第4話 悪魔の借金取り
その日の内にハルカは帰って来なかった。それどころかカーシャと連絡がつかない。まさか、借パクかっ!
そんなことで夜は開け、今日もいつものよーに学校がある。
ルーファスは乗合馬車で学院まで通い、いつものよーに教室の座席に着いた。
いつものよーな光景だ。
キンコンカンコン鐘が鳴り、巨乳を揺らしながら教員が入って来た。
教壇に立ったのはカーシャだ。
「さて、今日はクラスに新しい仲間が増えるぞ」
季節外れの転校生。カーシャはその名を呼んだ。
「さあ、入って来いハルカ」
教室に入って来たのはハルカを見て、ルーファスは唖然とした。
ネコミミ装着!
入って来たのはハルカに間違いないのだが、頭にはネコミミ、口にはパーティーグッツの人工クチビル。そして、ちょうちんアンコウみたいなアンテナが頭に生えていた。
「私ノ名前ハはるかデス」
自己紹介がコテコテのロボットだ。
ハルカになにがあった?
どんな改造手術を受けたんだ?
自己紹介を済ませたハルカは硬い動きで歩き出した。直角移動をして、ルーファスの横の席に座った。
ルーファスは驚きながらハルカの横顔をじーっと眺めた。
「……ハルカ?」
返事はなかった。ハルカは瞬きもせずに教壇をじっと見つめている。
「ハルカ、なにがあったの!」
ルーファスが声をあげると、パチコーン!
カーシャの投げたチョークがルーファスのおでこにヒットした。
「黙れルーファス。というわけで朝のホームルームは以上だ」
カーシャはさっさと教室を出て行ってしまった。
慌ててルーファスはハルカの手を取り、カーシャを追って廊下に出た。
「カーシャ待って!」
めんどくさそうにカーシャは振り向いた。
「なんだ?」
「なんだじゃないだろ、ハルカになにしたんだよ?」
「見てのとおりだ」
ネコミミ、クチビル、ちょうちんアンコウ。
「私ノ名前ハはるかデス」
見てのとおり変だ。
「見てのとおりじゃないでしょ、なんでネコミミが生えてるのさ」
ルーファスが詰め寄るとカーシャはめんどくさそうに答えた。
「耳は共通語の翻訳機だ。唇は共通語を話すためにある」
「アンテナは?」
「さて……知らんな」
とぼけた!
絶対なんかあるぞアンテナ。
ルーファスはハルカのアンテナを掴んだ。
「このアンテナ明らかに怪しいでしょ、ハルカになにしたのさ!」
勢い余ってルーファスはアンテナを引っこ抜いてしまった。
ハルカが急に瞬きをして、目をパチクリさせた。
「……アタシ……ここどこ!?」
声をあげて辺りを見回すハルカ。
カーシャは舌打ちをする。
「チッ……(洗脳が解けたか)」
ハルカはなにがなんだかサッパリだった。カーシャに連れ去られたあとの記憶が、プッツリサッパリ抜けていた。
「……思い出せない」
思い出そうとすると頭が重くなる。
ハルカはルーファスの襟首に掴みかかった。
「ねえ、アタシになにがあったの!」
「私に訊かれても困るから……カーシャに訊いてよ」
ルーファスの視線を追ってハルカはカーシャを見た。
「アタシになにしたの!」
「掻い摘んで説明するとだな、今日からおまえはこの学院の生徒だ」
「ハァ?」
余計に意味がわからない。
仕方なさそうにカーシャが補足。
「つまりだ、妾が公文書偽造しておまえを当学院に裏口入学させたわけだ」
だからなぜ?
