第百七十五話 限定合
米山さんは、あえて王を不利な場所に動かして、乱戦を狙って動き出した。
これが米山香の伝家の宝刀「泥沼流」
不利な状況で、あえて盤面を複雑にさせて、相手を困惑させる。盤面を複雑化すると、自分にも相当な負荷がかかるが、自分の読みに絶対的な自信があるのだろう。盤上の情報処理力では、おそらく米山さんが上。
だから、普通の状況判断では有利なこの状況が、彼女と相対する場合は形勢不明になる状況。
まるで、ギリシャ神話に登場するセイレーンだ。歌声で船乗りを誘惑して、正気を失わせる。
私は、いま正気なのだろうか。この複雑化した状況では、自分の状況判断すら疑わなくてはいけない。しかし、それは相手も同じなのだ。冷静に対処すれば、道は必ず開ける。
私は、最強の魔王と力勝負を挑む。
それが、勇者としての、部長としての私の役割なのだから。
※
私たちは大乱戦に突入した。
泥沼に引きずりこむつもりが、相手が自ら泥沼に突入して、私との大乱戦を演じている。
こんなことははじめてだった。
彼女は、飛車を切って私の玉に迫った。
ここが最後の正念場。
相手はまだ優勢を確保している。
このままでは、私の負けだ。
だけど……
逆転の秘策はあった。
これを逃げられたら、私の負けだ。でも、これを読み切られて負けるのならば、本望。
次のチャンスはもう二度と来ないかもしれない。だから、踏み込む。
だって、「女神は勇者に微笑む」のだから。
6四の地点に角を打つ。「詰めろ」だ。
それも、銀で受けなければ詰んでしまう「限定合」。
さらに……
この状況でどこまで読めるか。勝負。
※
米山さんが、王手を仕掛けてきた。まさか、読み切っているのか。この状況をっ!?
(ラプラスの悪魔め)
私は、彼女を内心で呪いつつ、必死に逃げる状況を確認する。
▲同角成△同玉▲1三龍△5三角打▲同龍△同金▲6二角打△8二玉▲7一角成△7三玉▲6二馬△8二玉▲7一飛成△9二玉▲8四桂打△同歩▲8一龍△同玉▲8三香打△8二桂打▲7二銀打△9一玉▲8二香成△同玉▲7一馬△7三玉▲6三香成△同金
桂馬で受けたら、さらに王手が続いてしまう。
金で受けても同様だ。
じゃあ、どうすればいいのか。
みんなの顔を思い浮かべる。ここまで来れただけでも奇跡のような状況だ。でも、まだ完全な奇跡じゃない。勝たなくちゃ奇跡は奇跡にならない。
誰でもいい。助けて、神さまでも悪魔でもなんでもいいから。
最善手を教えて。
私は、銀を打ち付ける。消去法でこれしかなかった。




