9.最果ての迷宮
ミレニアム・ファーレンハイト。
今からおよそ十年前に活躍をした冒険者だ。
彼は『光の剣』と呼ばれる魔剣を手にして、数多くの魔獣を狩り、人々を救った英雄だった。
特に、ラウラメント=ウル王国に襲いかかった″災厄″ギガノサウロスを討伐したことは有名で、以降彼は【救国の勇者】と呼ばれることとなる。
高い人徳に幅広い交友関係、さらには知名度や名声から、彼は″最果ての迷宮″に挑む【二十一英雄】のリーダーに選出される。
そして他の仲間たちと挑み……最下層において志半ばで命を落とすことになる。
◇
「まさかミレニアムが、ラストの従兄弟だったとはな」
サクの乾いた声が、彼の口から漏れる。それまでマリィに対して発していたものとは、明らかに温度感が違うものだった。
「ミレニアム兄さんは、早くに貴族の地位を捨てて冒険者になっていたからな。自分の出自も秘密にしていたようだし。だが、彼はときどき妾に逢いにきてくれた。彼は……妾には優しい従兄弟だった」
「……ミレニアムは誰にでも優しかったよ。他を寄せつけず孤立していた生意気なガキに対しても積極的に接してくるほどにな」
「それはお主のことか? サク」
「答える義理はないね」
サクにしては歯切れの悪い答えは、自分のことだと認めているようなものだった。そのことが分かっていながら、あえてラストも追求するようなことはしない。
『ねぇラスト、そしたらフリルは誰の親族なの?』
「フリルは【治癒天使】エミリーの姪だ。もっともあの子はそのことを知らない。だから、すまないが本人には秘密にしておいてもらえるか?」
『そう、確かに面影はあるわね。……わかったわ、あなたがそう言うなら誰にも言わない』
「感謝する、イータ=カリーナ」
ラストの頼みを受け入れたイータ=カリーナは、返事がわりに軽く手を振る。ラストもそれに応えてウインクを返した。
数々の秘密の暴露に、なんとはなく場に深妙な空気が流れ始めていた。
だがその空気を打ち破ったのは、少し大人しくなったサクの様子に勢いづいたマリィだった。ラストに制されたことも忘れ、再びサクに噛み付く。
「ほぅらサクライ・ヤマト、これで分かったか! 貴様はな、多くの死の上に成り立つ存在なのだ!」
「……別に否定はしない。だがそれはお前も同じじゃないのか、マリィ」
「貴様と一緒にするな! 私の父を殺した貴様なんぞと……」
「その発言は気をつけたほうがいい。お前の父親の死を貶める発言だぞ?」
「なっ⁉︎」
父を貶めるとはどう言う意味なのか。思いがけないサクの反論に狼狽えるマリィ。
「じゃあ聞くがマリィ、お前の親父は弱かったのか?」
「ふ、ふざけるなっ! 父は、父はとても強かった。神の力……赤い炎のオーラを使い、【紅蓮の闘士】と呼ばれ、数々の伝説を打ち立てた英雄だ。そんな父が弱いわけないだろう!」
「それじゃあお前の父親は、俺なんぞに簡単に殺されるようなタマだったのか?」
「ぐっ、そ、それは……」
サクの言い草の正しさを認め、マリィは言葉に詰まる。
悔しいが、そのとおりだ。あれだけ強かった父が、簡単にサクのような人物に殺されるわけがない。だとすると、父はどうして死んでしまったのか……。
マリィが自分の世界に入り込んでしまったその間に、完全に表情を消してしまったサクが冷気を含んだ声でラストに問いかける。
「なぁラスト、お前もマリィのように俺のことを仇だとか思っているのか? だから、敵討ちでもするためにこの俺を雇ったのか?」
「いいや、妾にそんなつもりはない。おぬしを雇ったのは弟の護衛のためだ。ずっとそう言ってるだろう?」
「だったらなぜ、【二十一英雄】の親族を集めるような真似をしてる? 偶然とでも言い張るのか?」
