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そう言えば今思いだしたのだけど、学校の面談が終わった後のついこの間にこんなことがあった。
僕が下校中のことだ。鞄を持って、一人で、車の飛び交う道路の脇を歩いていた。
赤信号に当たって、僕は立ち止まる。すると、そのタイミングで隣に車が止まる。
なにもおかしいことはない。でも、その車はとても豪華というか、黒くて、長くて、立派そうな車だった。僕は、ついじろじろとそれを眺めてしまった。
そうしていると、助手席の黒い窓が、グイーっと移動して、車の中からとても美人な女の人が僕を見ていたことを明らかにした。その人は信じがたいことに銀色の長い髪をして、大人っぽく、出るところが出ていて、スーツ姿の女性だった。そんな女性が、立派な車の助手席に座って、腕を組んで、微笑を浮かべて、余裕を感じさせる表情で僕を見ていた。
「乗ってください」
自信満々な目つきと声色でそう言うと、またグイーっと助手席の黒い窓が移動して、その人を隠した。
そしていきなり後ろの扉が開く。僕はそれを眉をしかめて見るのだった。
実はこの人は、組織の人間なのである。名前を言っておくと、烏丸。名字だけど、名前は知らなかった。
組織とは何かというと、超能力者を集めた秘密組織のことである。僕を誘拐しようとして、洗脳しようとさえしてきたところだ。
結局僕は、この組織の言うなりになっている。そうすれば、今以上の煩わしいことが起きないでいられるからだ。今は、この組織のちょっとした依頼を聞いていれば、僕は普通に学校に通うことができる。依頼は様々で、まあ、危険なものは少ない。
こうした依頼をいつも言ってくるのが、今の人だ。いつも上から目線で、美人で、働いている人間って感じがして、美人で、とにかく僕の苦手な人だ。苦手だ。目を見て話せない。
僕はさっさと後部座席に乗り込んだ。ふかふかの席で、電車の席みたいに二列が向かい合っている。何だこれは。こんな席に意味があるのだろうか? 電車と同じように、僕は隅っこに座る。
すると、わざわざ外から後部座席に、烏丸が入り込んできた。中に足をかけながら、僕を見てにっこりと笑う。僕は少しそれに対して表情をひきつらせてしまった。
どうやらわざわざ助手席から降りて、わざわざ後部座席に乗り込んできたようで、僕の向かいの隅っこにそのまま座ってしまった。
車が発進する。静かな行進で、まるで僕はふかふかのクッションのある狭く豪華な部屋の中にいるみたいに錯覚してしまう。
そして、目の前に烏丸がいるのだった。烏丸は澄ました顔で、堂々と足を組んで、僕を見ている。スカートではないので、目のやり場に困らない。
烏丸が口を開く。
「学校はどうですか?」
親戚のおばさんみたいなことを聞かれた。楽しくやってますと嘘を答えた。
「そうですか」
そう言って、また僕を見つめる。底のしれない、観察するような目つきである。
どうして僕をそんなに見つめるのでしょうか? 実は僕のことが好きだったりするのでしょうか、と言いたくなるが、そんなことは言わない。とても居心地の悪い時間である。僕は露骨に目をそらすこともできず、目線を避けつつ、烏丸の顔の表面をぼかすように見るだけだった。
さて、僕と烏丸の関係性はどのようなものだろうか?
