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3 物の価値について語るラセツと騎士の少年






 ラセツは立ち止まった。


 彼は街の中心を横断するように延びる大通りを歩いていた。往来には人が多く、道ばたで物の売り買いなどが行われていた。行商隊キャラバンや旅人の休憩地のような街なのだろう、多種多様な人々がいた。そんな中にあってもラセツの黒髪は珍しいのだろう、すれ違う人々は奇異の目を、あるいは嫌悪の眼差しを彼に向けた。ときおり巡視衛兵パトロールがラセツをジロジロと見たが、近づいてくることはなかった。


 ラセツは一軒の店の看板を見た。鍛治、あるいは武具屋という旨の文字が書かれていた。鉄と火の臭気が漂っていた。刃物の匂いだ。


「いらっしゃい」


 店に入ると奥からしわがれた声が聞こえ、初老の男が顔を出した。鍛冶屋に特有の、筋肉質ではないが鉄のように引き締まった身体の男だった。顔、首、とりわけ手に深いしわが刻まれていた。


「何をお探しで?」


 店内を眺めるラセツに店主はそう声をかけた。


「いや、特にはな」ラセツは壁や棚に並ぶ剣や盾を眺めながら呟いた。「鉄の臭いがしたから立ち寄ってみただけだ。この国のソードと呼ばれる剣をしっかり見たことが無かったからな」


「その黒い髪、アンタ海の向こうの民族かい」


「ああ」


「この街でアンタみたいな人種を見るのは珍しいな。この近くの港町といえば、南のサムウェルか東のシュヴリオルか。たいてい向こうの国の人間は港町で商売するもんだが、アンタは」


 その時店主はラセツの腰物こしものに気づき、目を見開いた。


「お前さん、そりゃまさか『カタナ』か」


「ああ」


「てことは、アンタ極東の人間か」


「極東? ・・・ああ、そういうことか。確かにこの国の位置からすれば俺の国は東の外れかもな。いや、最果てといってもいい」


「驚いたな。極東の人間に会うのもはじめてだが、カタナを見るのもはじめてだ」店主はまじまじとラセツの得物を凝視した。まるでそうすれば鞘の上から刀身を透かし見ることができ、しのぎや刃紋を観察できるとでもいうように。「たまたま立ち寄ったお客さんに、こんな願いを口にするのは間違ってるとわかってるんだが、もしよければ少しそのカタナを見せてくれないか?」


 ラセツは店主をた。彼は自分の刀を他人の手に渡すのを好まない。とりわけ先ほどの野盗のように信念も矜持も無く、孤高の意味すら理解せず、ただ群れ集まる家畜どもに彼の刃物を触られるのは冒涜だった。殺戮と殺し合いの内奥うちに潜む血の聖性を理解しない者どもはラセツにとって無価値だ。なぜなら彼が求めるのは獣であり豚ではないからだ。ただひとりディノスという男だけは見所があった。だが意思に腕が追い付いていなかった。そういう奴は結局死ぬしかない。


 目の前の初老の男の瞳から、ラセツは信念のようなモノを読み取った。


 彼の対人感度は異常だ。鬼鷹流の修行や鬼ノ蟲毒おにのこどくなどの鍛練によりつちかわれた部分もあるが、ラセツの鋭敏な嗅覚はそれだけでは説明がつかない。彼は感情さえ嗅ぎ取る。まさしく獣の如くだ。


 店主の瞳に浮かんでいたのは自分の人生に対する矜持だった。


 ラセツはカウンターに近づき腰から刀を一本抜くと店主に差し出した。店主は教皇から聖体を拝領するとでもいうようにうやうやしく刀を手に取った。


「美しいな。これほど残酷な剣は見たことがない」店主は魅せられたように刃面はづらめた。刃物というよりはほとんど血というべき濃い鉄臭が立ち上った。店主はにやりと笑った。「ここまで血を吸った剣を見るのもはじめてだ。一目見てただの旅人じゃないとは思っていたが、アンタ本当に何者だ? この刀はヤバイな。一体どれだけ殺せばここまで血が染みつく? 昔血の巡業団ブラッディ・トループ首狩り刀サーベルを研いだ事があるが、こりゃあそれ以上だ。極東ってのはいまだに悪鬼たちデモンズと内戦を繰り広げてると聞いてるが、にしても酷いな。気を悪くしないでくれ、誉めてるんだ」


