1.そのものの名は、サク
カランカラーン。
乾いた音を立てて、ラウラメント=ウル王国の王都ラウラメントにある冒険者ギルド【栄光への道】の扉が開かれた。軽い飲食店となっている冒険者ギルドにはたくさんの客--すなわち冒険者たちがいたものの、扉が開く音を聞いて一斉にそちらに視線を向ける。
冒険者たちは、共に戦う仲間であり、仕事を取り合うライバルでもある。ゆえに新参者には常に神経を尖らせていた。
入ってきたのは、黒髪長髪の背の高い男だった。腰には細身の剣を吊るしているところから見て、おそらく剣士なのだろう。照明に照らされて見える素顔は、相当に整って見える。
「いらっしゃいませー! お食事ですか? それとも……お仕事をお探しですか?」
ウエイトレスをしている明るい口調の女の子に声をかけられ、男は懐から銀色に輝くプレートを取り出すと、軽く掲げながら質問に答える。
「……食事を頼む。あとワインを一杯。一人だからカウンターがいいな」
「は、はいっ! おひとりさまお食事、カウンターでーす!」
ウエイトレスの明るい声を聞き、沢山いた客--冒険者たちは一斉に元の会話に戻っていく。
シルバープレート。すなわちそれは中級冒険者である証であり、食事を希望したことから彼のことを同業、しかもただの食事客だと判断したのだ。ゆえに、他の冒険者たちはその男性への興味を無くす。
だが注文を聞いたウエイトレスの手は緊張に震えていた。この男性が間近で見るとかなりの美貌の持ち主であったことも理由としてはある。だが本当の理由は、その男性が頼んだメニューにあった。
彼女はずっと上司から言い渡されていた。「もし中級冒険者の背の高い男が、一人で来てカウンターで食事とワインを頼んだ場合、すぐにギルドマスターに繋げ」と。
ギルドマスターにすぐ連絡するほどの相手、それがいったいどんな人物なのか。ウエイトレスの彼女は少し震えながらも、カウンターの席に座る美貌の青年の横顔にしばし見とれていた。
男性がカウンター席についてしばらくすると、髭を生やし少し厳つい顔をした筋骨隆々のウエイターが彼の前に立った。彼の姿を見て、ウエイトレスが驚きの表情を浮かべながらそそくさとその場を後にする。ウエイターは気にすることなく、慣れた手つきで深紅色の液体をグラスに注ぐと、そのまま男性に差し出す。
「……久しぶりじゃねえか、サク。どうしたんだ、人嫌いなお前さんが王都なんていう人の群れの中に来るなんて」
「黙れよオウガ。ウエイターって面でもないくせに、似合わないことしてんじゃないよ。だいたいお前さんは冒険者ギルドの親玉なんだろう?」
「はっは、そう言うな。ワシの作るメシは美味いぞ? しかも選ぶワインも最高だ。……ほら、メスタージュ地方の葡萄で作ったやつだ。なかなかの上物だぞ」
そう言われて、サクと呼ばれた男性はワインを口に運ぶ。舌の上に転がる濃厚な葡萄の味わいに、思わず感嘆の吐息を吐き出す。
「……そのことについて異論はないが、せめてさっきの可愛いらしいウエイトレスの子に給仕して欲しかったがな」
「バカ言え、あの子におめぇの給仕なんかさせたら、一発で墜ちるだろうが」
「ふふん、オウガのところの娘に手を出すほど俺はバカじゃないよ」
目の前に出された肉料理を口につけ、サクはニヤリと口の端を吊り上げる。それほどにオウガの料理は美味かった。
「ギルドマスターにしとくには勿体無い料理の腕だな。いっそ料理一本で生きたらどうだ?」
「そうしたいのは山々なんだがな、なかなか本部のお偉いさんが辞めさせてくれねぇんだよ」
「ふふっ、さすがに【豪腕】で鳴らしたあんたをギルドも簡単には手放さないか?」
「んまぁそれもあるかもしれねぇが、本音は違うな。あいつらの本音はな、【星追い】に渡りをつけられるのがワシしかいないと勘違いしてることだよ。まったくいい迷惑だ、ワシがお前さんに渡りなんぞつけられるわけ無いのにな」
