第百六十話 跳躍②
(どうする?)
この桂馬をどうすればいいのか?
まず、桂馬の前に歩を動かすのは悪手だ。王を護衛する銀を失ってしまうからだ。守備駒と攻撃の駒が等価交換されるときは、ほとんどの場合、攻撃側が有利となる。だから、この手順は圧倒的に不利となるパターンだ。これは絶対に選んではいけない。
俺は即座に別のパターンを考え始める。もし、銀が斜めに引けば、さきほどよりは悪くない。ただし、相手の飛車の攻撃が待っている。完全に主導権が向こうに譲渡される。さらに、歩がたくさんとられる罠までしかけられていた。相手の飛車を動かしにくい場所に誘導できるので悪くはないが、こっちもおもしろくない。こんな消極策ではいけない。
桂馬の前に銀を繰り出す。格言になっているくらい普通の指し方だ。歩が取られる心配も少ないし、飛車の動きも予想できる。ただ、これをやると相手の研究手順にはまる可能性が高い。この先にいったい何が待ってるのか。それは地雷原だ。特に角換わりは、一歩でも間違えば一気に悪くなる。研究勝負とも言われる形なので、この手順に入るには勇気がいる。
昔の俺なら避けていたかもしれない。でも、今は避けない。ここで逃げたら、ずっと逃げ続けなくてはいけなくなる。そんな気がするのだ。
冷静に考えて、部内の俺は情けない立ち位置にいる。
部長は全国クラスの怪物。
桂太は期待のエース。
かな恵ちゃんは、剛腕。
葵ちゃんは、天才。
じゃあ、俺は……
この2カ月、考えないようにしていたことを俺はわざわざこのタイミングで考えてしまう。本当にバカなことをしてしまっている。
部長と桂太には、もう追いつけない場所までいかれてしまった。
後輩の二人には、もう追い抜かている。
才能の違いだと諦めてしまえば、終わってしまうことなのかもしれない。
どうしようもないと、割り切ってしまえば終わってしまうことなのかもしれない。
将棋は才能のセカイだ。俺みたいな凡人は十分努力した。でも、これ以上は無理だ。できっこない。あいつらと俺は違う人間だ。
しかたない、だってどうしようもないのだから……
そんな風に逃げてしまう自分が嫌だった。
その気持ちが、桂太と俺に大きな差を生んだのだとわかっているはずなのに。
俺は、ここで立ち止まるのか?
凡人なら、凡人らしい戦い方があるはずだろうに……
もっと粘り強く、どんくさく、泥臭く。
それが、凡人の俺が生きる道。
だから、もう逃げない……。俺は、田中さんの研究手順に踏み込んだ。




