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5 追うものと追われるもの






「衛兵に保護を求めたところで奴を止めるのは不可能です。かといって共和国ギルドも信用できません。ギルドの中にはヴェルカの猟犬の信奉者や買収された職員が多くいます。たとえそれらを潜り抜けることが出来たとしても、ゲオルグを相手にできるのは黒金級オリハルコン・クラスの冒険者だけです。ですが黒金級はギルドでも一握り、雇うことなどできません」


 アシュレイは奥歯を噛みしめ、真っ直ぐな瞳でラセツを見た。


「僕がヴェルカの猟犬について話したのは、奴等がどれだけ危険な存在か知ってもらう為です。黒金級(オリハルコン・クラス)に匹敵する傭兵集団・・・本当は奴等について話したくなかった。話せばこんな依頼は誰も引き受けてくれない。敵がヴェルカの猟犬とわかっていてこの仕事を承諾してくれるのは、イカれた人間だけです」


「まるで俺がイカれているようないい方だな」


 ラセツは射るように彼を見た。


「違うんです」慌てたようにリリィはラセツの方に身を乗り出した。「アシュレイはそんなつもりで言ったんじゃないんです。ただ」


「いえ、お嬢様。僕はそういう意味で言ったんです」リリィの手を握り、アシュレイはラセツを見据えたまま告げた。「キダカさん、僕はあなたがイカれていると思います。森でのあの剣技、そしてあの殺し方・・・これでも僕は騎士団にいました。戦場に立ったのも一度や二度ではありません。だからわかります。シュナド帝国騎士団ではあなたのような人間を【深淵の囚われ人】と呼びます」


「深淵、六属性提唱論か」


「知っているのですか」


「シュナド帝国とは魔導師トルトニスの母国だろ。奴の本は何冊か読んだ」ラセツは壁のランプを見つめた。まるでそこに過去への扉が開かれているとでもいうように。「ガキの頃俺に部屋などなかった。屋敷の書蔵に忍び込んで寝ていた。色々と読んだ。ああ、本当に色々とな」


 ラセツは嗤った。二本の鋭い犬歯が唇から覗いた。


 その異様な笑顔に、ふたりは息をのんだ。


「イカれているか。この大陸に来てその言葉をよく耳にする」ラセツはナイフを引き抜いた。彼の手の中で刃物は踊るように回転した。「教典にしろ神話にしろ哲学にしろ、俺の読んだ書物が俺の人格を形成したと思うか? それとも血縁の家畜どもが向ける嫌悪や軽蔑が俺を歪め、血で血を洗う鍛練や凄絶極まる蟲毒こどくが俺の運命を決定付けたか? 人を殺し、魔をほふり、鬼を鏖殺おうさつするそのすべてが血肉となり俺を狂気へと駆り立てたか? さあ、どうだろうな。本当はそんなことは何一つ関係なく、後天的ではなく先天的な要素こそが俺を俺たらしめているのかもしれない。俺が血濡れの舞台で踊るのは必然であり、それは俺が生まれる遥か以前から世界そのものに刻まれていたのかもしれない。トルトニスは晩年『魂とは肉体の一部であり、臓物にすぎない』と自説をくつがえしたが俺は魂とは独立したモノだと考えている」


 ラセツはそこで言葉を止めた。


「深淵。俺の国の言葉でいえば魂獣たまげものだ。獣の魂を宿して生まれた嬰児えいじを指す」


 瞬間、ラセツは鮮やかな手つきでナイフを投擲した。


 窓際の席に座っていた男が椅子から転げ落ちた。店内から悲鳴が上がった。


「キダカさん!なんてことを!」


「アレは俺とお前たちを見張っていた男だ。正確にいえばお前とそっちのお嬢さんをな」


 ラセツは立ち上がった。


「そうか・・・ディノス・マクシェインは手下をこの街に潜ませていたのか。あの男なら考えられる」


 アシュレイは納得したように男を見た。太腿に深々とナイフの突き刺さった男は痛みに悶えていた。


 リリィは身を震わせアシュレイにしがみついた。


 ラセツはさらにもう一本ナイフを抜くと、倒れた男に向かって歩いていく。


「荷物をまとめて今すぐ街を出ろ。俺もすぐに追いつく」


「それは、つまり」


「ちょうど文無しでね、この仕事は渡りに船だ」


 ラセツは振り返り「さっさと行け」と促す。


「ありがとうございます」


 ふたりはラセツの背にそう言うと店を飛び出す。


「さて、お前には少し聞きたいことがある」


 ナイフを持ったラセツを見て客や店員は店から避難した。がらんとした店内はラセツと男のふたりきりになった。ラセツは男を見下ろした。男は腿を押さながら彼を睨み、その顔に向かって唾を吐き「死ね」と吠えた。唾はラセツの額を汚し、頬を伝った。


