3.もう一つの秘術
マリィの発する赤黒いオーラ、【戦騎状態】は、使用したものの基礎能力をある一定割合で高める魔法の一種である。戦士や騎士など、腕力や敏捷性が求められるものたちが喉から手が出るほど欲しがる能力だが、相性もあるようで誰でもが使える能力ではない。これを使える時点で、マリィはある一定以上の戦闘技術の持ち主であることが容易に伺える。
「その若さで″戦騎状態″を使いこなせるとは、さすがは【漆黒の戦乙女】だな」
世間では″荒ぶる猛獣″に例えられるほど恐れられる赤黒いオーラを放つマリィを前にしても、サクは顔色一つ変えずに嘯く。
ふいに彼の背後に、なにかぼんやりと人の形をしたものが浮かび上がってきた。ゆっくりと形どっていくのは、薄水色の羽衣を纏った金髪の美女である。
とてもこの世のものとは思えないほど美しい美女の突然の出現に、ラストとマリィの視線が釘付けになる。
『ヤマト、支援しましょうか? あの娘、かなりのオーラを放ってるけど?』
「いや、必要ないさ″イータ=カリーナ″」
その名と姿を見聞きして、ラストがほぅと感心したかのような声をあげる。
「そなたがサクの″守護者″である【精霊を統べる王】″イータ=カリーナ″殿か。お初にお目にかかる、妾はこの国の第一王女のラスティネイア。あなたに会えて光栄だ」
『あら、初めまして可愛らしいお姫様。ご丁寧にありがとう。あたしはイータ=カリーナよ』
そう言うとイータ=カリーナはサクの周りからふわりと離れ、そのままラストの横へと移る。
『ちょっとヤマトに要らないって言われたから、あなたの横にいさせてもらうわね、ラスティネイア』
「光栄です、精霊王。ラストと気軽に呼んで頂きたい」
『いいわよ、ラスト。じゃああたしのことも気軽にイータ=カリーナって呼んでね。あー、殿はいらないけど、面倒でもイータで切っちゃダメよ』
「承知した、イータ=カリーナ」
和気あいあいと語り合う女性二人がいる一方で、殺し合わんばかりの雰囲気を醸し出す二人もいる。大剣を構え深く腰を落としたマリィが、瞳に怒りを宿しながらサクに向かって吠える。
「貴様っ、″守護者″たる【精霊王】の加護を不要と言うかっ! どこまで私のことを舐めているっ!」
「別に舐めてなんてないさ、マリィ」
「気安く私の名を呼ぶなっ!」
「ああそうかい、じゃあお嬢ちゃんでいいな。お嬢ちゃん、あんたは″神才″持ちだろう? 恐らくは……【怪力】あたりか?」
ピクリ、マリィの肩が大きく揺れる。サクの口角がより一層吊り上がる。
「おや、当たりだったか。【怪力】の″神才″にガルドモード。なるほど、只一騎で一千もの敵兵を屠れるわけだ。あんたは舐めるにはちょっと苦すぎる相手だな」
「ならば、なぜ【守護者】のサポートを拒む!」
「なぜ? なぜって、理由は簡単だ」
サクはポケットに手を突っ込んだまま、頬をニヤリと吊り上げてマリィに向かって言い放つ。
「あんたがまだ処女の未成年だからさ」
「貴様アァァアァァァアァアッ‼︎」
次の瞬間、激昂したマリィが目にも留まらぬ速さでサクに襲いかかった。瞬きする間に肉薄すると、背丈ほどの高さと厚さがある大剣が、まるで重量を感じさせない速度で振り下ろされる。
捉えたっ! そう確信したマリィの手に、だが手応えは伝わってこなかった。代わりに首筋に猛烈な悪寒が走り、慌てて振り返ると、すぐ後ろにポケットに手を突っ込んだままのサクの姿があった。
「おー、おっかないな。殺す気か?」
「なっ、躱しただとっ⁉︎」
立て続けにマリィは大剣を横に薙ぐが、やはりサクに刃が届くことはない。ぶぃんという不気味な音だけが、室内に響き渡る。