なぁ、【星追い】さんよ。そう言われてサクは苦笑いを浮かべると、懐から小さな袋を取り出した。オウガはピクリと片眉を動かすと、何気ない動作で袋を受け取る。
「……こいつはなんだ?」
「あんたが依頼してた『炎帝龍の鱗』だよ」
サクの言葉にオウガはハッとして慌てて袋を開けると、中には赤黒い一枚の鱗が鈍い輝きを放ちながら格納されていた。しばし呆然と内容物を眺めたあと、オウガは平静を装って声を絞り出す。
「……こりゃあ驚いた。おまえさん、炎帝龍を倒したのか?」
「まさか。相手は一千年生きたマジモンの龍だぞ? そんなもんそう簡単に倒せるもんか」
「だったらどうやってこいつを?」
「別に大したことじゃないさ。殴り合って友好を深めた結果、お土産に貰ったんだよ」
龍と殴り合う。そんな冗談でしかないようなことを真顔で答えるサクであるが、受けたオウガのほうもそれを真実として受け取った。なぜならオウガは、サクであれば龍と真正面から殴り合うなどやりかねないと確信していたからだ。
「まったく、おまえさんはふざけた野郎だ。ワシは過程は問わんからかまわんが、こんなんがシルバープレートだってんだから、ギルドマスターたるワシの立つ瀬が無いぞ。おまえさんなら最上の冒険者なんぞ軽く手に入るというのに」
「あいにくと俺はそういうものには興味なくてな。何者にも縛られず、好きなように″星を追ってる″のが性に合うんだよ」
「そうか……まぁおまえさんがそう言うならかまわんのだがな。それにしても、よくワシが依頼元だと分かったな?」
「はぁ? あんな酔狂な依頼を出すのはあんたしかいないだろう? 期限なし、依頼主情報なし、内容は破天荒、それでいて報酬は莫大。そんな依頼の仕方をするやつ、他に誰がいるってんだ?」
「……違いねぇな」
「なにが『ワシには渡りは付けられねえ』だ。こんな形で依頼をしてくるなんて、とんだタマだぜ」
「それでもおまえさんは、気が向いたらこうして依頼を達成してくれる。それでワシは助かる。ウイン=ウインでいいんじゃないか?」
そう言うとオウガは何かの入った袋をサクに渡す。確認すると、中には七色に輝く水晶のかけらが入っていた。
「……確かにこの水晶に三億エリル、チャージされてるみたいだな」
「読込機を介さずにチャージ金額を読み取るなんて、あいかわらずふざけた能力を持ってやがるな、おまえさんは」
「別に、努力すりゃ誰でもできるようになるんじゃないか? まぁいいじゃないか、確かに報酬は受け取ったぜ」
三億エリルという一般人には決して縁のない金額がチャージされた魔水晶を無造作に懐に放り込むと、仕事の話は終わりとばかりにサクはワインのお代わりを催促する。いつのまにやら目の前の食事はすべて平らげていた。
「おいおい。せっかくの俺の料理なんだから、もうちっと味わって食ってくれよな。……しかしサクよ、どうしてまた今回は依頼を受けたんだ?」
「なぜ、だって?」サクは女性が見れば一発で堕ちてしまいそうな流し目を向ける。「理由は単純だ。金が無くなったんだよ」
「金が無くなっただぁ? おまえさん、この前も数億エリル稼いどっただろうが。あれは使っちまったのか?」
「ああ。俺の趣味はちと金がかかるもんでな」
「ふふん、星追いたぁ随分と金のかかる趣味みてぇだな」
「まったく、因果な趣味を持ったもんだよ」
オウガと雑談を交わしながら、目の前のグラスに真紅の液体が注がれる様子を眺めながら、サクがふと口を開く。
「ところでオウガよ。最近あんたと同じような方法で依頼を出してる変人がいることを知ってるか?」
「……あぁ知ってる。期限なし、依頼主情報なし、報酬は莫大。そしてその内容は破天荒ときたもんだ。ギルドの若いもんが″ネタ依頼″だと大笑いしとったよ。こんなもんで十億エリル貰えるなら人生でもなんでも捧げるぜってな」
