第二百五話 バトン
私が会場へとむかうと、見おぼえのある男の人がベンチでへたりこんでいた。
「文人先輩っ! 大丈夫ですか?」
「ああ、葵ちゃんか。大丈夫。さっきの対局終わったら、急に力が抜けちゃってね。なんだか、全身も熱くて、少し冷やしてから戻るよ」
「すごい、試合でしたもんね」
「うん、なんか自分じゃないみたいだったよ。汗と震えが止まらなかったし…… プロが一局の対局で痩せるって本当なんだね」
「将棋ダイエットですか?」
「ちょっと、期待した?」
「わたしってそんなに太ってます?」
「そんなわけないでしょ」
私たちは、いつものように談笑した。ここが戦場のど真ん中であることも忘れてしまうくらい部室の会話のようなおだやかさだった。文人先輩も、穏やかで優しいので大好きな先輩だ。
「ねぇ、葵ちゃん?」
「なんですか?」
「ひとつだけ、お願いしてもいいかな?」
「聞かなくてもわかりますけどね。どうぞ言ってください」
「優勝したいです」
文人先輩は、力なくそれでも執念をこめてそう言った。
こころが熱くなる。
ここで負けてしまったら、団体戦は終わり。
桂太先輩の出番は、来ないのだ。
部長と一緒に戦えるのもこれが最後になってしまう。
かな恵ちゃんのリベンジの機会もなくなってしまう。
文人先輩のあのすごい将棋も台無しにしてしまう。
そんなこと、できるわけがない。
「当たり前です。私がバトンを繋ぎます」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「それは、まだ早いよ」
「ですね。じゃあ、行ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
私は会場へ向かう。
そこには、小柄なツインテールの女の子が偉そうに鎮座していた。
鎮座なんて言葉普通に使うことはないと思っていたのに……
まさに、偉そうな態度で座っているんだ。
あの子。
しかし、実力は言わずもがな。
県の中学生大会3連覇。
山田さんも部長も成し遂げられなかった偉業を成し遂げた新世代の最強候補。
「あなたが、みなもと、葵さんね?」
「はい」
「へー、これが、か」
なんだか、すごく上から見られている気がする。
「すごかったわね。あの準々決勝。あの甘枝さんを一瞬にして、粉砕するなんて……」
「たまたまです」
「そんなこと、思っていないくせに。あなたからは、私と同じ匂いを感じるわ」
「匂い?」
「ええ、血に飢えた自信家のオオカミみたいな匂い」