「別に深い理由があるわけではない。……ミレニアム兄さんに頼まれたからだ」
「ミレニアムに頼まれた、だと?」
今度こそサクは、気が抜けたような声を出す。彼の顔に浮かぶのは、苦笑いだ。
「彼が″最果ての迷宮″に挑む直前、妾のところに挨拶に来たんだが、そのときこう言った。『もし俺が帰ってきこなかったら、頼む』とな。そして妾に【二十一英雄】の親族情報を渡してきたのだ。だから妾はそのリストに従って、気になる娘たちを集めてきたに過ぎん」
「ミレニアムのやつ、善人ぶりやがって。こんなところまで手を打ってたのか」
「ああ。ミレニアム兄さんはそんな人だった。強くて優しくて……」
「そうだな、あいつはそんなやつだった。だからあいつは……」
遠い目で語るサクは、いったい何を思い出しているのか。その表情から伺い知ることは出来ない。
「しかしラスト、まさかあんたもミレニアムから頼みごとをされていたとはな」
「あんたも、ってことはサクもか?」
「ああ、大したことじゃないがな」
「……残されたものに頼みごとをするなんて、あの人らしいな」
「まったくだ、残された方は断ることすら出来ない。ヒデェ話だ」
ミレニアムという存在を深く知る二人だけが交わす微笑み。精霊王とまで呼ばれるイータ=カリーナも、二人を温かい目で見守っている。
だが、この場にただ一人ついていけないものがいた。復讐の行き場を無くしてしまったマリィだ。
「ど、ど、ど、どういうことですかっ⁉︎」
激しく動揺するマリィ。いつの間にか赤く透き通るオーラは消え去り、その手は震え、顔色は明らかに悪い。
「ひ、姫様。あ、あ、あなたさまは、復讐のためではなく、ミレニアム様に頼まれたから私たちを集めたと言うのですか?」
「どれもこれも違う。全部お前の勘違いだ、マリィ。確かに妾がお前たちを知るきっかけとなったのがミレニアム兄さんのリストだったのは事実だ」
「で、では……」
「だがお前たちを集めたは、妾が欲しいと思ったからだ。そこに他人の意思などない、妾が望んだのだ。ゆえに断じて復讐のためなどではないし、そもそも妾はサクのことを恨んでなどいないぞ?」
「そんな……では、私は……」
まるで糸が切れた人形のように、ガックリとその場に膝をつくマリィ。その肩を、まるで幼い子供をあやすかのように、ラストが優しく撫でる。
マリィが落ち着くまで、しばらくの間その行為は続けられた。
ラストがマリィを慰める様子をしばらく眺めていたサクであったが、頭をぽりぽりとかきながらラストの横に寄ってくる。
サクが隣に来たことに気付いたラストが、サクに尋ねた。
「なぁサク。無理にとは言わないが、良かったらミレニアム兄さんの最期を教えてもらえないか? あとザッカードのもな」
「……」
「そうしなければ、マリィはダメになってしまう。そうすると、妾も兄さんとの約束を守れなくなるのでな。どうだろうか?」
「……あんたはたいしたタマだな」
「世界最高の魔術師にそう言わせたなら、光栄だ」
ラストが笑った。まるで月夜に照らし出された花のように可憐に。
知らずにその笑顔に引き込まれている自分に気づき、サクは苦笑いを浮かべる。この時点で既に、サクの意は決まっていた。
「分かった、語ろう。あの場所で……″最果ての迷宮″の最下層で何があったのかを」
こうして、サクは語り始めた。
恐ろしく絶望的で、悲しき真実を。
歴戦の勇者たちが、たった一人を残して全滅した物語を。
◆◆◆
この世界のはるか東の地、閉ざされた山奥に巨大な迷宮があった。
その名も″最果ての迷宮″。
これまで数多くの冒険者たちが挑み、散っていった場所だ。
この″最果ての迷宮″を制覇するために、今から十年前、冒険者ギルドによって特選チームが結成された。集められたのは、総勢二十一人。彼らは誰もが超一流の冒険者だった。