「お誉めに預り光栄だな」


「こいつを研ぐのは大変だろうな」


「研ぎたいのか?」


 ラセツの問いにしばし沈黙した店主はひとしきり刀を眺めたあと「やめとくよ」とこぼした。


「色々研いできたがカタナは専門外だ。へまをしてアンタに殺されたくないんでね」


「殺すとは限らない。片腕を貰うくらいかもしれないぞ。あるいは両腕を」


「そうなりゃ商売が出来ず飢え死にだ。殺されるよりたちが悪いぜ」


 店主は刀を差し出した。ラセツはそれを腰に戻すと踵を返す。


「邪魔したな」


「ちょいと待ってくれ」


 店主はラセツを引き止めた。


「なあアンタ、刃物を買う気はねぇか?」


「あんたの仕事を貶める気はないんだが」ラセツは店内をぐるりと見回し「悪いが俺が見るほどのモノはここには無いらしい」


「ああ、ここにはな」


 そう言うと店主は奥へ引っ込み、鞄を持って現れた。革張りされた鞄だった。その革が人間、亜人、獣などの多種多様な革を継ぎ接ぎされて造られた物だとラセツはすぐに気づいた。


 店主はカウンターの上に鞄を置くと鍵を外し、ラセツに向けその口を開いた。


 ほう、とラセツは感嘆の声を漏らした。


 鞄の中には四本の刃物が納まっていた。


匕首あいくちか、いや違うな。こういう物をなんといったか」


「ナイフだ」


「ナイフか」


 ラセツは「手にしても?」と店主に聞く。店主はうなずく。彼は折り目正しく並んだナイフの中から一本を取り出すとその刃を眺め、その刃面を撫で、その匂いを嗅いだ。


「こいつはいわくつきの品でな」店主はラセツがナイフを流麗に操る姿を眺めながら語り始めた。ラセツの手の中でナイフは熟練の踊り子が舞台の上で華麗に舞うように踊っていた。淫靡いんびな舞踏者のようでもあった。「十四世紀頃、南シューボンス地方の領主にシャトル・ロド・レーバンズ男爵という貴族がいてな、領民の言葉に耳を傾け、教会にも多額の寄付をし、放蕩にふけるわけでもない、非常に謹み深い男だった。それゆえ民からの信頼も篤くてな、敬虔のレーバンズ様と慕われておった。だがこの男はそんな人間ではなかった。ある時レーバンズは城下を訪れると、ほとんど無差別に領民を虐殺した。その数が25人を超える頃ようやく数人の農夫がレーバンズを取り押さえ、牢に放り込んだ。数日後、王都から派遣された騎士団がレーバンズ城の地下室に踏み入り、ほぼ例外無くすべての騎士が嘔吐した。そこは地獄だったそうだよ。レーバンズの供述によると彼は今までに264人の人間を拷問し、殺害している。被害者の革で鞄を造り、人間の骨で家具を製作し、その肉を喰っていたそうだ。人間の被害者はそれだけだが、亜人や魔獣を含めればどれだけの数に上るのかわからなかったそうだ。もちろん彼は処刑された。火あぶりだよ。炎が四肢を舐め、焦げていく自分の肉の臭いを嗅ぎながら、レーバンズは最後まで叫んでいたそうだ。『わたしは神をなみする者だ!』と。・・・私はこれで若い頃はそこそこ名の知れた古物商でね、まあ色々あって今じゃこんなところで鍛冶屋をしてるわけだが、昔から刃物が好きだった。手元の品を手放さなきゃならなくなった時、どうしてもこの四本のナイフだけは、シャトル・ロド・レーバンズの愛用していたこのナイフだけは売りに出せなかった。だが不思議だよ。アンタを見た瞬間、コイツを見せるべきだと、そう思ったんだ」