「ばかな……ありえない。こ、こんなことなどっ!」
「おいおい、お嬢ちゃん。さっきから明らかに本気だろう? 無手の相手にそりゃないんじゃないか?」
「ふざけるなっ! 死ねっ!」
一心不乱に剣を振るマリィ。それでもやはりサクの影すら踏むこともかなわない。
まるで瞬間移動しているかのように素早く動き、マリィの剣を躱し続けるサクの姿に、ラストが「ほぅ」と感嘆の声を漏らす。
「凄いなサクは、ガルドモードのマリィの連撃をこうも容易く躱すとは。なぁイータ=カリーナ、あれは生身か?」
『まさか、生身の人間にあんな動きは無理よ。ヤマトは強化魔法を使ってるわ』
「″戦騎状態″すら上回るような強化魔法など、この世に存在するのか?」
『さて、どうかしらね。ヤマトは色々と常識が通用しない人だから』
「ふむ……。よーく見てみたところ、複数の術式を同時並行起動しているようだな。しかも二、三などという数ではない、おそらくは二桁の数の能力向上魔術を行使しているのか。それにしても無詠唱でこれだけの魔術を並行起動など、やはり格が違うと言ったところか」
『へぇ』とイータ=カリーナは感心した声を上げる。『ラストには見えるの?』
「完全ではないが、ある程度は見えるな。妾は昔から目が良いほうなんだ」
『目が良いからって見えるようなものじゃないんだけどね……あら、無駄話をしている間に終わりそうよ』
見ると、ちょうとマリィの剣をサクが踏みつけたところだった。それまで超重量級の剣を振り回していたマリィだったが、サクが踏みつけるだけでビクともしなくなっていた。
「くっ……なぜだ、どうしてっ⁉︎」
「どうにもおまえさんの剣には殺気が宿りすぎてていけないな。だがまぁこれで終わりだ。おーいラスト、もう終わりでいいか? そろそろ満足したたろう?」
相変わらずポケットに手を突っ込んだままのサクの問いかけに、ラストは優雅に頷く。仕草だけ見れば幼女がコクンと頭を下げただけだが。
「うむ、もう十分だ。すまなかったなサク。さぁマリィ、終わりだ。剣を引くがいい」
「し、しかし……」
「剣を引け、と言ったのだ。二度と言わせるな」
ラストの強い剣幕に押され、マリィは渋々剣を引く。すると同時に、彼女の全身から溢れ出ていた赤黒いオーラも収束してゆく。
ようやく決着したことを確信したサクは、わざとらしく安堵の吐息を漏らしながらイータ=カリーナにウインクを飛ばすと、頭をポリポリと掻きながらラストに声をかける。
「で、お姫様。これで満足したかな?」
「ああ、満足した。というより最初からサクの実力は疑ってもなかったがな」
「おやおや、姫さまにはずいぶんと過大な評価を頂きまして、恐悦至極にございますね」
「……そう怒るな。マリィをけしかけるような真似をしたことは謝る。だがな、こうでもしないとあの頑固娘は納得しないのだよ。なにせこれから一緒に仕事をするのだ。嫌でもマリィには受け入れてもらわねばならん」
「そこだ、そいつが理解できん」サクは、自らに真摯に向けられるラストの黄金色の瞳を眺めながら、またも首をひねる。
「だから、なぜ俺なんだ? そこの処女がさっき噛み付いたように、俺は何処の馬の骨とも知れんような男だぞ?」
「なっ、だ、だれがガキだとっ……」
『そういうところがよ、マリィ。うふふっ』
「そんな俺を、どうしてあんたはこうも無条件に信頼する? あまつさえ国家機密級の秘術の情報を、あっさり暴露して、本当に大丈夫なのか?」
あくまで心配するかのような口調で尋ねるサクであるが、その裏に『不信感』があることは疑いようもなかった。そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、ラストは飄々と答える。
