11 獣顎鬼牙ノ如シ
「あの男、いったい何者ですかね」
イシドロスは壮絶な剣戟を見つめながら呟いた。
「まさか、無名の男がゲオルグ様と互角に戦えるなんて」
「互角?」シシリカは眉をひそめ戦鎌の柄に手をかけ、刹那、イシドロスの首に鋭利な刃が押しつけられていた。「アンタさ、アタシの部下なんだからテキトーなこと言うんじゃねぇよ。テメーの眼は節穴か? よく視ろ、互角じゃねぇ。黒髪の方が圧してる」
冷や汗の流れ落ちるイシドロスの首から鎌を離すと、シシリカは肉食獣の眼をさらに凶暴に細め、ラセツの動きを追った。踊るように華麗でありながら、獣のような残酷さを秘めた、極東の剣技。
「し、しかし」イシドロスは呼吸を落ち着けながらシシリカに問う。「どうやっているんですかね。あんな細い剣でゲオルグ様の大剣と斬り合えば、普通一撃で叩き折られそうなものですが」
「受け止めてねぇんだよ。あの野郎、全部捌いてやがるんだ」
シシリカは血が滾るのを感じた。
「イカれた剣の腕だ。こりゃあ、マジで面白いことになるな」
シシリカの顔面に狂気の笑みが浮かんだ。
「イシドロスさぁ、ヴェルカの猟犬が殺された場合の掟は?」
「ヴェルカの猟犬の死亡が確認された場合、まずはその死因を調べます。事故死、病死、自殺、各国の法律による極刑、そして他殺。特定が済み次第その内容を団長に報告、三ヶ月以内にヴェルカの猟犬の会合が開かれ、そこで議論が行われ、採決が取られ、最終決定が下されます。事故死などに関してはおおむね団員の補充で意見が一致します。極刑の場合は事例がないのでわかりませんが、その国への何らかの報復行動が取られると考えられます。そして最後の他殺ですが、これが一番簡単じゃないですか? 殺害者が特定された場合、ヴェルカの猟犬全員、たとえどれだけ重要な仕事を請け負っていたとしても、その時点ですべてを放棄。猟犬の名にかけて、同胞に牙を向けたものを全力で狩り出し、殺す」
「よく覚えたな」
「シシリカ様の部下ですから、というか覚えてなかったら俺のこと殺してましたよね?」
「まあね」
「こんなことを聞くなんて、最悪の事態を想定しているってわけですか」
「どうかな」シシリカはゲラゲラ嗤いながら眼下で繰り広げられる戦いに見入った。「どっちにしろ、愉しい展開が待ってるぜ」
悪鬼や魔物の膂力は人間の比ではない。
腕力だけで人間を捻り潰し、剣を振るえば岩さえ砕く。
ゲオルグの怪力はそういう化け物の域に達している。身の丈ほどもある大剣を軽々と操るその姿はまさに大鬼。ヴェルカの猟犬とは人を越えた化け物集団、一騎当千の猛者どもを集めた恐るべき傭兵たち。
剣聖の技を受け継ぐ騎士の剛剣。
相手取るは極東の退魔師。長きにわたる淘汰と研鑽により研ぎ澄まされた殺戮者の血筋。鬼殺しの鬼鷹一族、その斬魔剣術を完璧に己が物とした一匹の獣。
すべてを屠る悪鬼羅刹の刃。
ゲオルグとラセツの間で剣戟の嵐が巻き起こる。
交わされる火花。鋼と鋼が打ち鳴らす澄んだ音。壮絶な光景でありながら、しかしこの戦いは膠着していた。
その膠着を破るように、ゲオルグが踏み込む。上段から、渾身の縦斬り。
重心の乗った岩さえ切断する一撃を、しかしラセツは楽々と捌く。
「今の剣すら受け流すか」
ラセツの追撃から逃れるためゲオルグは距離を取り、驚嘆したように呟いた。頬、肩、胸から血が流れている。深傷こそないが、確実にゲオルグは圧されていた。