悩むハルカを放置して、カーシャの背後に忍び寄る二つの影。
「聴きましたよカーシャ先生、なあロス?」
「おう、しっかり聴いたぜオル」
カーシャが振り向くと、そこには二対の生徒が立っていた。
赤い魔導衣と青い魔導衣を着た双子の兄弟。風紀委員のオル&ロス兄弟だ。
オル&ロスは短いロッドを構えた。
「「我らは風紀委員」」
双子のステレオサウンドだ。
「「学院を守るため、我ら兄弟は特権を交付されている。不正入学を耳にしたからには、許さないぞカーシャ先生!」」
廊下に駆け抜ける緊迫した空気。
周りにいた生徒たちがそーっと教室に非難をはじめる。
カーシャの口に浮かぶ冷笑。魔力のこもった黒瞳が風紀委員を凝視した。
「おまえら小僧に妾が倒せると思うてか?」
勝負はすでに決まっていた。
カーシャに凝視されたオル&ロスの身体に変化が起きた。
見る見るうちに身体が縮み、短いピンクの毛が身体を覆った。
「「ブヒッ!」」
あっという間に、オル&ロスはピンクの子豚に変身してしまった。
ブタに変えられた双子は、ブヒブヒ鼻を鳴らして逃げていった。負け犬ならぬ、負けブタの遠吠え。見事なやられ役だ。
相手に攻撃の隙すら与えずに勝利。
しかし、次なる気配がカーシャに迫っていた。
「おはよう、カーシャ先生」
耳に張り付くような陰湿な男性の声。
そこには鏡や羊皮紙や宝玉やら、魔導具をジャラジャラ身に付け、肌まで浅黒の黒尽くめの魔導衣姿が立っていた。
黒魔導教員ヨハン・ファウストだ。
「私のクラスの生徒を可愛がってくれたようですねえ」
「(朝っぱらから、なぜこいつの顔を見なくてはならんのだ)」
あからさまに嫌そうなカーシャは、隠し持っていた鉄扇を構えた。
この二人は学院でも有名な犬猿の仲。顔を合わせるたびにいざこざを起こす。
その根底にある要因はこれだ!
「カーシャ先生に貸した一〇〇〇ラウル、返していただけるなら、教え子にしたことを水に流しましょう」
「知らんな、おまえに金など借りた覚えなどない(妾は決して認めんぞ。認めたら、負けだ)」
絶対に借りた金を踏み倒す気らしい。
「(あくまでシラを切るつもりか)返済期限が五年近くも過ぎていることは、再三申し上げているのでご存知ですね?」
「記憶にないな(五年近くもネチネチ器が小さいぞ)」
こうやって五年近くもの間、カーシャはファウストから借りたお金を踏み倒そうとしているのだ。
ファウストが腰の羊皮紙に手を掛けた。
「記憶になくとも、この際宜しい」
「ほう、なにをする気だファウスト?(ファウストのマナが上昇している。なにか仕掛けて来るな)」
マナとは魔法を使うときに発生するエネルギーのことだ。
「一〇〇〇ラウルを返さぬというのなら、契約の名のもとに冥府に送って差し上げますよ」
「(たかが一〇〇〇ラウルで目くじらを立ておって)」
向かい合う二人の間に電気を帯びたピリピリした空気が流れる。
緊迫と沈黙。
カーシャVSファウストの構図がわかりやす〜くできあがってしまっていた。
激しい戦いが繰り広げられようとしていた!
教室に避難した生徒たちの中に、ハルカも混ざっていた。ちなみにネコミミ&クチビル装備だ。
廊下側の窓から様子を窺う。
「なんかスゴイ展開になりそう」
魔導士でもない凡人のハルカに、どーすることもできない。たとえ魔導士だとしても、二人の戦いを阻止するのは難しいかもしれない。学院の生徒たちは腰が引けている。
ファウストの身体からは、悶々とした黒いオーラが発せられている。その手に持った羊皮紙の契約書が、風もないのに国旗のように揺れた。
カーシャの身体の周りに浮かぶ蒼いマナフレア。空気が氷結し、学院の廊下に白い霜を下ろした。
物陰からルーファスはカーシャの冷笑を見て、背筋がゾッとする思いだった。ルーファスが決して口外してはいけない史実。旧支配者〈氷の魔女王〉の正体。
揺れる契約書をファウストがカーシャに突きつける。
「カーシャ、早く一〇〇〇ラウルをお返しなさい」
「借りてもないのに返せるか!」
カーシャはキッぱりハッきり断言した。
――嘘は認めたが最後。
これがカーシャの信条なのだ。
