7.星追い
マリィが柔らかなベッドの上で目を覚ました時、横にいたのはフリルだった。
どうやらずっと自分の看病をしてくれていたらしいことに気づいて声を出そうとするが、なかなか言葉が喉から出てこない。
そのうちに、マリィが目覚めたことに気づいたフリルが、優しげに声をかけてきた。
「あら、目を覚ましたのマリィ?」
「ここは……私の部屋か」
「そうよ、あなた丸一日近く寝ててようやく起きたんだよから。お医者さんから安静にするようにって言われてるから、あまり無理はしないでね」
そう言われて、ようやくマリィはなぜ自分が寝込んでいるのかを思い出した。
怪盗ネームレスを名乗る不審者の進入。相手の【秘術の門】に歯が立たず、自由を奪われる。だが不思議な赤いオーラが出た途端、力が湧き出て相手の術を破壊する。ところがそのあと、サクによって力を落ち着かせられ、そのまま意識を失ってしまったのだ。
「不審者--ネームレスはどうなった?」
「サクラさんが相手してたんだけど、勝手に自爆して逃げていったわよ」
自爆? あれほどの術者が自爆などするわけがない。マリィには確信があった。そう見せかけて、サクが何らかの対処をしたに違いなかった。
ということは、自分はあの男に助けられたということか。妙に苦いものが、マリィの心の奥に広がってゆく。
「それにしても、あの怪盗ネームレスに立ち向かっていったサクラさんは素敵だったわぁ。あたしたちを庇ってネームレスの前に飛び出したときなんか、凛々しくて美しくて、まるで本物の戦乙女みたいに見えたのよ?」
「……あんなやつ、ただの人殺しだ」
「えっ?」
思わず漏れ出たマリィの言葉。だが彼女が吐き出した不吉な言葉は、幸いにもフリルの耳には届いていない。そのことに安堵すると、マリィは頭を軽く振ってフリルには向きなおる。
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
「ふーん、変なの。ところでマリィはサクラさんとカップリングするなら誰がいい?」
「……なんの話だ?」
「あたしは姫とのカップリングも捨てがたいんだけど、ドMに目覚めたスピリアトス王子がサクラさんの尻に引かれるのもありかなーって思うんだよねぇ」
またフリルの悪い病気が始まった。マリィは心の中でため息をつく。
フリルは時々このように理解できないことを口走ることがあった。まったく話についていけないマリィを無視して、延々と意味不明なことを話し続けるフリル。
こうなるとなかなか話が終わらないので、マリィは強引に会話を打ち切って逃亡することにする。
「ところで目も覚めたことだし、私はラスティネイア姫にご挨拶に行こうかな」
「あるいはサクラさんを男性化させて、女性化させたスピリアトス王子と組み合わせるなんてのもありかも……って、せっかく盛り上がってきたところなのにつまんないの! あー、でもそうするのがいいかもね。姫様すっごい心配してたもん」
言ってることは意味不明ではあるものの、底抜けに明るいフリルの笑顔は場の雰囲気を明るくする。
なにげに気が沈んでいたマリィも、彼女の笑顔に触発され、思わず微笑み返してしまうのだった。
◆◆◆
「妾が見たヴィジョンは、断片的なものだ」
自ら注いだ紅茶を口につけながら、ラストは自身が見た未来の光景について語り始める。
見た目は幼女のラストが上手にカップに口をつける様を感心しながら眺めていたサクは、イータ=カリーナに肘でつつかれて顔を上げる。
「たしか、あんたの弟のスピリアトスが十六歳の誕生日に、セルシュヴァント魔法帝国のガーランド王子に殺されるって内容だったかな」
「そうだ。その際マリィが血まみれで倒れ伏した姿も視ている」
「だからあんたは、弟を守るためにここ″白楼宮″にかくまったのか」
サクの問いかけにラストは鷹揚に頷く。本来であれば男性厳禁の白楼宮に、王子とはいえスピリアトスがいたのにはそういった理由があったのだ。
「とはいえそれだけが理由ではないのだが、大きな要因であることは事実だ。なにせ、ここにいればサクやマリィがいる。おそらく此処以上に安全な場所など国内にないだろう。実際にサクがあの不埒者を撃退してくれたしな」
「なるほどな。俺はてっきりスピリアトスがシスコン拗らせて白楼宮にいるのかと思ってたよ」