「わざわざ気にしていただいて恐縮だ。だがな、妾にはおぬししかいないのだ」
「……俺しかいない?」
「ああ。魔術の腕は超一流、殺しても簡単には死なないほど強くて頑丈。なにより一度仕事を受けたら、どんなことがあっても決して依頼主を裏切らない。そんなやつ、サクの他にいるか?」
褒めてるのか貶しているのか分からないラストの評価に、『まぁ、絶賛の嵐じゃない』とイータ=カリーナが頬に手を添えながら笑う。だがサクは、ちゃかす守護者を無視して、ラストへとさらに疑問をぶつけていく。
「なんなんだ、俺に対するその評価は。そもそもあんたは、様々な秘密を口にするにあたって、俺に一度も口止めすらしていない。そいつはなぜだ?」
「なぜって、その必要がないからだ」
「なぜ必要がない? 俺が他に漏らさないとは限らないぜ?」
「それこそ何を言っている? おまえが人の秘密を他人に漏らすなどありえないだろう」
あまりにも当然のように、自信満々とサクへの信頼を口にするラスト。その言い草に、サクはわずかに驚いて眉を動かす。
「サク、何を驚く?」
「……いや、なぜだか知らんが俺は姫の信頼がえらく厚いようだからな。信頼いただいて恐縮なんだが、俺はたかだか中級冒険者だぜ?」
「それはサクが意に沿わない依頼を受けないからであろう。おぬしは受けた仕事は必ずこなす、そんな男だ」
「ずいぶんと確信のある言い方だな」
「妾はな、人を見る目にだけは自信があるのだよ、サク」
そう言うと、ラストは突然身に纏っていた衣服をするり、と脱ぎ始めた。彼女の幼女のような裸体がサクの目の前に露わになる。
目の前で行われる行為に、サクがわずかに眉を動かした。守護者イータ=カリーナは『あらっ』と嬌声を上げ、マリィの剣を持つ手に力を入れる。
だがすぐに気を取り直したサクは、無表情に戻るとラストの裸体に視線を向ける。
「……姫さん。これはいったいどう言うつもりだ?」
「先ほども言ったであろう? サクにもう一つの【秘術の門】を見せると」
「そのために裸になったと?」
「ああ、そうだ」
「いくら術のためとはいえ、いちいち裸になってたら、俺に襲われちまうかもしれないぜ? 俺だって一人の男なんだからな」
実際サクは皮肉めいたことを口にしながら、ラストの全身を舐め回すように眺める。無遠慮なまでの視線に、マリィが嫌悪感のあまり全身にサブイボを立たせ、今にもサクを一刀両断しようと手に力を込める。
だがラストは再びマリィを目で制すと、全裸の状態でサクに微笑みかける。
「かまわん。サク、おぬしに妾の全てを捧げよう。いや、もともとそのつもりだった」
「……なんだと? もともとそのつもりだった?」
「ああ、なぜなら今回の報酬には妾自身も含まれているからな」
そう言うとラストはサクに一気に近寄った。先ほどマリィが近づくことすらできなかった距離にまで接したのに、サクは動こうとしない。全裸のラストが顔を寄せ、サクの耳元で小声で囁く。
「それではサク、おぬしにもう一つの【秘術の門】を披露するとしよう」
サクから少し身を離すと、ラストは両手を胸の前で重ねた。パンっと、乾いた音が響き渡る。
「″出でよ、ラウラメント=ウルの鍵。具現化せよ、我が腹部に潜み桃源郷への道″。……受け入れよ、《最高の接吻》」
彼女の重ねた掌の中が輝き出し、一つの黄金色の鍵が出現する。同時に、ラストの腹部に小さなハート形の扉が突如具現化した。
『へー、これがラストの持つ二つの【秘術の門】のうちの一つなの。なかなか可愛らしい門ね』
サクの後ろにいたイータ=カリーナが、感心したような声を上げる。ラストは手中に出現した鍵を両手で握り締めると、そのままお腹の中心に現れた小さな扉の鍵穴に突き立てる。