「あまりふざけた事をせずに、俺の質問に答えろ」ラセツは太腿に突き立ったナイフの柄を踏みつけた。男は一瞬硬直したかと思うと、凄まじい悲鳴を上げ始めた。ラセツはその悲鳴など聞こえないとでもいうように柄を弄び続けた。「質問に答える気になったか? もしまだ痛みが足りないというのなら、しかたない。鼻と耳、どちらを削ぐか選ばせてやる」


「なんでも、なんでも聞いてくれ」


 びっしょりと汗をかいた男は壁にもたれながらそう喘いだ。


「まさしく素直さとは美徳のひとつだな。最初からそうすればいいんだ」


 ラセツの嗤い声が響いた。


「お前は何だ? あの優男の仲間か? 胸に銀細工をぶら下げていた男だ」


「ああ、そうだ。俺はディノスさんの、手下だ」


「この街にアイツの手下は何人いる」


「俺を含めて、三人だ」


「何処にいる?」


「この大通りの、路地裏にある、ネストルの酒場だ」


「そうか」ラセツは男の太腿からナイフを引き抜いた。血が噴き出す。彼は赤く濡れた刃面を眺めた。「やはりいい刃物だ。この切れ味なら牛鬼うしおにすら軽々とらせる」


 ラセツの両手で二本の刃が光った。


「もうお前に話はないが、最後にひとつだけ頼まれてくれ。ゲオルグという男に俺から言付けがある。なんだったか、裏切りの騎士だったか? ずいぶんと有名らしいから知ってるだろ?」


「き、貴様は、死ぬぞ。ヴェルカの猟犬の、邪魔をして、生きていられる奴は、いない」


「どうかな。狩りとは獲物と相対するまで結果の見えない遊戯だ。鹿を狩るつもりが狼だったなんてことにならなきゃいいがな。いや、狼ならまだいい方だ。鬼だったらどうする? あるいは獣だったら。猟犬程度に喉笛を喰い千切れるか見物だな」


 ラセツの瞳にランプの炎が反射した。彼の眼が血のように赤く染まった。











「リリィお嬢様、足元にお気をつけください」


 アシュレイは提燈カンテラで前方を照らしながら声をかけた。


「はい」リリィはアシュレイの手を握った。「こうしていれば転びません」


 アシュレイはびくりとし、手を離すべきだと思ったが、心の内とはうらはらにリリィの手を握り返していた。


「月が綺麗」


 リリィは夜空を見上げた。煌々たる満月がふたりを照らし出した。雲ひとつない夜空だ。この明るさならカンテラで十分夜道を歩いていける。


 アシュレイはリリィの横顔を見た。白銀の月光が彼女の金髪を()かした。透き通るような白い頬が輝いていた。大きな瞳は潤み、仰ぎ見る銀河を鏡のようにうつしていた。凶悪な猟犬に付け狙われている少女には見えなかった。星のように綺麗な少女だ。いやアシュレイからすれば星よりも美しく、自分の命よりも大切な少女だ。


 アシュレイはリリィの頬に手を伸ばした。


「ア、アシュレイ?」


 リリィは少し震えながら彼を見上げた。アシュレイの掌の中で彼女の頬は熱を持っていった。数瞬の困惑はすぐに消え、リリィはアシュレイの掌に頭をあずけるように力を抜いた。何かを期待しているように見えた。


「勝手にあの人と話をしてしまい、すいません」アシュレイはリリィの瞳を見つめながら呟いた。「ですが、他に手が思い浮かばなかった。僕ひとりでは、ゲオルグからお嬢様を護りきれない。それであの人に声をかけたんです。あの人が危険だということはわかっていました。それでも、いやだからこそ、もしかしたらあの人ならヴェルカの猟犬と戦えるかもしれないと・・・いえ、言いわけは止めます。貴女を護れない不甲斐ない騎士をどうか笑ってください」