契約書の一節にはこう記されている。『契約を破りし場合は魂を持って償う』と。それはつまり、契約を破ったカーシャは殺されちゃうということだった。
契約書にただならぬ邪気を感じ、カーシャは〈氷の魔女王〉ならぬ発想をした。
「……うむ(焼くか)」
〈氷の魔女王〉が『炎』を使う。この時点で反則ワザっぽいが、『焼く』ということは契約書をなかったことにするという意味だ。そう考えると、もっと反則ワザだ……というか、セコイ。
カーシャの右手が空を薙いだ。
その手から放たれた炎の玉が、契約書を焼き尽くそうと飛ぶ。
しかし、その間に謎の障害物が出現。
「ちょっと二人とも止めてよ!」
謎の障害物――ルーファスに炎の玉が見事ヒット!。
「あちぃ〜っ!」
ルーファス炎上。炎の玉はルーファスの服に引火した。
すぐさまカーシャが魔法で水を放射して鎮火させた。
シュ〜っという音を服から立てながら、立ち上がるルーファスを見てカーシャが小さく呟く。
「チッ……外したか(契約書を燃やしてしまおうと思ったのだが)」
ここまでくれば言うまでもないが、カーシャは自己中である。
「契約書を燃やそうとしましたねカーシャ? 契約書により制裁を下しましょう。出でよ、闇の眷属よ!」
悪魔の笑みを浮かべたファウストの持つ契約書から、黒い影が呼び出された。
威圧感を放つ存在。それはデビルだった。契約を破った制裁として、契約書に宿りしデビルが、この世に召喚されたのだ。
赤黒い筋肉質なボディに獣の頭部を乗せたデビルは、金色に輝く眼でカーシャをギロリと睨みつけた。きっと強そうだ。
だが、カーシャが負けを認めるはずがない。断固として認めない!
冷めた瞳でデビルを一瞥したあと、すぐに口元を歪ませた。
危険を察知したルーファスはしゃがんだ。彼の判断は正しかった。カーシャの口が言霊を紡ぎ出す。
「ホワイトブレス!」
氷系の高位魔法をぶっ放した。カーシャは学院内――しかも廊下で強力呪文をぶっ放したのだ。
ブォォォッッッ!
濃縮された吹雪がデビルを凍らす。おまけにルーファスの心も凍る。
周りの被害などを考えずにやりたい放題の子供の喧嘩かっ!
「カ、カーシャ! なにすんだよ!(死ぬかと思った!)」
だが、ルーファスの言葉なんてカーシャの耳に届かない。
残像をその場に残しカーシャの姿が霞み消えた。
身動きひとつしない氷の彫像と化したデビルの前にカーシャが立つ。
「ふふ、儚く散れ!」
巨乳をバウンドさせながら、カーシャの回し蹴りが炸裂!
角度によってはパンチラだったかもしれない!
粉々に砕け散るデビル。散った氷の結晶が煌くその先で、ファウストは微笑していた。
「なかなかやりますね」
舞い散る結晶の中、カーシャは冷笑を湛える。
「もう終わりか?」
「いいえ、カーシャ先生が死ぬまで、制裁は続きますよ。早く一〇〇〇ラウルをお返しなさい(ただが一〇〇〇ラウルと言えど、契約を破った者は許しませんよ)」
「借りた覚えなどない(こいつ、ただが一〇〇〇ラウルで妾を殺す気か)」
こんな足踏み状態のやり取りが、『五年近く』続けられているのだ。
二人のトンデモ魔導士が戦いを繰り広げる中、教室の中も危ないと判断したルーファスが、唖然としているハルカを連れ出そうとしていた。
「ハルカ逃げよう、ここも危ない」
「あの二人いつもあんななの?」
「そうだよ、カーシャったら早く一〇〇〇ラウル返せばいいのに」
「ねぇ一〇〇〇ラウルって高いの?」
長い因縁と壮絶なバトルの根底にある一〇〇〇ラウル。その通貨価値とはいかほどか?
「一ラウルチョコが一〇〇〇個買える(一〇〇〇個も食べたら鼻血ブーだなぁ)」
「例えが悪い(一ラウルチョコって五円で売ってるチョコみたいなのかな?)」
「じゃあさ、うめぇぼうが五〇〇個買えるとか(う〜ん、これも食べきれないな)」
「だから、わかんないってば(うめぇぼう……これも聞いたことあるような名前)」
こんな呑気な会話なんてさて置いて、カーシャとファウストの戦いはとどまることを知らないようだ。
カーシャは両耳の蒼い宝玉のイヤリングを外した。
「ふふ……ここままではラチがあかない(滅却してくれるわ)」
滅却!
