第百八話 逆転③
「おもしろくなってきたわね」
わたしは、愛弟子の将棋をみながら、笑みを浮かべる。
形勢は大混戦だ。普通に考えたら、奏多さんのほうがいい。しかし、彼女は持ち時間は、もうほとんど残されていなかった。これは、なにかが起こりそうな気がする。
「がんばって、桂太くん」
そして、彼の落ち着きぶりを見ながらわたしは一抹の恐怖をおぼえた。
たぶん、彼はもうわたしの位置に届きうる場所にもうすでにいる。
今回の将棋で、いままで妄想かもしれないと思っていたことが、確信に変わった。
彼の将棋は”本物”だ。
※
おれは、考える。敵の攻撃をいかに切り抜けて、どう攻撃に向かうのかを。
入玉を防ぎ、逆に王を詰ますその手順を……
この将棋は、みんなが作ってくれた将棋だと思う。
文人たちの大熱戦の将棋が、奏多さんに入玉を意識させた。
葵ちゃんのおかげでおれの終盤力は、かなり強化された。
部長のおかげで、ここまで追い上げをすることができた。
そして……
妹のおかげで、この将棋に勝つことができる。
おれたちが兄妹となってから、たくさん練習将棋をした。
まだ、1か月しか経っていないのに、その数は100を超えるだろう。
かな恵の怪しい将棋は、おれに新しい世界を見せてくれた。
みんなのおかげで、おれはもっと強くなれる。この団体戦の勝利をみんなで祝いたい。
だから、おれは勝つ。
おれは、最弱の駒「歩」で敵の飛車の行動範囲を封鎖した。これで、おれの王はもう詰まない。
奏多さんはそれを確認して、悩む。しかし、もう彼女に余裕は残されていなかった。チェスロックが、秒読みをはじめたのだ。もう一手30秒で考えなくてはいけない。
「もうそんな時間?」
奏多さんは狼狽した声を出す。激闘の将棋は対局者の時間感覚をゆがませる。
奏多さんは、攻撃を諦め入玉を目指す一手を指した。それが、おれがしかけたトラップだと気がつかずに……
そのために、かな恵の怪しい手をまねしたのだ。部長の勝負術を活かすために。葵ちゃんと鍛えた終盤力を活かすために。たくさん練習に付き合ってくれた文人に勝利をプレゼントするために……
おれは、王の斜め前に金を打ち込んだ。さきほど、龍が移動していたために、これは即詰みの手順になってしまう。かな恵をまねした一手は、この手順に誘導させるための布石だった。気がつかないようにして、知らず知らずのうちに相手の王の包囲網は完成していたのだ。
奏多さんは、ミスをして詰み筋を見逃してしまった。大名人すら、公式戦で1手詰を見逃したことがあるように、時間との勝負はミスを誘発させやすい。おれは、時間を使って、大番狂わせをおこした。部長が提案してくれた詰将棋マラソンの効果だった。