烏丸は僕の雇用主で、僕は被雇用者。僕はバイトをやっていて、バイト先の店長が烏丸で、つまり、僕の上司。
烏丸は僕より年上で、社会人だ。僕はただの学生で、烏丸の年下に過ぎない。子供というほど幼い年齢ではないつもりだけど、僕は若造で、烏丸はバリバリのエリート社会人である。
再三言っているが、烏丸は美人で、人の目を惹くような華やかな存在である。存在が人生のエリートと言える。僕はただの学生で、今では学校で馬鹿にされているような存在だ。少し前でも、それほど目立つ人間ではなかったはずだ。
僕からしてみれば、そんな隔たりのある存在の烏丸は、今、僕の事をじっと見つめている。しつこいくらいに、まるで僕にとても関心があるように僕を見つめる。
この人はもしかして僕のことが好きなんじゃないのか? そんなわけはないし、馬鹿げた考えである。僕はこの人に口説かれたとしても、恐らく裏を読みきって逃げるだろう。この人はきっとたくさん悪だくみを考えているような人で、例え悪だくみを考えていなくても、こんな美人が僕に興味を持つ場合は、それに相応しい理由を持つはずである。
それはつまり、僕の能力である。
僕の能力はちょっとした能力よりすぐれているようで、なにせ世界の支配から逃れるほどの超能力であるからして、僕のサイコキネシスは結構組織の役に立っているらしい。
烏丸は、そんな能力の持ち主の僕に興味を持っているのかもしれない。人が人に関心をもつことなど打算ありきでしかない。真実の愛などそうそう持てるものでもないし、それは陽炎のようにあっさりと移ろいゆくものなのである。ましてや、こんな世界では。
そもそも、この人だって、世界の支配から逃れられていない人間なのである。そう考えると、僕はスッと心が冷静になる。ぼやけた視界がクリアになって、烏丸の顔が段々とくっきりしてくる。
端正な造りだ。薄い化粧だけで、綺麗な肌と魅惑的な顔つきが強調されている。、僕を見る切れ長の目が、小さな笑みを込めてそっと細められている。
僕とかっちり目が合うと、烏丸の笑みが余計に濃くなっていく。
僕は目を閉じて、嘆息した。
「……それで? 何で僕はこの車に乗せられているのでしょうか?」
「どうしてだと思います?」
「それを訊いているんですけど」
「そうですね……私が個人的に透君と会話がしたかったというのはどうです?」
「……」
目を開くと、烏丸は体を乗りだして、僕を上目遣いで見ていた。その表情は、挑戦的に笑っている。その可愛らしい表情を見せてくるあざとさと漂ってくる良い匂いに、僕は少しのけぞる。
「……知ってますか? 僕は、不必要に勿体ぶってくる人も、からかってくる人も、嫌いなんですよ」
「あら、透君は私の事が嫌いなんですか?」
「とても、苦手です」
「ふうん? どういうところが?」
「ここ会話を広げる所じゃないですよね? 嫌いです。僕はあなたのそういうところが嫌いです。会話相手を尊重しない僕を一種小馬鹿にしてくるそうした態度が僕は嫌いなんです」
「そうなんですか。じゃあ、自重します。あなたに嫌われたくないもの」
「嫌いです。もうあなたの事は嫌いです。波長が合わない。会話が一々ずれる。あなたは自分勝手なんだ」
「私は透君のことが好きですよ」
「ちゃんちゃらおかしい。あなたの口にする好きに誠意が存在しないことが腹立たしい。軽々しく僕に愛を語らないでいただきたい」
「透君は愛に詳しいんですか?」
「ほら、そういうところが嫌いなんです」
「そういうところ?」
「愛を馬鹿にするようなあなたに僕が言える事なんて一つもありはしません」
「そうなんですか」
一ミリも笑みを崩さないで、烏丸は乗りだした体を戻してから、首を傾げる。目線が僕から外れない。操られているくせに。僕はとても腹立たしくなる。
「今日の目的は、面談です」
「……は?」
いきなり烏丸の口から飛び出した言葉に、僕は俯けていた顔を、思わず上げて、烏丸の顔をまじまじと見ようとしてしまった。
烏丸は、相変わらず、余裕綽々で笑っている。楽しそうにすら思える。僕と会話をして、何が面白いのか。面談、面談? 僕は、帰りたくなった。
「帰らないでください」
「何であなたと面談をしなくてはいけないんですか?」
「どうしてって、あなたという被雇用者の事をじっくりと知る必要があるからです」
「どうして?」
「それを私があなたに知らせる必要はありませんね」
「なぜ?」
「なぜもなにもありません。あなたは、あなたの事を、私に教えてくれればいいのです。私は、そういう立場で、あなたは、そういう立場なのですから」
烏丸は自分の胸に手を添えて、ピタリと言葉を発した。スーツで覆われた胸はそこそこ大きく、指は白く長く綺麗だった。爪先は整えられた形をしている。
「透君は質問に答えてくれればいいのです。それさえ出来れば、あなたはすぐにでも帰ることができるでしょう」
「……どうせ、僕は被雇用者ですからね。いいですよ。ただし、僕は嘘を吐くかもしれない。真偽の判断は、どうかご自分でご勝手に」
「ええ、それで構いませんよ」
烏丸は、あまりこう表現したくないが、口の端を上げて、目を細めて、まさに、妖艶に笑った。
「それでは……そうですね」
烏丸は顎に人差し指をあてて、僕をじっと観察した。
どうでもいいが、書くものも紙も何も持っていない。この面談とやらは、一体何だと言うのだろう?