「えーっと、なんだったか。『身代わりになれ』だっけ?」
「いや、違うな。『わが身と共にあれ』だ」
「一緒じゃねえか」
ワインを口に運びながら、サクは失笑する。それくらい意味の分からない依頼内容だったのだ。
「……先に言っとくが、ワシは依頼してないぞ」
「んなことは分かってるよ」
「依頼方法も別にワシの専売特許ってわけじゃないからな、マネする奴がいてもおかしくはないだろう。ただ、これまではそんな酔狂な依頼をするやつはいなかったんだけどなぁ。……って、まさかおまえさん、そんなことを確認するためにわざわざここまで出向いてきたのか?」
「俺だってそんなに暇じゃないさ。たまたま近くに寄ったから納品ついでに顔を出しただけだよ」
カランカラーン。
そのとき、入り口のドアが開き、新たな客の来場を知らせる。これまでも何人かの客が出入りしていたが、今回は違っていた。その場にいる全員の会話がピタッと止まったのだ。
店に入ってきたのは、二人の女性だった。しかも、二人ともが異質なまでの存在感を示していた。
一人は、小ざっぱりとした衣服に身を包んだ長い黒髪の美女。異様なのは、彼女の背に歪なまでに巨大な剣が背負われていた事実だ。彼女の細い身と同じくらいの厚さを持つ巨大な剣を難なく背負う姿は、まるで重力という存在を完全無視しているかのよう。
そしてもう一人は、白金色の髪を持つ子供のように小さな女の子だった。いや、子供というのもおこがましい。幼女と言った方がいいだろうか。冒険者ギルドという場所にはまるで不釣り合いな存在。
しかも、どうやらこの二人は主従関係にあるようであった。主は幼女のほうで、従は黒髪の美女だ。ギルドの扉を開け恭しく従う様からそのことが分かる。
なぜ子供がこんな場所に? この美女はなぜ物理法則を完全に無視した大剣を担げる? そもそもこの二人は何者なのだ? そのような疑問の空気がギルド内を漂う中、颯爽と現れたウエイトレスが二人の女性に声をかける。
「いらっしゃいませー! えーっと、お客様はお食事ですか?」
「……食事だ」
ウエイトレスの問いかけに答えたのは、幼女のほうだった。おもむろに懐に手を入れ、取り出したのはプラチナ色のプレート。鈍色に輝くプレートを目にした瞬間、ギルド内にいた他の客たちは一斉にどよめく。
プラチナプレート。それはすなわち、この幼女が最高ランクの冒険者であることを示していた。だが同時にこのプラチナプレート、必ずしも実力を指すものでもないことを冒険者たちは知っていた。なぜならこのプラチナプレート、貴族などが金を出すことによって買える資格であったからだ。
冒険者ギルドは、ギルドへの貢献に応じて資格を与える。貢献とは、どんな依頼をこなしただけでなく、どれだけ寄付をしたかも含まれる。ゆえに、名誉を金で欲しがる貴族たちが、自己の見栄を満たすためにギルドに寄付をし、結果として最高ランクの取り扱いを得ているケースがあったのだ。
そのような事実があることから、店内にいる冒険者たちはこの女の子と美女のことを「親にねだって金で資格を買った貴族のお嬢ちゃんと、その護衛」と見なすことにした。ちなみに彼らは、美女が背中に担いだ大剣を、見掛け倒しのオモチャか何かだろうと勝手に判断し、無理やり己を納得させることにしていた。そうでもしないと、彼らの常識の範囲内で細身の美女が大剣を担げる理由を見出すことができなかったからだ。
黒髪の美女を引き連れた少女は、ゆっくりとカウンターへと近づいていく。そのまま美女になにやら言葉をかけると、少し驚いた視線を送るサクから二席ほど離れた席に軽くジャンプして飛び乗る。黒髪の美女のほうは、幼女を護衛するためか、カウンターのすぐ近くに直立すると、背の大剣を取り外して目の前に立てる。圧倒的なまでの重量を証明するかのように、ずんっという鈍い音が響いた。