「あなたが正しいと信じることを、わたしは信じます」


 リリィはアシュレイに一歩近づいた。


「わたしはあなたと一緒ならどこに行ったってかまいません。あなたと一緒に生き、そして死にます」


 その言葉がまるで求婚のような意味合いを含んでいることに気づいたリリィは、顔を真っ赤にし、しかしうつむくことはなかった。彼女の桜色の唇が震えた。


 アシュレイとリリィの視線が交わった。


 まるで吸い寄せられるようにふたりの頭部が重なり


「騎士というのはもう少し固い職業だと聞いていたんだが、どうやら違うらしいな」


 ふたりの背後で愉しそうな声が響いた。


 慌ててふたりは身を離した。


「悪いな。俺もお前等を邪魔したくはなかったが、あいにく手持ち無沙汰でな」


 闇の中からラセツが現れた。


「キ、キダカさん、違うんです、別に僕とお嬢様はそういう関係では」


「いえ、そういう関係です」


 リリィは少し拗ねたようにそういった。普段からおとなしく内気な彼女にしては珍しく感情的だった。いまだ身分の違いに気後れしているアシュレイと、彼とのキスを邪魔されたことが原因かもしれない。それでもすぐにアシュレイに身を寄せたのは愛情の深さゆえか。


 しばらくのごたごたの後、三人は歩き出した。


「それでキダカさんは街に残って何をしていたんですか?」


 アシュレイの問いに「仕事だ」とラセツは答えた。


「俺はお前等の用心棒だ。こう見えて俺は仕事に忠実だ。だからやることをやってきた」


 そう言うとラセツは頬を舐めた。そこには血が付着していた。












 ゲオルグはその死体の前で足を止めた。一面が血の海だった。


「この殺し方、ディノスを殺した者の犯行ですね」


「血が固まっていません。まだ新しいようです」


 彼の背後で双子がそう言った。


 ゲオルグは先ほどミドの街に到着した。すっかり夜だった。大通りを歩いていくと、黒山の人だかり行き当たった。衛兵や冒険者の姿も混じっていた。悲鳴、嗚咽、嘔吐する音が往来を汚していた。ある種の直感から ―――それは猟犬の嗅覚だ――― ゲオルグは人だかりを押し退けその店を見つけた。何処にでもあるような飯屋だ。先ほどの報告が詰め所にあがっているのだろう、衛兵たちはゲオルグから逃げるように後退した。ハイエナのような冒険者たちも彼の姿に、そして金級(ゴールド・クラス)のプレートを身につけた双子に気後れし遠巻きから眺めているだけだった。


 ゲオルグは店内に足を踏み入れた。濃密な血臭が鼻をついた。そしてそれを見つけた。


 男は解体されていた。裂かれ、削られ、切断されていた。


 だが、先ほどとひとつだけ違う部分があった。


 壁だ。


 ゲオルグはそれを見つめた。


 赤い筆致が踊っていた。


『ガキどもを狙う奴等はこうなる』


 壁にはでかでかと血でそう書かれていた。


「ネストルという酒場でも同一の死体と血の文字が発見されたようです」


「私たちに対しての警告でしょうか。ずいぶんと悪趣味ですね」


 双子の言葉を「違うな」とゲオルグは否定し、壮絶に嗤った。猟犬の笑顔だ。


「これは私に向けてのメッセージだ。挑発だよ」同じ殺戮者同士だからこそ共有できる超感覚によって、ゲオルグはラセツの考えを理解した。「『追ってこい』そう言ってるのだな」


 ゲオルグは背から大剣を抜き


 一閃。


 壁の血文字を一刀両断した。


 まるで血文字が彼の求める獲物だとでもいうように。あるいはこれから殺す相手を今ここで定めたとでもいうように。


「娘と騎士、そしてそのふたりに同行しいる人物について情報を集めろ。特にこの殺戮を行った者について念入りにな。これだけ派手にやっているんだ、必ず目撃者がいるはずだ」


「はい」


「必ず」


 シジナとカガネは頭を下げ、街中に消えていく。


 ゲオルグは大剣を背に戻し、店を後にした。


「明朝より追跡を開始する。何者か知らないが、ヴェルカの猟犬の名にかけて、必ず貴様を狩るぞ」


 低い嗤い声がミドの街を漂った。






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