第百八十五話 姿焼き
どうして、部長はあんなにあきらめずに、山田さんに挑めるのだろう。
おれは、去年のトラウマを思いだしながら、うらやましい気持ちで盤面を眺めていた。
去年、おれは山田さんと個人戦の準々決勝で激突した。
先手はおれ。後手は山田さんだった。
山田さんはノーマル中飛車を採用した。この戦法は、消えた戦法だ。いま使われているのは、このノーマル中飛車を改良した戦法で葵ちゃんも得意としている「ゴキゲン中飛車」。改良前のこの戦法は、もうほとんど使わることはないのだ。
なぜならば、有効な対策が生まれてしまったのだから。
それが居飛車穴熊。
天敵「居飛車穴熊」に駆逐された悲しき戦法。他の振り飛車ならば、相手が穴熊に潜る前に攻撃を仕掛けることもできるのだが、ノーマル中飛車はそれが難しい。
だから、相手は楽々と穴熊に組めてしまうのである。
一応、穴熊に勝てないわけではないのだけど、ずっと守り続けて辛抱強い受けが必要だ。つまりは、勝ちにくいのである。
そして、おれは「居飛車穴熊」が得意戦法だった。
これはいける。おれはそう確信して、一気に攻め込んだ。
彼に勝てば、一年ながら全国大会出場。そして、優勝だって狙える。変な気分の高揚もあった。
おれは棋風とは違って攻めに攻めた。
そして……
受け潰された。この状況は穴熊の姿焼きと言われる状態だ。
攻める手段をすべて潰されて、攻撃力がない穴熊だけが残る屈辱の敗北。
最悪の結果だった。
攻め将棋の山田さんに受け潰されるということは、想像以上の実力差を意味した。
まさか、ここまでトップと自分の実力が遠いなんて。
おれがやってきた10年間はいったいなんだったんだろう。
目の前がまっくらになった瞬間だ。
しばらくして、おれは部長に聞いた。
「部長は山田さんに酷い負け方したことないんですか?」
彼女は笑って言うのだ。
「しょっちゅうあるわよ」って
それでもめげない部長をすごいと思った。
尊敬もした。
憧れてもいる。
そして……
たぶん……
好きになりかけていた……
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用語解説
ノーマル中飛車……
角道を止める普通の中飛車。
居飛車穴熊に弱く、消えた戦法となっている。
いまは、角交換して穴熊をけん制できる「ゴキゲン中飛車」が主流となっている。
居飛車穴熊……
普通の振り飛車の天敵。
最強の固さを誇り、振り飛車党を絶滅の危機に追い込んだ。
姿焼き……
攻撃陣を壊滅させられて、守備駒しかいない状況。
屈辱的な負け方の代表例