『そのシスコンが、いまやすっかりサクラちゃんにお熱だもんねぇ?』
「……俺の失言だった。忘れてくれ」
実はサクは、自分が侵入者を撃退したことを知ったスピリアトスに今日一日ずっと追いかけられていたのだ。
可憐な美少女の顔をした王子のキラキラ光る瞳を思い出して、うんざりした表情を浮かべながら諸手を挙げて降参の意を示す。
「それで、だ。ラストが視たヴィジョンとやらで、相手はどんな手を使ってきたんだ?」
「確認できた【秘術の門】は三つ。ひとつは″あらゆる魔術や攻撃を受け付けない″もの」
「……そいつは、もしや昨日来た自称ネームレスが使ってたやつか?」
『確か《永劫回帰の蛇》と言っていたかしらね』
ネームレスが【秘術の門】を使う際、彼は「あらゆる術や攻撃を打ち消す」と豪語していた。
マリィの【闘神覇気】やサクの力の前では打ち破られてはいたものの、通常の魔術や【戦騎状態】であれば無力化するだけの力を持っているのは間違いなかった。
「たしかにあの能力であれば、普通のやつだと相手するのはきついかもな」
「残りの二つについては、予知ではよく分からなかった。一つは、超攻撃力を持った破壊術。もう一つは、おそらく召喚術かなにかのように見えた。ガーランドは大量の魔物を呼び寄せていたのだ。結論として、我が王国は壊滅的な打撃を受けていた」
「破壊術と、召喚術ねぇ……」
『確かに、未知の門かもしれないわね。あたしの記憶だとセルシュヴァント魔法帝国が持っていた【秘術の門】の中に、破壊術はあっても召喚術は無かったわ』
これらの攻撃によって、スピリアトスの成人の儀は台無しにされただけでなく、彼の命まで奪われることになったのだという。
ただ、サクにはやはり腑に落ちないことがあった。なぜ隣国の王子がそのような暴挙に出るのか分からなかったのだ。
「ところでガーランドって王子は、なんでスピリアトスの命を狙ったんだ?」
「それはな、あやつが妾を欲しているからだ」
「……は?」
「だから、妾がガーランドの求婚を断っているからだと言っておる」
サクとイータ=カリーナはラストの頭からつま先までをゆっくりと眺めたあと、互いに顔を見合わせる。
「求婚、ねぇ……」
『ねえラスト、もしかしてガーランド王子ってロリコンだったりする?』
「そんなことはないと思うぞ。あやつも確か20歳は超えていたはずだ。とはいえ、妾があやつに最後に会ったのはもう十年近く前だがな」
ガーランド王子とやらがいくつであろうと、幼女なラストに言いよってる時点でガチロリに変わりはないと思うのは、サクの気のせいであろうか。
「で、なんでラストはガーランドの求婚を断ってるんだ? セルシュヴァント魔法帝国の第二王子だったら、相手として悪くないとは思うけどな」
「理由は簡単だ。あやつにあるのが愛ではなく野心だからだよ」
ラストが説明するには、ガーランドが彼女との婚姻を狙う理由が二つあるとのこと。
一つは、ラウラメント=ウル王国の第一王女と結婚することでその王位継承権を主張するため。もう一つは、ラストが持つ【秘術の門】の権利にあるのだという。
「まさかあんたの口から、愛なんて言葉を聞くとは思わなかったな」
「花の乙女にその暴言は頂けんな。妾とて恋や愛を夢見る年頃なのだぞ?」
『そうよそうよ、ヤマトの発言にはデリカシーがないわ。ちゃんとラストに謝りなさい!』
二人から猛烈なブーイングを受けて、サクはしぶしぶ頭を下げる。まったく納得はいかなかったのだが。
「わかったわかった、失言は詫びるよ。で、どうしてラストと結婚することが野心に繋がるんだ?」
「ガーランドは第二王子ゆえ、王位継承権としての順位で彼が王位を継ぐのは容易ではない。しかも第一王子はあのブルームハイトだ。万が一にもガーランドが王位を継ぐことはなかろう」
「あぁ、あそこの第一王子は世界最強の魔法戦士と名高い【魔剣勇者】ブルームハイトだったか。そりゃ無理だ、現役バリバリの英雄じゃないか」
セルシュヴァント魔法帝国の第一王子であるブルームハイトは、冒険者として名を馳せた超有名人だ。冒険者時代はトップクラスの実績を残し、サクと同等かそれ以上の存在として今も冒険者たちの間では語られている。
