第百五十四話 激震③
彼女は退路を塞がれたにもかかわらず、気にせずに香車を取る。
この状況では、詰まないというのが読み切られているようだ。相手が動揺するなら、無理攻めをして倒してしまおうかとも思ったが、ここはやはり我慢の時間だ。
おれは、攻め駒を増やして、さらに攻撃力を強める方針をとった。
少しずつ、敵を追い詰めるために包囲網を強めていった。
おれは、ゆっくりとその状況を作って、勝ち切れると確信して、一気に攻勢に転じた。相手の陣形がどんどんと崩れていく。これで、終わったな。敵の攻撃できる駒は馬のみだ。俺は詰まないし、攻めが続いていく。完全な勝ちパターンだった。
俺は、金を前に動かして、相手の王に迫る。これで相手は、最後の攻撃駒である馬を捨てざるを得なくなる。これで、どうあがいても敵は攻撃を失ってしまうのだ。もうなにもできない。後は、投了を待つだけ。
おれの金を、彼女は香車で取った。おれの王に王手がかかった。しかし、攻撃する駒はほかにない。スルスルと逃げていくだけで、俺の勝ちは決まるはずだった。
6九の地点に、王を逃がす。
彼女は、ノータイムで、香車を捨てた。破れかぶれの特攻。まさに、悲惨な状況だ。
おれも、ノータイムで香車を取った。
彼女はすぐに、自分の王を動かす。後ろにいた飛車によって、再び王手がかかった。
「えっ、飛車?」
思考の盲点だ。
この形で王手がかかるなんて、思わなかった。だが、単純な王手。
簡単に逃げ切れ……
(▲5七歩打△同飛成▲同玉△5六歩打▲同玉△5五歩打▲6六玉△5六金打▲7七玉△6五桂打▲8六玉△9五金打▲同玉△9四銀打▲9六玉△7四角打▲8六玉△8五銀▲9五玉△9四歩)
この手順は詰んでいる。なら、
(▲5七歩打△同飛成▲同玉△6五桂打▲4八玉△5八金打▲同玉△5七銀打▲4九玉△2七角打▲3八銀△4八金打)
これでもダメだ。
おれはいくつもの手順を脳内で再生した。
そして、それらはすべて詰みの手順を示すことしかできなかった。
(逃げ道はない)
最初の香車による王手から、17手以上のかなたに、彼女は俺の王の詰みを見つけたというのか。
ありえない。
これが狙いか。米山香っ……
こんな芸当ができる奴が、どうして今まで無名だったんだ。
俺は恐怖を感じながら、最後まで指してしまった。
投了することすらできなかった。
その先に何があるのか、見てみたかった。そして、俺の王は詰んでしまった。
「甘枝が負けた……」
「すげえ、長い詰みだったぞ」
「あの子、いったいなんなんだ?」
「源葵? 聞いたことない」
「県3位が、なすすべもなく、やられた」
「ねえ? いつから詰みが見えてたの?」
「えーと、金を香車で取ったところです」
やはり、最初からか……
「キミは、どれくらい将棋やってるの? 段位は?」
「えっと、段位はありません。将棋ははじめて、2カ月くらいです」
「……」
俺は絶句する。幼少期から積み上げたものを、才能で崩壊させられた気分だ。
「ありがとうございました」
挨拶をなんとか返した。
後には、無残な盤面だけが残された。