「いったろ。化け物の相手は慣れてる。お前等のような怪力自慢の剣を真正面から受け止めるのは馬鹿のすることだ。ズラし、流し、捌けばいい」
確かにその通りではあるが、ラセツの技は大陸でいうところの高等近接術【受け流し】だ。剣の角度、速度、力の量、重心の位置などを瞬時に見切り、相手の動きにこちらの剣を合わせることで威力を殺し、受け流す。同格の相手はもちろん格下相手にさえ決めるのは困難な技を、ラセツは軽々と、それもヴェルカの猟犬を相手に使っている。実戦経験や戦闘技術などの言葉ではとうてい説明することのできないラセツの戦闘感覚、その魔技。淘汰の果てにたどり着いた鬼殺しの血。まさに当代きっての殺戮者。
ラセツはゲオルグを眺めにやりと嗤った。
「これがヴェルカの猟犬か。まあ悪くない。だが俺の舞台で対等に踊るには力不足だ」
「言ってくれるな。もう私を殺した気でいるのか?」
「それが誰であれ俺と対峙した瞬間にあらゆる死が確定する。お前の太刀筋は見切った。その剣じゃ俺に届かない」ラセツは刀を華麗に振り回した。その様はあたかも神前で舞う司祭や巫女のようだった。不意にラセツは動きを止めると牙を剥いた。「人間は平等だ。だがそれはあくまで神の大局的視点から俯瞰した場合であり遠くから見る山陵はどれも同じに見えるが近づいて観察してみれば群生する草木、生息する動物、それに地質や岩質といった山を形作る地質学的要素までもがすべて異なっている。人間も同じようにひとりひとり能力に差がある。思うに森羅万象すべての物質はやがてある一点、つまり宇宙の極点に収斂するために存在しているんじゃないか、俺たちの生はその最終的な目的へ辿り着くための過程でしかなくもし世界のすべてがその極点に統合されるのだとすれば個性や個体差などは無意味となる。だがお前と俺の能力には決定的な差が生じている。たとえお前が俺と同じ境遇に身を置き俺の経験すべてをなぞったとしても今俺の立っている舞台に上がることは不可能だ。人はそれを才能と呼ぶ。俺は才能とは速度だと思っている。より早く生命の臨界点に辿り着くための魂の速度こそを才能と呼ぶんだ。すべての人間は人神、あるいは超人へと至るために地を這い、泥を啜っている。そういった人々の中でより早く、誰よりも強く高みを渇望する飢餓感、そう、飢え渇いた魂を持つ獣だけが」
ラセツは言葉を止めた。
ゲオルグの剣が首に迫っていた。
ラセツは蠅を振り払うかのように大剣を捌いた。
「俺の演説はお気にめさないらしいな」
「言葉なら十分交わしたんでね。ここから先は剣で語ってもらおう」
「これ以上何を語るんだ? お前の底は見えた。少し期待しすぎたみたいだ」ラセツは左手のナイフをホルダーに戻すと、腰から脇差を抜いた。「だがまあ、そこそこ愉しませてくれた礼だ。さっき言ってたよな、キダカリュウについて調べていたと。極東の剣術に興味があるんだろ? せっかくだ、キダカの技で殺してやる」
ラセツは腰を落とす。
右腕の刀はだらりと垂らし、
左腕の脇差は逆手に持ち胸の辺りで構える。
ゲオルグは一気にラセツから距離を取った。
(構えを変えただけで)ゲオルグの額から汗が流れた。(こうも殺気の質が変わるのか)
ラセツの眼が狂気に燃えた。
二刀を使う鬼鷹流双刀術はラセツの十八番だ。