既に冒険者は引退し、現在は第一王子としての職務を全うしているが、彼が帰国してからセルシュヴァント魔法帝国は大変平和で友好的な国になったと言われている。
国民からの信頼も厚く、隣国からも平和の使者として高い評価を受けていて、固有戦力としても超一流。まさに生きた英雄がブルームハイト第一王子である。
「ゆえに、本来であればガーランドが王位を継ぐことは叶わない。だが妾と結婚すれば違う」
「どう違うんだ?」
「我が国には直系の子は妾とスピリアトスしかいない。もしスピリアトスを亡き者にしたあと、妾を女王として傀儡の地位につけ、実質の権力を己が持つとしたら?」
「なるほど、英雄ブルームハイトとガチで王位継承権争いをするよりは現実味があるな。確かに有効な手段だとは思うが、俺にはあんたが簡単に傀儡になるようなタマとは思えないんだけどな」
「当然だ。だが勝手にそう思われて、挙句大事な弟に手を出されてはたまったものではない」
「しかし、そんな理由でこんな暴挙に出るかねぇ。下手すりゃ国際問題ものだぞ?」
「それはそうだが、妾にはあやつが暴挙に出る理由がそれくらいしか思い浮かばないのだ。事実、そういった結末の予知を見ているわけだしな」
王位の簒奪など、サクにしてはさっぱり理解できない感覚であったが、ラストが言うのだから王族にはそういったいざこざがあるのだろう。
サクが知りたかったのは理由ではなく事実だったので、深く突っ込むことなく話を続ける。
「それにしても、ガーランドはなんでわざわざ誕生日を選んで襲撃をかけてきたんだろうか?」
「《天をも見通す目》は理由まで見通せるわけではないから、そこまでは分からない。妾が見ることができるのは、あくまで断片的な映像だけなのでな」
「なるほどな。まぁとりあえず昨日の変人がおそらくガーランド王子の手の者だってことと、王子自身を含めて最低でも二人の【秘術の門】持ちがいるってことは分かったわけだ」
『それが分かるだけでも大したものだと思うけどね』
敵は、【秘術の門】持ちが最低でも二人。
通常の戦争であれば、戦局を左右しかねないほどの大戦力である。
それほどの術師を集めて、ガーランド王子は何をしようとしているのか。
疑問は尽きないものの、考えても無駄なことは考えない主義のサクは、それ以上の質問はやめて紅茶に口をつける。すっかり冷めた紅茶は、それでも十分に美味しかった。
一方ラストは、感心した様子で紅茶を飲むサクを眺めていた。
たとえどんな姿になろうと、誰の前に居ようと変わることのないサク。その不遜な態度に彼女は心強いものを感じていた。
「……なぁサク、おぬしは動じることはないのか?」
「そんなことは無いぞ。事実、こんな身体になっちまったときはずいぶんと驚いたもんだ」
「その割には楽しんでるように見えるぞ。サクを見ていると、妾の抱える悩みなど、まるでなんでもないことのように思えるものだ」
幼女の外見に似合わず物憂げな表情を浮かべると、ラストは立ち上がって窓辺へと向かう。
すでに太陽は落ちていて、外はすっかり暗くなっていた。空にはきらきらと星が輝いている。
「……そういえばサクは【星追い】と呼ばれているんだったな。何故そう呼ばれているのか、教えてもらっても良いか?」
「あー、別に構わないぜ。大した理由じゃないしな」
サクは音も立てずにスッと立ち上がると、そのままラストの横に立つ。
女性の姿になっても背の高いままのサクと、幼女のような体格のラストが並ぶと、まるで親子か姉妹のように見える。
窓を開け放つと、外の空気が一気に室内に入ってきた。自らの黒髪が風に舞うのも気に留めず、サクはおもむろに夜空を見上げる。
「このとおり、空には星が輝いてる。ラスト、あそこに見えるのが何か知ってるか?」
「星達の河のことか? そんなもの幼児でも知っているぞ」
サクが指差したのは、たくさんの星が集まって、まるで川のように見える場所だ。
たとえ宮中にあってもはっきりと見ることができる。それほどに明るく、星達の河は夜空に輝いていた。
「俺の生まれ育った場所ではな、あいつのことを天の川と呼んでいたんだ。もっとも、姿も形もまったく違うんだけどな」
「姿形が違う? 星達の河は、何処にいても同じ形に見えると習ったのだが」
「ある意味正解だ。……ただし、同じ星の上でなら、な」
