7 ゲオルグの狂気
「黒い髪か。なるほどな」
ゲオルグは足元を這う蛇の頭部を踏み砕いた。頭を失ってなお暴れる蛇を鷲掴むと、首に短剣で切り込みを入れ、尻尾までの皮を引き剥き、鮮やかなピンク色の肉に喰らいついた。噛み千切り、咀嚼し、また噛み千切る。ゲオルグの唇から血がしたたる。彼は黙々と蛇を平らげた。なぜなのかわからないがゲオルグは戦いの前に生肉を食いたくなる。それも相対するのが強敵であるほど、彼の食欲は増幅する。
今ゲオルグが感じている飢餓感は師を殺す前の、剣聖のルドルフを殺す前の感覚に酷似している。いや、あるいはそれ以上の飢え。
「黒い髪の男」
シドの街でシジナとカガネが集めた情報を反芻するように呟く。
虐殺を行ったのは黒い髪の男だったという。
「そして異貌」
その顔立ちは大陸の人間のモノではなく、遥か異国、海の向こうの民族のモノだという。
「死者を弄ぶ残虐性、そして常軌を逸した剣の腕」
それらの情報が、彼の記憶からある言葉を引き出した。
師ルドルフが弟子を集め語ったある言葉を。
『極東にキダカあり』
ルドルフは険しい老顔をさらに歪ませ、絞り出すように呟いた。
『その妙技、もはや魔人の域。我が弟子たちよ、もし何らかの事情により貴公等が海を渡り極東の地を踏むことがあったとしても、よいか、キダカと名乗る者には関わらぬことだ。私はキドウ・キダカという男と戦い』ルドルフは上着をはだけた。そこには刃物による壮絶な傷跡が幾本も走っていた。『私がこれまでの人生のうちに受けた傷の八割は、あのキダカと名乗る男によってつけられた物だ。ザンマケンジュツキダカリュウ。それが奴の剣の名だ』
そこまで言うと師は押し黙り、最後に一言だけ
『絶対に戦うな』
とこぼした。
「貴様が、そうなのか」
誰にともなくゲオルグは問いかけた。
当時ゲオルグは師の言葉に興味を掻き立てられ、極東のザンマケンジュツキダカリュウについて調べた。だが極東の皇国は荒海に囲まれた島国であるがゆえに非常に閉鎖的であり、また悪鬼と呼ばれる魔物(大陸でいうところのトロールやヴァンパイア)と戦争を繰り返しており、あまりに危険なため諸国は詳しい皇国の情報を入手できずにいた。
ゲオルグは大金と法王騎士団の地位を利用し、集められるだけの情報を集めた。
それでもわかった事は僅かだ。
皇国には退魔の一族が数多く存在すること。
その中で二つの流派が頂点に君臨しているということ。
ひとつは皇族の守り人。陛下に仇なすあらゆる魔を屠る流麗なる処刑人一族。誅戮の白刃 神代家。
そしてもうひとつ。神代家とは対称的な、皇国の闇のさらに奥に棲む剣鬼たち。もはや鍛練とさえ呼べぬ凄絶な修行と滅魔結界により作られた蟲毒による完璧なる選別。殺戮に特化した血を選りすぐり、さらなる修行で技を磨き、地獄の戦場で狂気を育む。そのあまりの残虐性から『奴等は人ではなく怪だ』と忌避される鬼殺しの一族 鬼鷹家。
他にも知り得たことはあるが、大まかにいえばこの程度だ。
つまり、何もわかっていないにひとしい。
だから、ゲオルグは判断できずにいる。
シドの街で殺しを行った黒髪の男は、ナイフを使っていたという。二本のナイフで瞬く間に男を解体したという。
もし奴が極東の人間ならば、カタナを使うはずだ。
そうなると、とゲオルグは思う。少ないとはいえ大陸にも黒髪の人種はいる。それにあれだけの殺戮だ。街は混乱していた。人々が犯人の顔をしっかり見ていたか甚だ疑問である。となれば見間違え、ゲオルグの追っているのは極東の人間などではなく、単なる殺し屋。
