5話 家事のできる幽霊
トントントン。
「ん?」
朝目が覚めると、普段俺の部屋からは匂うはずもない香りが俺の鼻をくすぐった。
「味噌汁の香り? でも……?」
「あ、おはようございます。槐さんが何時頃に起きるか分からなかったので、起こしませんでしたけど大丈夫でしたか?」
俺がキッチンのほうを見ると、黒髪を横に揺らしながら、鼻歌を歌って包丁を動かしている女性が立っていて、ちょうど振り返ったら目が合った。
「楪? 何してんだ?」
「何って、朝食を準備してるんですよ? あ、もしかしてここは寮ですから、学食みたいなものがありましたか?」
「い、いやそういうのはないが」
橘高校の寮は、かなり格安になっているのだが、自主性や自立を促すために、食事は原則自炊になっている。部屋に風呂とトイレもついていて、共同でないので、寮としては珍しいものではある。
「ああ、良かったです。寮で食事が出る割には、冷蔵庫にものも多かったですし、お米とかお味噌とか調味料もたくさんありましたから、使っちゃいました」
「い、いや別にいいんだけど、楪、格好が昨日と変わってないか?」
楪の服装は浴衣か和服のようなもので、まだそれが幽霊ぽかったのだが、今の服装は……。
「はい、ちょっとお風呂をお借りして、服も借りちゃいました♪」
舌を出して首をかしげる仕草は可愛らしいが、それよりも俺の私服のシャツと短パンジャージ、そして、母が持たてくれたが、ほぼ使用していないエプロンを装着していた。
「風呂入れたのか? 確か俺に触れてないとこの世のものに触れないんじゃなかったか?」
「はい、今日朝5時くらいに目が覚めて、お風呂久々に入りたいなー、って思ったんですけど、無理かなって思いながら駄目もとで行ってみたら、シャワーをひねれたんです。なんでかなって思ったら、手元に昨日槐さんが持ってたタオルがあったんです。それで、もしかしたらって思ったんですけど、どうやら槐さんの持ち物に触れてると、槐さんに触れてるのと同じ感じになるみたいなんです。それで、シャツとかジャージとか着てみたら、お料理もできたので、作ってみました」
「もはやなんでもありじゃん。幽霊感なくなったな」
「ということは、槐さんと普通に付き合える?」
「いや、そういうことではない」
「むー、まぁいいですけど、もう少しで出来上がりますから、待っててくださいね」
そう言って、またキッチンに向き直る。
すると、彼女のやはりべらぼうなスタイルが目につく。
昨日は浴衣姿だったのでゆったりとしていたが、シャツは胸部で盛り上がって文字が変化していて、ジャージは短いので太ももより下がむき出しになっていて、とても柔らかそうである。
って違う違う。幽霊だろうが。
「はい、お待たせしました~。何で枕に顔をうずめてるんですか? 二度寝ですか?」
俺の顔が赤くなっていたり、にやけているかが心配で、少し落ち着くまで顔が上げられなかった。
「じゃあいただきます」
「はいどうぞ」
食卓にはご飯にお味噌汁、冷奴に卵焼き、それに漬物もある。
「お、味噌汁うめぇ。味もいい感じだし」
赤だしの豆腐とわかめの味噌汁。偶然かどうかは分からんが、俺の好物である。
「ふふ、味付けの相性がいいのって、夫婦の理想ですよね」
ものすごく嬉しそうな笑顔で見られる。
「た、卵焼きもうまいな。ふわふわで味は辛目だし」
俺は甘い卵焼きがまり得意ではないので、これも偶然だろうが好みにあっている。
「私が作ったのはこの2つだけですよ。漬物は入ってましたし、ご飯は炊いただけで、豆腐は量が結構あったので、味噌汁に入れて、冷奴にしただけですから」
「いや、一手間かかってるだろ。米の硬さが絶妙だし、冷奴にネギと鰹節もかかってる、この一手間が朝は面倒なんだ」
「お米とかけっこう余ってましたけど、槐さんは小食なんですか?」
「いや、俺朝弱くて、パンを食ってるし、昼も買い食いか、学食で、夜は適当になんか焼いたりして食うだけだから、米とか味噌はあまり使わないんだ」
男の自炊などこの程度である。2人組だとうまいこと分担できるが、1人はこういうところが面倒ではある。