ガチャリという音とともに、ハート形の扉がゆっくりと開かれていく。中から溢れ出てきたのは、キラキラと輝くピンク色の雲のような気体。やがてその雲は、全裸のラストの全身を柔らかに包み込んでいく。
「待たせたな、サク。受け入れてくれるか?」
サクは返事を返さずに、自身を包み込むピンク色のもやを不思議そうに眺めていた。彼の態度を了解と受け取ったラストは、そのまま顔を近づけ、ゆっくりと自らの唇をサクの方へと突き出していく。サクの方も、自然と彼女の口づけを受け入れる。
サクの口の中に、熱い固まり--舌が流し込まれてきた。まるでうねりを持った生き物のように口の中で暴れまわるが、サクはそれを見事に受け止め、受け流していく。
全裸の幼女と背の高い青年の間で交わされるディープキスを、イータ=カリーナはニヤニヤと微笑みながら、マリィは怒気を発しながら眺めていた。熱い口づけを交わしていた二人は、しばらくすると淡い光を放ち始める。
サクはそのとき、自分の全身がかなりの熱を持っていることに気づいた。まるで全身を焼き尽くすかのような高熱に思わずラストと距離を保とうとするが、彼女はガッチリとしがみついていて容易に離れそうもない。
やがて、二人の身体が目も当てられないくらい眩い光を発し始めた。
『これは相当強力な魔力の輝きね。守護者であるあたしでもこれほどの魔力はなかなかお目にかかれないわ。……って、あら?』
イータ=カリーナの言葉をきっかけにして、二人の身体の輝きがゆっくりと落ち着いていく。それまであまりの眩しさに直視することも叶わなかった二人の姿が、光の中で再び形取られていく。
『あらあら、これはまた……すごい魔術ね』
滅多なことでは驚くことのない彼の『守護者』イータ=カリーナが、サクを眺めながら驚愕の声を上げる。めったに動じない彼女の驚く様子を疑問に思いながらも、サクは自身の異変の方に釘付けになっていた。
まず最初に感じた異変は、視線がわずかに下がっていることだった。これまで見慣れていた視界とは異なる景色に、若干の戸惑いを覚える。
次に感じたのは、全身を包む言いようのない違和感だ。まるで今までの自分の身体とは根本的に異なるような、そんな違和感。
サクが感じた違和感の正体はすぐに判明する。「背が……縮んでる?」サクはダボダボになった服の裾を摘みながら呟く。「しかも声が……甲高い、だと?」続けて、自らの声に強烈な違和感を覚え、背筋に嫌なものが走る。
決定的だったのは、胸に確かにある二つの膨らみだ。恐る恐る手を触れると、確かにやわらかな感触が両手を包み込む。しかも、微かに気持ちいい。
『あーらら、ヤマトが女の子になっちゃったわね』
決定的な事実をイータ=カリーナが口にしたことで、ようやくサクは自らの身に起こった異変を理解する。
なんと彼は、ラストの施した【秘術の門】--《最高の接吻》によって、女の身体へと変貌を遂げていたのだ。
「な、なんじゃこりゃ……」
「これがおぬしにメイド服を渡す理由だよ、サク。《最高の接吻》はな、対象を女性に変化させることができる秘術なのだよ」
身体を女の子に作り変えられるというとんでもない秘術をその身に施され、戸惑いを隠せずにいるサク。ラストの説明さえもろくに耳に入っていないようだ。
「俺の身体が、女になった……だと?」
「うむ。なかなかの美女ぶりだな」
自分の胸を触ったり大事なところに手を当てては複雑な表情を浮かべるサク。戸惑いを隠せない彼に対して、ラストは全裸のまま近寄ると、マリィから受け取ったメイド服を微笑みながら手渡そうとするのだった。