刹那、カーシャの身体が蒼白き光を発しはじめた。その輝きは冷たく辺りを包み込み気温をグッと下げる。冬空の下でパンツ一枚になる体感温度だ。
そして、カーシャの瞳は黒から蒼に変わり、唇は赤から紫に、髪は漆黒から白銀に変わっていった。
廊下は完全に凍りつき、先の尖った氷柱が次々と飛び出す。
ハルカは絶叫しながら身を屈め、ルーファスは『つ』や『と』の形に身体を曲げて氷柱を避ける。この中でファウストだけが漆黒の炎を身にまとい平然と立っていた。
「なにをする気ですかカーシャ?(急激なマナの増加。クロウリー学院長に匹敵するかもしれない、危険だ)」
カーシャ砲準備OK!
氷の結晶――マナフレアがカーシャの身体に集められていく。
暴走しちゃったカーシャは誰も止められないのか?
「カーシャいい加減にしてよ!」
ドゴッ!
「ぐっ!」
ゴォォォッッッ!
天井に開いた大穴から青空を見える。今日もいい天気だ。
なんてことはさて置いて、なにが起こったのか説明しよう。
まず、カーシャは学院ごとふっ飛ばすくらいのマナを溜めて撃とうとした。
それから、ルーファスが掃除用具入れから取り出したモップで、カーシャの後頭部を強打。
そのときの効果音が『ドゴッ!』。
殴られたカーシャは『ぐっ!』と言ってバランスを崩しバタンと床に倒れた。
撃とうとしていた魔法は中途半端なまま、天井を突き破り上空に放たれたのだった。
以上説明でした。
床に大の字で倒れたカーシャの髪の毛の色は元の漆黒に戻っていた。打ち震えるカーシャはなにかを小声で言っている。
「……ル……ファス……(死!)」
気迫とともに立ちがるカーシャ。その目はキレていた。
凍りついた廊下に緊張が猛ダッシュする。
無言で妖艶な笑みを浮かべるカーシャの手が動いた。
動いた!
動いた!
そしてまた動いた!
カーシャの手から放たれる氷の刃がそこら中に突き刺さる。ルーファスは紙一重で避けるが、明らかに刃はルーファスに向けて放たれている。
殺る気だ!
「カ、カーシャ、落ち着いて!(殺される!)」
「ふふ……(死!)」
キレちゃったカーシャの容赦ない攻撃は続く。狙われているのはもちろんルーファス。
なかなか的に当たらないことに業を煮やし、カーシャの意識はルーファスだけに注がれていた。その隙をついてファウストが攻撃を仕掛ける。
「ダークフレイム!(魂をも焼き尽くせ)」
漆黒の炎が渦を巻きカーシャに襲い掛かる! 瞬時にカーシャは魔法壁を張る。
「アイスシールド!」
氷の壁がカーシャの姿を隠し、ダークフレイムの直撃を受けて砕けながら溶けてしまった。その先にカーシャの姿はすでにない。カーシャは教室の中に逃げ込もうとしている最中だった。
教室内で身を潜めていた生徒たちを人質にする気だ。
ファウストもカーシャを追って教室に駆け込む。
これはチャンスだ!
ハルカがルーファスの袖を掴んで引っ張る。
「今のうちに逃げよ」
「そうだね」
「早く!」
「ハルカ危ない!」
「にゃっ!?」 どっかから飛んできた氷柱がハルカを襲う。
ルーファスの身体がハルカを庇うように覆いかぶさった。
「くっ」
ハルカの前で歯を食いしばったルーファス。魔導衣の袖が裂け、腕に紅い鮮血が滲む。
「大丈夫ルーファス!」
「ハルカこそ平気?」
真剣な眼差しでハルカを見つめるルーファス。
「う、うん……(アタシのために……)」
「よかった」
ニッコリと微笑むルーファス。
モーソー! トキメキ! ロマンス!
ハルカの瞳に映るルーファスは120パーセント美化されて輝いていた。
微かなトキメキが胸をくすぐる。
が、次の瞬間。
爆発音と一緒に飛んできたモップに後頭部を殴打されて、ルーファスは顔面から床に沈んだ。
「ルーファス……ダサッ!」
この辺りが、ルーファスがへっぽこと言われる由縁かも知れない。
ズバリ不幸体質。