第百三十二話 でーつ
「じゃあ、行きましょうか? 兄さん?」
「お、おう」
翌日、おれたちは家の前で、こうやってあいさつした。
かな恵は、ピンクのワンピースを着て、珍しく薄いメイクまでしていた。かなり、がんばってオシャレしていた。
それに比べて、おれは……
「ところで、兄さん? いくらわたしでも、女の子とふたりっきりのデートなのに、”シロクロ”ってどうなんですか?」
おれは、いつも着ているような服だった。多少、ヨレヨレした感じの服装と、安い量販店の服……
たしかに、デートなら、赤点だけど……
「でも、おれたち、兄妹だし……」
そう、今日は身内とおでかけなのだ。
「はぁっ?」
「なんでもないです」
おれの詭弁は一瞬にして崩壊した。
すげえ、怖かった。なんだよ、あの「はぁっ?」って。何人殺したんだよ、その視線。まるで、殺し屋みたいな目線だった。あんな目線、今は絶滅した将棋の真剣師くらいしかしてないよ。
「あ、あの、かな恵さん? 今日はどこにいくんですか。連休最終日なので、どこもとても混雑しておりますよ」
「はぁっ?」
「なんでもないです」
今日、ふたつ目の「はぁっ」をいただきました。本当にありがとうございました。
「碁なりせば 劫なと打ちて 生くべきに 死ぬるばかりは 手もなかりけり」
おれは、江戸時代の辞世の句を口に出す。
「どうして、囲碁なんですか。バカなんですか、死ぬんですか」
かな恵はノータイムで、精神的にめった刺ししてくる。今日のかな恵さん、なぜだかとても機嫌が悪い。
「あ、あの、かな恵さん、せっかくのデートなので、笑顔でいきませんか?」
「兄さんがそれ言いますか?」
「大変、申し訳ございません」
「まったく、わかりました。機嫌なおしますよ。ちなみに、わたしがどうして怒っているのか、わかりますか?」
「……」
おれは答えられなかった。
「兄さんの、バーカっ」
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用語解説
真剣師……
賭け将棋で生計を立てていたひとたち。通称、”裏プロ”。
歴代のアマチュア名人を多く輩出しているが、やはり、非合法的な稼ぎ方なので、取り締まりが強化されて、昭和末期には絶滅した。
豪快な性格の者が多く、数々の伝説が残る。
「碁なりせば 劫なと打ちて 生くべきに 死ぬるばかりは 手もなかりけり」……
囲碁の本因坊算砂の辞世の句。
本因坊算砂は将棋も強く、現存する最古の棋譜は彼のものである。
「碁であれば、劫を仕掛けて死中に活を求めることができるのに、死というものばかりは、どうしようもないものだ」(作者拙訳)




