第百十一話 高柳先生の夜は遅い②(番外編)
高柳さんは、変わった陣形に組み替えた。腰掛銀なんだけども、守り方が独特なのだ。矢倉のような形だが、王と金の場所が違う。これは、たしか古典将棋の本で見たことがある形だ。矢倉早囲い脇システムでも、登場する囲い。
名前は確か「片矢倉」
角交換した後にスキをなくすために採用されることが多いと聞く。相矢倉戦ならまだしも、角換わりの戦いででてくることはほとんどなかった。おれの経験上は……
たしか、江戸時代くらいの棋譜でそれをみたか見なかったか。
これは完全に前例のない力勝負を挑まれているのだ。くっ、〇×商事のエースであるおれに、この優男は……
おれも、猛烈な攻撃をおこなった。
定跡無視の力勝負は、大混戦となった。お互いに押したり引いたりを繰り返す神経戦が続く。銀と桂馬の交換会がおこなわれ、盤面は益々カオスになっていく。高柳さんは勝負手を打った。
駒損の激しい手順だった。おれの王は丸裸にされてしまい逃亡を余儀なくされる。そこに王とそれを捕まえようとする金と銀によるカーチェイスががおこなわれた。
おれが、なんとか逃げられたと思った瞬間、遠方より精密な射撃が加えられたのだった。いままで、初期位置に鎮座した飛車がいつの間にか王の前方に移動していた。
俗にいう「ニート飛車」の追撃だった。
おれの脳内は必死に回避を考えるものの、7手詰という結論しか出すことはできなかった。
「負けました」
おれは投了を宣言する。これでただ酒は謎の優男のものとなってしまった。
「珍しい力戦系になりましたね」
おれは感想戦でつぶやく。
「はい、実は江戸時代の将棋をアレンジした戦法なんですよ」
高柳さんは、涼しい顔でいう。
「江戸時代の誰が指していたんですか?」
「”棋聖”天野宗歩」
「強いわけだ」
片矢倉の別名をおれは思い出した。そうだ、あれは「天野矢倉」というんだ。天野宗歩が得意としていたから。
研究量のすさまじさを感じる。
この男、ただ者じゃない。
「ちなみに、高柳さんは、段位はいくつなんですか?」
「”アマチュア六段です”」
「アマ六段……」
アマチュア最高クラスのランクだ。ほとんどプロと言ってもいいくらいの実力。全国大会優勝者クラス。
「やられました。知っていたら絶対に参加させなかったのに」
「全部作戦です」
彼はそう言って笑ったのだ。おれは新しい将棋仲間に巡り合えた瞬間だった。
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用語解説
片矢倉……
矢倉の一種だが、かたちは変形しており、角の打ち込みに強い陣形。
棋聖天野宗歩が得意としたため、別名”天野矢倉”。
江戸時代に流行した。現在は、矢倉戦法の一種・藤井流早囲いで復活している。
天野宗歩(1816-1859年)……
江戸時代最強の名人と言われた大橋宗英と双璧をなす伝説の将棋指し。
歴代最強の棋士として、現代でも議論されるほどの実力を持つ。
家柄の問題で、名人になれなかったが、その実力は「十三段」「棋聖」とも称される。
素行不良でかなりの問題児だったとされる。




