――
人物紹介
幸田登……
千城高校3年生。
居飛車党。祖父がアマチュアの強豪と知られた元真剣師で、子どものころから教わっている。
雰囲気も、勝負師だった祖父譲りのおちついた雰囲気を持つ。
矢倉好きな棋風で、勝負にこだわりつつもロマンティストな一面も持つ。




