第百六話 逆転
奏多さんは、おれの駒を取ろうと一瞬、進軍を停止させた。より勝利を確定させようとする一手だ。おれがこのままいってしまえばずるずると土俵際に追い立てられて負けしてまうのは確定だ。
このままではいけない。普通に将棋をしていたら負けてしまう。おれは部長に教えてもらった逆転のテクニックを今こそ使うべく駒を動かした。全部隊による強引な特攻だった。
おれは部長の言葉を思い出す。相手を泥沼にひきずりこむそのテクニックを。
「テクニックその1。王手をかけられるようにする」
将棋は王を捕まえなくてはいけない。だからこそ、詰みの前段階の「王手」をかけられるようにしなくては、将棋では勝てないのだ。
王手さえかけてしまえば、もしかすると相手が間違えてくれるかもしれない。
そうしたら、おれは逆転できるのだ。最後まであきらめずに全力を尽くす泥臭い将棋。
でも、それがこの絶望的な状況で唯一の道だった。
おれは角を切り、金と交換する。これで王の最大の護衛役の金の排除に成功し、同時にこれが王手となる。唯一敵陣で孤軍奮闘していた角を犠牲にして、活路を切り開いた形だ。奏多さんは、この角の意味について時間を使って検討している。いくら相手の王に近づけたからと言っても、まだまだ、相手の方が有利だ。これはあくまでけん制にしか過ぎない。
「テクニックその2。かならず、相手を攻撃できるように動いていく」
これもさきほどのテクニックと同じものだ。
将棋は攻撃しなくては勝てないゲームだ。だからこそ、相手にプレッシャーをかけていかなくてはいけない。そうしなければ、向こうは安心して攻撃を続けることができてしまう。劣勢なときこそ、相手にプレッシャーをかけ続けなくてはいけないのだ。
だから、おれは香車を打ちこんだ。この香車と歩が敵陣のくさびとなって、じわじわと効いてくるはずだ。
このくさびで、奏多さんにはある程度のプレッシャーをかけることができるのだ。このプレッシャーが相手の思考をゆがませて時間を奪い取っていく。そして、持ち時間が少なくなることで、相手は時間に追われてミスをしやすくなるのだ。これは、ボディーブローのようなものだ。相手に余裕をなくさせるために、時間差で効いてくる攻撃。
さらに、連続での攻撃が可能となる。さらに、相手の陣形を崩した攻撃が可能となっていく。まだ、形勢は不利だが、攻撃が続けば続くほど相手は少しずつ調子を崩していくはずだ。これが、将棋はメンタルに依存するゲームだといわれる由縁である。
おれは、最後の逆転のテクニックを行使するために、動いた。