このメンバーのリーダーを務めるのは、【救国の勇者】ミレニアム・ファーレンハイト。
圧倒的な実力とカリスマで、全員からの推挙を受けてこの特選チームのリーダーを就任していた。彼のパーティメンバーである【治癒天使】エミリーや【氷の支配者】ブレイクニルも当然参加している。
その他にも、【森の支配者】ファーブルがリーダーを務める『フォースレンジャー』の四人組や、″水晶の宮殿″と呼ばれた迷宮を制覇した六人組の『スペクトラム・ブレイカー』、さらにはマリィの父親である【紅蓮の闘士】ザッカード率いる『暁の傭兵団』の四人や、【豪腕】オウガを中心とした『クッキング・マーセナリー』の三人の姿もあった。
そして、最後の一人は、パーティを組まずたった一人で参加した青年。彼の名はサクライ・ヤマト。
最年少で特選チームに選ばれた、天才魔術師だ。
彼を含めた総勢二十一人の歴戦の猛者、すなわち【二十一英雄】は、地下百層まであると言われる″最果ての迷宮″へと飛び込むことになる。
最下層への道は、過酷を極めた。いくら現役最強のメンバーが集まったとはいえ、容易な迷宮ではなかったのだ。
それでも彼らは″最果ての迷宮″の最下層に到着した。その時点で、【二十一英雄】は十八人になっていた。
ただ、欠けた三人は負傷による帰還であり、死んだわけではない。そういう意味では彼らはやはり優秀であったと言える。
事実、治癒不能の怪我を負って先に帰還することになったオウガなどはかなり悔しがっていた。
だが、彼らはもしかすると幸運だったのかもしれない。
なぜなら″最果ての迷宮″の地下百階。
そこは、七体の『邪神』が巣食う、この世の地獄だったのだから。
″最果ての迷宮″が造られた経緯は誰にも分からない。
しかし最下層に足を踏み入れた十八人は確信する。
ここは、『邪神』を封印した場所であったのだと。
存在した邪神は七体。
【傲慢】の邪神 ル=シフェル
【憤怒】の邪神 サターン
【嫉妬】の邪神 リヴァイ=アサン
【怠惰】の邪神 ベルフェゴール
【強欲】の邪神 マーモン
【暴食】の邪神 ヴェル=ゼーブル
【色欲】の邪神 アスモデウス
それぞれが、邪神の名の通りおぞましいまでの力を持っていた。しかも、彼らが最下層に進入したことで、邪神たちの封印が解かれることとなってしまう。
もし自分たちが止めなければ、邪神は解き放たれる。封印が解けた邪神が地上に出れば、人類への惨劇は避けられない。
もはや、逃げることも許されぬ十八人の英雄は、絶望的な戦いに身を投じることとなる。
本来であれば決して人間の手が届かぬ存在。だがそれでも、十八人は戦いを挑んだ。
結果は、壮絶なものだった。
邪神には、人間の攻撃がほとんど届かない。嬲り殺しに近い惨状が、彼らを無情にも蹂躙していく。
一体目の邪神との戦闘で、なんと六人の英雄が無残にも命を落とすこととなる。そのうちには、【森の王者】ファーブルと、マリィの父親である【紅蓮の闘士】ザッカードも含まれていた。
だがザッカードは、最後の最後に邪神に一矢報いることに成功する。彼が命を懸けて放った【闘神覇気】の一撃は、邪神の命に届いたのだ。相打ちに近い形で、ついに最初の邪神は消滅していった。
多大なる犠牲をもって、なんとか一体の邪神を討伐することに成功する。
だが、邪神を倒すことで手に入れた【秘術の門】の管理権限を、サクが承認されることで、以後の戦いは劇的に変化した。
【七門】と呼ばれるこの秘術は、邪神にすら届いた。彼らはようやく神へと挑む突破口を見出したのだ。
新たな力はなぜかサクにしか管理することは出来なかったため、英雄たちは作戦を変更することにする。『命を賭して、サクを守ろう。そしてサクが邪神にトドメを刺すのだ』と。