どうやらこの幼女はこの店の客であるらしい。ようやく気を取り直したオウガが、緊張からか凶悪に見える笑みを浮かべカウンターの幼女に声をかける。
「……や、やぁいらっしゃい、お嬢さん。ご注文は?」
「妾にはそこの青年と同じワインを貰えるか? あと後ろの従者にはミルクを頼む」
注文内容が逆ではないのか。そう突っ込みたくなる気持ちを打ち消すほど、幼く見える顔つきに似合わぬ威厳ある口調。オウガは僅かに動揺した様子を見せたものの、さすがは歴戦の猛者。すぐに平常に戻り少女に問いかける。
「すまないがお嬢さん、うちは未成年には酒は出せないんだよ」
「妾は二十三だ。だから問題ない」
この外見で成人と言い張る少女の発言を、オウガはさすがに受け入れなかった。だが再度確認しようとする彼に、少女はプラチナプレートを再度突きつける。
プレートに記載された生年月日に視線を向けて、オウガは--サクが知る限り初めて見る表情を浮かべる。これまでどんな強敵を前にしても動揺することのなかった最強の戦士にてギルドマスターである【豪腕】オウガが、なんと絶句したのだ。
オウガはそのまま黙って少女の前にグラスを置くと、観念したかのような表情を浮かべて琥珀色の液体を注ぐ。少女は黙ってグラスを口元に傾けると、「うん、旨いな」と呟いた。彼女のすぐ後ろでは、護衛の美女が無表情のままミルクを一気飲みしている。
少女のような外見に似合わぬ華麗な振る舞い、あまりに見事なまでの存在感、そしてオウガほどの人物を絶句させた一連のやりとり。そのすべてを非常に愉快な気持ちで眺めていたサクが、彼にしては珍しく自分から少女に声をかけた。
「くくく、なかなか良い飲みっぷりだな、お嬢さん。良かったら俺からも一杯奢らせてもらえないか?」
気がつくとサクは少女にワインを奢ると宣言していた。それほどに先ほどの少女とオウガとのやりとりは、彼にとって痛快な出来事であったのだ。
「ふむ、奢りたいというのを断る道理も無かろう。ありがたく頂くとするか」
「あぁ、そうしてもらえるとありがてえな。おいオウガ、もう一杯くれないか」
苦虫を百匹くらい噛み潰したかのような表情を浮かべたオウガが、しぶしぶ二人のグラスにワインを注ぐ。サクと少女は共にグラスを傾ける。
「お嬢さん、良かったらお名前を聞いてもよいかな? 俺の名はサクだ」
「……ラスト」
「ちなみに後ろの従者さんにもご馳走したいんだが?」
「マリィは未成年だから飲めん。だから気にするな」
よもや黒髪の美女よりも目の前の幼女のほうが年上とは思わなかったオウガは、愕然とした表情を浮かべる。そんなギルドマスターの様子にさらに機嫌を良くしたサクが、ニヤリと笑いながら杯を掲げる。
「そうか。じゃあ、ラストとの栄誉ある出会いに」
「サクの栄光ある未来に」
乾杯の発声とともに重なり合う二つの杯。
背の高い男と幼女に見える女の邂逅は、傍目に見ると異様な光景だったかもしれない。
だが向かい合うサクは奇妙な感覚に包まれていた。まるで、異質の中に同類を認めたときのような、そんな感覚に。
「……ラスト、ところで君はどうしてこんな場所に?」
サクがそう尋ねたのは、ほんの気まぐれだったに過ぎない。だがラストから返ってきた返事は予想外のものだった。
「人に会いにきた」
「ほほぅ、こんな場所で? じゃあ俺はそいつが来るまでの場つなぎってところかな」
「いや、違う」
「……違う? そいつは一体どういう意味だい」
「妾はな、おまえに会いに来たのだよ。【星追い】--いや、こう呼んだ方がいいか? 【最果ての迷宮の制覇者】、【精霊王の相棒】、【七門の支配者】……【世界最強の魔術師】サクライ・ヤマトとな」