第百二十五話 香落②
正直、この古い将棋はおれにとってはほとんど経験がなかった。四間飛車関係は、部長と綿密に研究しているが、位取りの将棋は現代ではほとんど採用されないので、おれも経験値が少なかった。いくつか、当時流行っていた1980年代の名局を並べたくらいの経験値だ。
どうすればいいか。
手探りで将棋を進めていく。本来なら、じっくりカウンターを狙うのがセオリーであるが、悠長にしていたら不利になっていく。逆に、相手は弱点の攻撃がないため理想的に陣形を作っていきリードを広げるのだ。やっぱり、長年の経験が強い。やり手の経営者として、バシバシやってきたのだろう。勝負にこだわって、勝ちやすい将棋を目指していく。
ハンディ戦とはいえ、勝ちにこだわる姿勢は、本当にすごいと思う。おれももっと貪欲にならなくちゃいけない。そう思わせる何かがそこにはあった。
おれは、部長の将棋を真似して、大駒をひたすら捌く。向こうのほうが陣形的に有利なため、おれは捌いては守るを繰り返した。粘り強く、そして勝ちのために貪欲に……
そして、なによりも将棋を指すことの喜びに満ちながら……
引退してもなお闘志が衰えない人生の先輩を見習って……
向こうの攻撃がおれの囲いに迫る。おれは、攻撃を事前に予測し、その攻撃をけん制するために、戦っていく中で、陣形を強固にする。これが、米山建設。おれが部長から教えてもらった指し方。
正確な攻撃を続けていたおじいさんは少しだけ無理をした。おれは、それをみて、王を上部に脱出させる。入玉だ。駒落ちのハンディ戦で、最強なのは敵陣に逃げること。そうすれば、相手の戦意を完全に損失させることができる。
「まいりました」
お爺さんはそう言って頭を下げた。おれの玉が入玉しても闘志は衰えず、自分も入玉し、引き分けをねらった先の即詰みだった。本当にすごい執念だ。
「くやしいいいいいい」
お爺さんは子供のようにダダをこねた。
「もう、お爺ちゃん。恥ずかしいからやめてよ」
「だってー」
こんなふたりのやり取りがおもしろかった。
「じゃあ、桂太くん。感想戦をお願いします」
お爺さんは、そう言って姿勢を整えた。驚くほどの変わり身の早さ。そして、将棋が楽しくてしょうがないという表情。
何か忘れてしまったことを思い出す体験だった。
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用語解説
玉頭位取り……
対振り飛車の居飛車戦法。持久戦を志向する。
有利な場所を陣取って、相手にプレッシャーをしかける指し方。
理想的な陣形を作るまでに時間がかかり、バランスをとるのが難しい。
1980年代まで主流だったが、より勝ちやすい穴熊が発展したため、相対的に廃れていった。




