表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
先輩と僕  作者: 綾原ぬえ
1/1

書道部

放課後の始まりを告げる、音の外れたチャイムが校内に響き渡る。

 初夏の涼しい風が、部室の扉にかかっているのれんをなびかせている。


「せんぱーい、いますかー」


 墨の匂いが充満した部室に、先輩はいた。

 滑らかで、腰に届くほど長い黒髪をカチューシャで留め、邪魔にならないようにしている。しかし、その髪は机の上に無造作に放り投げられていた。


 ほかの部員が来ている様子はなかった。

 書道部。部員数10名、幽霊部員8名、実質部員2名。

 もちろん、この実質部員というのが僕と先輩だ。

 先輩はいつも、終礼後すぐ部室に来る僕よりも早くここに来ている。


「寝てるんだったら、家に帰ってくださいよー」

「……寝てないし。起きてるもん」

「じゃあ、真面目に部活してくださいよ」


 バサッと顔を上げた先輩。その顔は、初めて見た人がはっとするほど美しい。遠目に見れば、非常に目麗しいのだが、その目の下には深くくまができている。


「また徹夜したんですか? くま、ひどいことになってますよ」

「いーよ、いーよ。どうせ、君しか私のこと見ないしね」


 先輩の発言から、どうやら今日は授業をサボっていたようであることが伺い知れた。

 先輩、本当にあれで大丈夫なのだろうか。


 マグカップを手に廊下に出ていった先輩をよそに、僕は習字セットの準備を始めた。

 今日は、なんという字を書こうか。コンクールに出す作品はもう出来上がっているから……。

 墨汁を硯に出しながら、空想を始めた。


 大空のように広がる「青」、煌めくような「星」、揺らめくような「炎」。

 今日は大きく一字を書きたい気分だった。


「よしっ、今日は『風』にしよう」


 心にそう決めて、古びた棚から書道辞典を取り出そうとしたその時―――、


「後輩君! 甘いよ君は!」


 つい先ほどまでの、無気力な先輩はどこへやら、やる気に満ちた先輩が仁王立ちして、僕の前に立ちはだかった。


「辞典に頼って文字を書こうとしている時点で、それは君の文字じゃないね」

「そ、そうですか?」


 先輩の熱意に押され、やや引き気味の僕は後退った。

 彼女は僕の硯を奪うと、棚から大きめのだるま筆と和紙を取り出した。

 素早く下敷きの上にそれをセットし、床にぺたんと正座する。

 絵になるなー、と思った瞬間、窓から風が吹き込んだ。

 先輩の髪が、ふわりと舞った。


「いざ」


 先輩は、和紙の上に筆を滑らせた。緩急をつけて、ダイナミックに。白の世界を、墨がどんどん侵蝕していく。掠れているはね、トポンとしたとめ。目で見て、肌で感じたそのままを書き写しているように見える。それは、たった一文字だけど、多くを語る写真のような文字だった。


「『風』ですか?」

「そうかもしんないし、違うかも。私は、自分の思ったことを書いただけだから」


 先輩は筆を流し台に投げ捨てると、帰宅の準備を始めた。


「君、私はこれで帰るから。片付けよろしく」

「え、あの筆は……」

「頼むよ、後輩君」


 先輩は足早に部室を去った。


「先輩……、片付けくらいしてくださいよ」

 僕は先輩の文字に目を落とした。

 僕には書けない、楽しそうな文字。

 和紙を拾い上げると、部室内に張り巡らされた糸にそれをクリップで留めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