 店主の長広舌ちょうこうぜつが終わった。


 話を聞きながらラセツは四本のナイフの見極めを終えていた。


「で、アンタに聞きたい。どう思う?」


「いい刃物だ。素晴らしいといっていい」


 ラセツは店主に嗤いかけた。


「いくらだ?」


「いくら出せる」


 ラセツは少し考え懐から布袋を取り出しカウンターの上を滑らせた。店主が受け取り中を覗くと驚嘆するように声をあげた。


「いやいや、確かに相当の値打ちもんではあるが、いくらなんでもこんな大金は」


「価値ある物に金を払うのは当然の礼儀だ。摂理といってもいい」


「そりゃそうだが、市場の相場でいえばもう少し」


「人間が一生の中でその価値を見極められる対象は限られている」店主を遮るようにラセツは口を開く。「俺の中ではその数少ない物のひとつが刃物だ。俺は俺の価値基準に絶対の信頼を置いている。たとえばある男が絵商から浮世絵を買うとする。男が買うのは無名の絵師の浮世絵だ。商人はその絵に価値などない、この有名絵師の絵を買うべきだと違う絵を提示する。だが男はその無名の絵師の絵をこそ気に入り購入を決めたんだ。男は商人に法外な額を支払い絵を持ち帰った。この絵にはそれだけの価値があると。絵商は男を『愚か者』と蔑み笑った。だがこの場合本当に愚かなのはどちらだ? 自分の価値を信じた男か、それとも他者の価値を信奉する商人か。おのれか影か。生者か死者か。真理か神か。意見はわかれるところだろうが、ひとつ言わせてもらえば、俺は愚かでいい」


 ラセツはナイフを手に取る。


「俺の話を理解したならその金を受け取れ。俺の全財産だ」


「わかった。アンタを尊重する」店主はラセツにナイフホルダーを投げた。「そいつはサービスだ。ちょうど四本納められる」


 ラセツはホルダーを腰に巻くとナイフを納めた。


 まるで最初から身に付けていたかのようにナイフはラセツに馴染んだ。


「アンタがこの国で何をするつもりなのか知らないが、幸運を」


 戸口をくぐるラセツの背に店主はそう言った。


 手を上げて応えると、ラセツは往来に出た。


 午後の陽差しはさらに傾き、空は薄く赤みをおびていた。


「文無しになっちまったか」ラセツはナイフの柄を撫でると苦笑した。「まあいい。なるようになる」


 歩き出した彼の前方に、ひとりの少年が立ち塞がった。


 ラセツは剃刀のような眼で少年を眺めた。精悍な顔をしていた。薄茶色の髪が風に揺れた。疲れているように見えたが、その眼には火が入っていた。まるで子犬を守る親犬のような気配だった。アシュレイだ。


「お前は、あの森で絡まれていたガキか」


「はい。先ほどはありがとうございました」


「別に助けた覚えはないけどな」ラセツは鋭い眼光で少年を射った。「それで何の用だ。俺が店を出るのを張ってただろう?」


「気付いてたんですか」


 ラセツはそれには答えずに無言でアシュレイを見つめ「用件がないなら消えることだ。お前に見覚えがあり敵意がないから見逃してやってるが、本来俺をつけ狙うような奴には死んでもらっている。次俺を尾行したら殺す。わかったか?」


 それだけ言うとラセツは少年の横をすり抜けようとした。


「待ってください」アシュレイは頭を下げた。「尾行したことは謝ります。ただ、どうしてももう一度あなたに会いたかったのです。あの森での剣技、あなたがただ者ではないとお見受けしました。だから、お願いします。少しの間だけでいいんです。どうか僕の話を、僕とお嬢様の話を聞いてくれませんか」


 頭を上げたアシュレイの瞳をラセツは覗き込んだ。


 どうやらそこには信念のようなものがありそうだった。






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