「まあいい。奴が何者にせよアレだけの凄腕、そうそう出会える相手ではない。ぜひ手合わせ願いたい」
「ゲオルグ様、お待たせしました。イシドロスのいう通り、この先に獣道がありました」
「奴の話が本当なら、そこを通れば半日は早くクインに着きます」
森の中からシジナとカガネがゲオルグの前に現れた。
「そうか。あの娘がこの村を出たのは今朝だったな。その道を行けば追い付くのは容易だろう」
「しかしよろしいのですか。イシドロスの言葉に嘘があるようには思えません」
「クイン小国へ行けばシシリカ様と刃を交えることになるかもしれません」
「そうはならない」ゲオルグは腰かけていた岩から立ち上がり、歩き出す。「猟犬同士の私闘は禁じられている。確かにあの女とは是非戦ってみたくはあるが、ヴェルカの猟犬の掟を破れば当分仕事に参加することができなくなる。度が過ぎれば永久追放、ばかりか死刑もありうる。猟犬創設メンバーのシシリカはそれを十分承知しているはずだ。つまりあの女は暗にこう言っているのだ。『クインへ着く前に終らせろ』と。だからイシドロスは私たちに近道を教えた。私としてもクインのような大都市に逃げ込まれると仕事がやりにくい。どちらにせよ奴等がクインの門を潜る前に終わらせようと思っていたところだ」
「そうですか」「承知しました」とふたりは胸を撫で下ろした。
ゲオルグはからかうように嗤うと「怖いか?」と双子に聞いた。
「貴様たちはシシリカを恐れているようだな」
「それは・・・これでも私たちは共和国ギルドの金級です。ザルザド共和国ギルドには暗黙の掟が存在します。この国を拠点とするふたりの罪人、暴虐のグラントンと死二神シシリカには手を出すな、と」
「黒金級でさえ迂闊に手を出せない無法者です。ゲオルグ様ならば恐れる必要はないでしょうが、私たちからすればやはりシシリカ様は恐怖の対象、いや、畏怖の対象というべきでしょうか。同姓であるだけになおさらその感情は強いです」
「そうか。まあ気に病む必要はない。恐怖は実に大切な感情だ。恐怖を忘れたものは、恐怖に喰い殺される」
もっともそれはある領域までの話だがな、とゲオルグは心の中で嗤う。ゲオルグにはもはや恐怖などない。たとえ恐怖を感じたとしても、それをすり潰す術を心得ている。彼はどれだけ人を殺そうと、どれだけ敵が多かろうと、どれだけ相手が化け物であろうと、恐怖のために引き下がることなどありえない。むしろそういう戦いを愉しむのだ。血に酔い、殺しを味わい、死に歓喜するのだ。そうでなければヴェルカの猟犬とは呼べない。
(貴様もそうだろう、殺戮者よ)
自らが追っている男に向かい、ゲオルグは問いかける。
(貴様も私と同じ、剣の技を高めるために、殺しの快楽を味わうために、そして自らの持つすべての技術を出し尽くざるを得ないギリギリの殺し合いを望んでいるのだろう?)
ゲオルグは大剣を引き抜きその刃を眺めた。美しく磨き抜かれた刃面に彼の凶悪な顔がうつった。
「もうすぐだ。もうすぐ貴様に追いつくぞ」
ゲオルグは剣を戻すと足を早めた。
「シジナ、カガネ、急ぐぞ。二日以内にクインの城門前に到着し奴等を待ち伏せる。死二神の忠告どおりクインの中では暴れん。だが外なら問題ないのだろう、シシリカ。ついでだ、貴様を招待しよう。私と名も知らぬ殺戮者との殺し合いに」
陽が傾きはじめた。三人の影が不気味に伸びる。ゲオルグの顔を鳥影が覆った。見上げるとそれは鷲だった。鋭い爪に羊を抱えていた。無様に捕らえられた獲物は血を流していた。その血の筋が、なぜか彼には蛇に見えた。