英雄たちは、一つの目的のためについに志を一つにした。世界を守るため、自ら駒となることを決意したのだ。
そこから、さらに凄惨な地獄の光景が繰り広げられることとなる。
それは、決して語られることのない、勇者たちの最期にまつわる英雄譚。
二体目の邪神で、さらに三人が命を落とした。
三体目で二人。四体目でも二人の英雄が無残にも散ってゆく。
それでも彼らは、着実に邪神を滅ぼしていった。
--残る邪神はあと三体。
一方の邪神側も、残り三体となったところで、追い込まれたことを認識してか、ついに力を合わせ同時に襲いかかってくる。
「ははっ、ついに邪神どもが俺らを″敵″だと認めやがったぜ!」
目の前に迫り来る邪神たちを前にして、【氷の支配者】ブレイクニルは血と狂気に染まった顔を歪めて高笑いしたという。
対する英雄は、サクを含めて残りわずか……五人。
ついに、英雄対邪神の最終決戦が幕を開ける。
まず一人が囮となり惨殺される間に、ブレイクニルが邪神一体を道連れに氷の柱となった。サクが歯を食いしばりながら、ブレイクニルごと邪神を【七門】で滅す。
天才と呼ばれだ魔術師は、邪神とともにこの世から蒸発した。
--残る邪神は、あと二体。
だがこのとき、隙を見せたサクに邪神が不意打ちを仕掛けてきた。
彼の絶体絶命のピンチを救ったのは、【治癒天使】エミリーだった。しかし邪神の攻撃の身代わりに受けたエミリーは、この場で絶命する。「邪神から、世界を救って」そんな遺言を、サクに託して。
「うぉぉおぉぉ!」
恋人であったエミリーの死を前にして、吼えたミレニアムがついに最終手段に出る。『光の剣』をエミリーを屠った邪神に突き立てると、そのまま『光の剣』を自爆させたのだ。
ミレニアムが片腕と魔剣を犠牲にした攻撃は、それでも邪神には届かない。だが邪神を怯ませることには成功し、そこにサクの【七門】が炸裂する。
--邪神は残り一体。
最後の邪神との戦いは、凄惨な戦いの終わりに相応しく、悲惨なものだった。
片腕と魔剣を失い、もはや役立たずとなったはずのミレニアムが、その身を盾にして邪神の動きを封じた。その方法は、邪神の素手の攻撃をその身で受けるというものだった。
邪神に胸を貫かれ、致命傷を受けながら、ミレニアムはサクに自分ごと【七門】を放つように命じる。泣きじゃくるサクに対して、ミレニアムは最後にニヤリと笑った。
「サク。俺たちの死をお前が抱える必要はない。お前はやるべきことをやっただけなんだから。さぁ、やれ! そしてお前は……生きろ。生きて、お前の好きなように星を追うんだ」
「ミレ……ニアム!」
「俺たちは……一足先に空の果てで待ってるよ」
それが、【救国の英雄】ミレニアムの最期の言葉となった。
「うわぁぁぁぁあぁぁあぁあっ!」
サクは叫んだ。
血の涙を流しながら絶叫した。
そして、壮絶な笑みを浮かべるミレニアムごと、邪神に対して【七門】を放ったのだった。
こうして、長くに渡り東の地に君臨していた″最果ての迷宮″は制覇されることとなる。
だが、冒険者ギルドによって厳選された当代の英雄たちは、生きて帰ってくることは無かった。
--たった一人、サクだけを残して。
人々は知らない。
世界を救うため、人知れず七体もの邪神と対峙した英雄たちの、壮絶な戦いと、悲惨な最期を。
サクは決して語らない。
それを、英雄たちが望んでいないことを知っていたから。
英雄たちは、自分の死を終わりだと考えていた。彼らは死して祭られるくらいならば、生きて笑われたいと考えていた。
ゆえに、サクは彼らの想いに殉じた。
誰に何を聞かれようと、たとえ悪い噂が流れようと、彼が英雄たちの最期を語ることは決して無かった。
……今日、この日までは。