第百五十三話 激震②
盤面は、おそろしいことになっていた。
すべて、定跡とはいえ、まだ20手も経過していないのに、相手の飛車はわたしの陣地に飛びこんでいる。普通にやっていたら、終わり。初心者vs有段者の実力差がありすぎる将棋のようだ。
でも、わたしはこの変化を知っている。
だから、怖くない。
これは自分の陣地を犠牲にして、相手の陣地を食い破るための定跡なのだ。
「超急戦」
名前の通り、将棋でもっとも激しい戦いになる定跡だ。
序盤から一手ミスをすれば、即叩ききられる居合切りの達人同士の決闘。
おそらく、この定跡は、将棋の中でもっともノーガードで攻め合うような定跡だと思う。わたしも将棋をおぼえてからまだ日が短くて確証はないんだけどね。
最初は緊張していたのに、もうほとんど恐れや不安はなかった。少しずつ、自分の脳内が盤上に変わっていくような気がする。この前の桂太先輩との対局の時のように。深く暗い世界へと続く思考のなかに。そこは、深海のように暗く不気味なんだけど、なぜだか心地よくて。時折、流れていく盤と駒が暗夜行路を照らす灯台となって、わたしを導いてくれる。
この先に一体、なにがあるんだろう? わたしは好奇心に突き動かされて、どんどん前に行ってしまう。その先には地獄が待っているかもしれないのに……
いまは楽しさしかなかった。
わたしは、笑顔で次の一手を指しこんでいく。
※
(笑ってる)
おれは、目の前の女の子の異様な指し手に、少しだけ恐怖をおぼえる。
駒を握る手は、緊張からくるものなのだろうか。震えているのに、この複雑で激しい定跡において、ひとつもミスをしないのだ。無名の初心者かと思っていたが、実はそうではないようだ。おれは、気持ちを整えるために深呼吸をした。
30手目。もはや、形勢は難解で不明の状態だ。ここまで来るとはな……
どこかでミスをしてくれるだろうと思っていたのが甘かったのかもしれない。
もしかして、な……
中飛車の専門家だから、勉強済みの変化だということだろう。
まさか、初心者がノーミスでここまで来れるわけがない……
敵の逃げ場を封鎖するために銀の横に銀を打ちこんだ。
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用語解説
超急戦……
ゴキゲン中飛車対策の戦法。
お互いにノーガードで戦い合う戦法。激しい変化が待ち受けているため、ノーミスで戦うのは難しい。
決定的なゴキゲン中飛車対策にはなっていない。
ゴキゲン中飛車……
中飛車戦法の一種。
後手で、角の道を開けたまま戦う戦法(従来の中飛車は、閉じて戦う)。
いつでも角交換できるため、中飛車の天敵、「居飛車穴熊」をけん制できる。