しばらく時間が経って、烏丸が口を開く。
「……家族構成を訊きましょうか」
それを聞いて、僕は、眉をひそめた。そんなのは知ってるはずだ。組織の情報網で捉えられないわけがない。話のとっかかりのつもりだろうか? ただ、訝しがっても、面倒くさいので、僕は普通に答えることにした。父と母。兄弟なし。一応、昔は、祖父。僕の生まれる前に、祖母。
「……なるほど」
烏丸は目を閉じて、思案気にしていた。何を考えているのだろう?
「次は、人生で一番驚いたことを聞かせてください」
どうだろう。何かあっただろうか。強いて言うなら、今日烏丸に出くわしたことだろう。
「あなたに大切な人はいますか?」
いないね。でも、祖父のことは好きだった。
「祖父? へえ……」
何に対しての、へえ、だ。
「恋人はこれまでにいたことありますか?」
正直に答える義理はないが、誤魔化しても気にしてるみたいでアレだから、いなかったです。
「……」
本当に何の面談だこれは。単なるこの人の暇つぶしの可能性もでてきたぞ。
「好みのタイプは?」
あなたと真逆の人だ。
「具体的に?」
答えない。
「人に何を求めますか?」
何も。
「あなたは何を求めて生きていますか?」
知らない。
「真実の愛ってなんですか?」
人間が持つ尊い感情のことです。
「最近楽しいことってありますか?」
ない。
「ご趣味は何か?」
ない。
「あなたの弱みを教えてください」
教えるわけがない。
「自分は特別だと思いますか?」
超能力を持っているし、世界の支配からのがれている。
「他人を特別だと思ったことはありますか」
あなたは特別うざったいですね。
「今パッと思いつく人物の名前は?」
でてこない。ああ、目の前にいるあなたの名前が思い浮かんだ。
「他人のどういうところが疎ましい?」
無知蒙昧なところだ。
「自分のどういうところが疎ましい?」
感じたこともない。
「他人に期待することは?」
自己理解。
「遊園地で遊んだことはありますか?」
ない。
「誰かと旅行にでかけたことは?」
ない。
「人を匿ったことはありますか?」
ない。
「人を傷つけたことはありますか?」
パッとは思いつかない。
「人の為に怒ったことはありますか?」
ない。
「自分の為に怒ったことはありますか?」
ある。
「それはどんな時に?」
こうして無駄な時間を過ごしている時に。
「ではもうやめましょうか。ありがとうございました」
終わるのか……? 今の問答に何の意味があったのか。
「ていうか、怒ったんですか?」
「どうして私が怒るんですか? 大変参考になりましたよ」
烏丸はニコニコと笑っている。気味が悪い。
「何の目的があっての質問なんですか?」
「確認と答えを探していました」
「何の確認で、何の答?」
烏丸は、首を傾げながら、僕を見た。
「透君は、なんというか、性格が歪んでいますね」
だからなんだよ。
「元からそうではなかったはずなのに」
あなたが何を知っているのだろうか。
「今日はありがとうございました」
そう言った瞬間に、車の扉が開いた。いつのまにか車は走るのをやめていたらしい。
しかも、僕の家の前だ。時間を確認すると、30分くらい経っていた。僕は釈然としないでいながら、車から降りた。
「それでは、また」
烏丸を乗せた車が、あっという間に走り去って行った。
ああ、無駄な時間を過ごした。