サクが答えた言葉の意味を理解し、ラストが驚きの表情でサクの顔を見る。だがサクは、変わらず夜空に広がる星達の河を眺めている。
「……その言葉の意味は、サクが違う星から来たということを意味してるのか?」
「それは分からない。ただ、俺の記憶にあるものとは形や光り方が違うということだけはハッキリしている。だから俺は、そのことを確かめたいんだ」
「……確かめるとは、どうやって?」
「決まっている。星の海--すなわち″宇宙″に飛び立つんだ」
宇宙という単語は耳慣れないものではあったが、ラストはなんとなく意味をつかむことができた。恐らくサクは、星の広がる世界へと行きたがっているのだろうと。
「……なるほど、それでおぬしは【星追い】と呼ばれていたのだな。しかし、星の海に飛び出すなど本当に出来るのか?」
「さぁな、そいつは分からない。だがそのためにイータ=カリーナは俺に力を貸してくれてるのさ」
『うふふ、実はそうなのよぉ。だって楽しそうじゃない? 星の海に飛び出していくなんてさ』
一聞すると荒唐無稽な夢物語のように思える。下手するとウソだと思うかもしれないような内容。
しかしラストはサクの言葉を信じた。それどころか、自分も行きたいと思いはじめていた。
「あの星の海には、いったいどんな世界が広がってるんだろうか」
「広がっているのは、果てない暗黒の世界だと聞いている」
「一度星の海に出て、戻って来れるのか?」
「それは分からない。もしかしたら二度と帰って来れないかもしれない」
「……妾も、行きたいな」
思わずといった感じのラストの呟きを、サクは聞き逃さなかった。
まさか、そんなことを言われるとは思ってもいなかった。驚愕が、彼の心を満たしていく。
これまで彼は、聞かれればこの″宇宙″の話を誰にでも語っていた。しかし、彼の話をまともに聞くものはいなかった。
夢物語として笑われるか、適当に相槌をうたれるかだ。ギルドマスターのオウガですら、苦笑いを浮かべながら何も答えなかったのだ。
だがラストは違っていた。彼女はサクの言葉を信じるだけではなく、共に行きたいと言ってきたのだ。
少しだけ柔らかな目つきになったサクが、ラストに尋ねる。
「ラストは、俺の話を信じるのか?」
「言ったであろう? 妾はおぬしのことを信じてると」
「こんなにも、荒唐無稽な話なのに?」
「サクの口から出た話は、全てが本当だと信じている。なにより、サクの話は魅力的だ。こんなにも心が湧き上がったのは本当に久方ぶりだよ」
「……あんたはずいぶんと変わった姫さんなんだな」
「褒め言葉として受け取っておこう」
二人の口調から、これまであった固いものがいつのまにか取れていた。互いに微笑みあい、交わし合う視線はなんとなく優しい。
変化を遂げた二人の様子に、『あらあら、なんだかいい雰囲気ねぇ』などとイータ=カリーナが茶化していると、とんとんとんっと部屋の扉がノックされる音が響く。どうやら来客のようだ。
「ラスティネイア姫、マリィが参りました」
「おおマリィ、目が覚めたのか」
やってきたのは目を覚ましたマリィだった。
大丈夫だろうと思ってはいたものの、しっかりと直立して大剣を背に担ぐ姿を見れば一安心だ。ラストは思わず笑みをこぼす。
「もう大丈夫なのか?」
「はい、ご覧の通り。大変ご心配をおかけしました」
「それは良かった。サクにも礼を言うといい。おぬしが昨日発していた赤いオーラのことも、なにやらサクが知っているようだしな」
「そのことで、お二人にお話があります」
マリィは背に担いでいた大剣を引き抜くと、そのまま前へと突き出す。何処までも黒い彼女の瞳には、強い決意が浮かんでいた。
「……どういう意味だ? マリィ」
「ラスティネイア姫、御前での無礼をお許しください。ただ、私には成し遂げなければならないことがあるのです」
「成し遂げなければいけないこと?」
ラストの問いかけに、マリィは意を決した表情でキッとサクを睨みつける。
「はい。私は……親の仇である、サクライ・ヤマトに決闘を申し込みます」
堂々とした宣戦布告。
剣を前に突き出すマリィは、二つ名の如く戦乙女のように凛々しい姿であった。
一方マリィの宣言を受けたサクのほうは、苦笑いを浮かべると、何かに諦めた様子で両手を上に挙げたのだった。