大人数ならまだしも、2,3人くらいなら、1人の家事と手間は大差ないのである。
「ふふ、じゃあ今日からは私が毎日作ってあげますね。槐さんの胃袋をつかんで、最終的にいろいろつかんじゃいますからね」
「朝っぱらから下はやめとけよ」
「お昼はお弁当作ったら食べます? 晩御飯は何か食べたいものがありますか?」
「ああ、買い食いするよりは安くあがるしな。じゃあお願いし……」
待てよ、これを許すとなしくずしに関係を認めることになりそうな気がする。
「あまり考えないでください。これは私が好きでやることですから、家事をすることを引き換えに付き合ってくださいとは思ってません。せっかくお母さんに教えてもらったので、腕を振るってみたかったんです」
「あ、ああそうか。じゃあお願いするよ」
違う。なんか、言わなくても分かってるよ的な雰囲気になって、余計に外堀が固まっている気がする。
「まぁもちろん、次の段階に進めるなら、それはやぶさかではありませんが」
「台無しだな!」
沈黙は金、雄弁は銀というのを思い出した。ある程度だまってるほうがいいのに。
「さてと、着替えるか」
「…………」
「おい、何してんだ?」
朝食も終わり、片付け、洗顔や歯磨きも終わり、後は着替えて登校するだけになった。
ところが、俺が着替えようとしているのに、楪が全く動こうとしない。
「何してるとはなんですか?」
逆に首を傾げられる。
「いや、着替えるんだから、違うところいくか、別のほう向けよ、何こっちみてんだ」
「お手伝いしますよ」
「いや、断る」
「だって、朝の準備って着替え手伝うところまでがセットじゃないですか!」
「ちげーよ。俺は介護老人じゃないんだから、自力でやるわ」
「やっぱり格好がやぼったいからですか? 裸エプロンとかメイド服を着てれば良かったんですか?」
「関係ない! 後俺の部屋着をやぼったいとか言うなよ、文句あるなら脱げよ」
「え……、ちょっとそれは……、朝からは……」
ん? 何か妙にしおらしくなったな。下着姿はさすがに恥ずかしいのか。だったら出てけばいいのに。
「さすがに裸になるのは……」
「どこまで脱ぐ気だ!」
「え、シャツとジャージしか脱ぎませんけど?」
「ん? ちょっと待て、お前まさか」
嫌な予感がして、汗を頬が伝うのを感じた。
「……幽霊になったときに、最初から和服姿になってて……、それで下は何もつけてなかったので……、はい、そういうことです」
「…………、とりあえず俺は着替えてくるから」
あまりにもいたたまれなくなって、俺の方が着替えを持ってトイレに逃げた。
「まじかよ、レベル高すぎだろ」
自分の部屋着を女子が直につけるとかどういうプレイなんですか。
「あのー、大丈夫ですか?」
トイレの外から楪の声が聞こえる。
「あ、ああ大丈夫だから。心配すんな」
「でもいきなり走っていったので……、私がノーブラノーパンで槐さんの服を着たので怒ってるのかと思いまして」
「お、女の子がそういうことをダイレクトに言っちゃいけません!」
「え? あー、そういうことですかぁ。怒ってるんじゃなくて、興奮しちゃったんですね~。その顔みたいです!」
「やめろ!」
「だが断ります!」
にゅっ。
「うわっ」
俺はドアから顔が出てきて、トイレでしりもちをついた。
「あー、もう着替え終わってたんですか。顔も普通ですし、残念です」
「おい楪。確か俺に触れてたり、俺の持ち物をつけてるときは、透けないんじゃなかったのか?」
「ああ、違います。ちょっと御幣がありますよ。透けなくすることもできるだけです。私が任意でできないのは、槐さんの前から姿を消すことだけです。他の人に見えたり見えなかったり、透けたり透けなかったりするのは、ワリと自由です」
「……、それをばらした以上は、俺の風呂とかトイレに勝手に入ってきたらグーパンチだからな」
「……私殴られても痛くないので」
「じゃあ1週間無視な」
「やらないですから! 謝ります!」
お、これは聞くのか、今後調子に乗ってきたらこの作戦使おう。