「結局こうなるのか」ラセツは自嘲するように嗤った。「いつもいつも、最後は蹂躙で終わるんだな」
瞬間、ゲオルグの側面にラセツが回り込んでいた。
「馬鹿なッ!」ゲオルグは驚愕と共に大剣をラセツヘ振るった。
ゲオルグはラセツから一瞬たりとも眼を離していなかった。全神経をラセツヘ向けていた。先ほどのように一瞬で距離を潰されるような愚は犯さないつもりだった。だというのに、その警戒網を掻い潜り、ラセツはゲオルグに迫っていた。
ゲオルグの大剣がラセツを薙ぎ払った。
とたんにラセツの姿が霧散した。
「さすが猟犬だ。雑魚相手じゃこう上手くは決まらない」
ゲオルグの右腕に熱いモノが走り、鮮血が噴き出した。大剣を握った彼の腕が地面を打った。
両腿を激痛が貫いた。深々とナイフが突き刺さっていた。
片腕を欠き、両足を負傷したゲオルグはバランスを崩し、膝をつく。
反撃をしようと左腕を腰の短剣に伸ばした瞬間、肩と肩甲骨の辺りに二本のナイフが突き立てられた。
完全に四肢の自由を奪われたゲオルグは膝立ちでラセツを仰ぎ見た。
「何が、起きた」
「晦ましだ。俺の幻影を視たろ?」
「まさか、魔術を、使えるとはな」
「魔術じゃない。ただ殺気に気を練り込んで飛ばしただけだ。キダカではご大層に【蜉蝣】と呼ぶが少し鍛練すれば誰でも扱えるモノを技と呼ぶのはどうなんだろうな。まあ、お前のように感覚の鋭い奴には有効な幻視術だ。開幕から距離を殺され俺の縮地法に警戒を抱いている奴には、特にな。だが幻影などに気を取られていたら俺の刀から逃れることはできない」
「ククッ、そうか、ずっと貴様の、掌の上だったというわけか」激痛に歯を食いしばりながら嗤うと、ゲオルグはラセツの眼を真っ直ぐと見た。「ラセツ、といったな。師の言葉は、間違っていなかったと、いうわけだ。キダカ、貴様は、強すぎる」
「ああそうだな。俺もそう思う」
ラセツの全身が殺気に包まれた。死を前にしたゲオルグの瞳には、その殺気が物質としてラセツの身体から立ち上っているように見えた。獣の衣のように殺意を纏うラセツの姿は、さながら失われた神話に登場する月光の狼のようだった。
「それじゃ、お前の望み通り剣で語るとするか」ラセツは二刀を構えた。「俺のお気に入りの技で殺してやる」
ゲオルグには何が起きたのかわからなかった。
城壁の上で何ひとつ見逃さぬように集中するシシリカの眼でさえ、捉えられたのは五擊目までだった。
鬼鷹流双刀術【獣顎鬼牙ノ如シ】
この技は鬼鷹流の型である。その名の通り獣が悪鬼の如くすべてを殺戮する様を二刀により表現した、一種の舞踏。鬼爪、獣暴き、火車殺しなどの鬼鷹の基本斬術を連続して行い、全二十五の超速斬擊により敵を屠る恐ろしい魔技。すでに決められた型であるため戦場での応用は利かないが、血の滲むような反復練習により型を演じる速度は増していき、ついには一連の動作を終わらせるのに三秒を切る。ひとたび喰らえば敵はなすすべなく斬り刻まれる凄まじい斬術。ラセツならば二秒を切る。
「逆刃崩しと引打ちの繋ぎが少々遅れたが、なかなかいい乱舞だったと思わないか?」
いつの間にか型を終えていたラセツは、二刀を鞘に戻しながらゲオルグに聞いた。
猟犬は答えない。濁った眼が虚空をさ迷うだけだ。
刀が鞘に収まる澄んだ音が響いた。
同時に、ゲオルグから血が噴き出し、肉塊となって崩れ落ちた。
「ああ、もう答えられないんだったな」




