葵ちゃんの記憶
小鳥の鳴き声が聞こえる早朝。
とあるアパートの一室でわたしは目を覚ましました。
起き上がろうにも、起き上がれません。
わたしに抱きついて離れない彼女がいるからです。
彼女の名前は上山夏さん。空腹で倒れていたわたしを助けてくれた人なのです。・・・干し梅で。
認めたくは無いのですが、長い孤独から救ってくるた人でもある。
そして好奇心から不老不死になったバカなのです。
ちなみに、わたしのような、いわゆる幼女と呼ばれる人種を見ると抱き締めたくなり、よだれを垂らす変態でもある。
そんな変態な訳なのですが、美人さんなのです。その瞳の色以外は何処か姉さんに似ているように思うのです。あぁ、姉さんは絶壁ではありませんし、変態でもありませんのであしからず。
そんな彼女の幸せそうな寝顔を見ていると、遠い昔、姉さんと過ごした日々を思い出すのです。
◆◇◆
つぼみから咲き始める野花が春の訪れを感じさせる。
朝焼けの眩しい光を浴びて、今日も一日が始まろうとする。
ここに、この土地に住まう、二柱の神がいました。
「姉さん、起きてください。朝ですよ」
「あおちゃん、あと十分・・・」
「仮にも神である自覚を持ってください。ほら、早く起きた起きた」
呼び方から分かるように、わたしたちは姉妹なのです。
方や、いまだに布団からでようとしない姉さん。
方や、そんな姉を諭すように起こす幼い姿のわたし。
とある小さな社にて、幾日も続いてきた光景だ。
「姉さん、参拝客がお見栄になってます。その声を聞くのも、我々土地神のつとめなのですよ。早く起きてください」
「嫌だ・・あと三十分だけ・・」
「増えてますよ・・・仕方ないですね」
わたしは布団のなかで幸せそうに眠っている姉さんに罪悪感を覚えながらも、その掛け布団に手を掛け、勢いよく剥ぎ取る。
「早く起きてください・・・あれ?」
先程まで布団のなかで眠っていた姉さんの姿がない。
何処へ?という疑問は直ぐに解消される。
先程剥ぎ取った、掛け布団がやけに重いのです。
「なんという執念ですか・・・」
まるで、洗濯物にしがみついたカナブンの様な姉さんを見て、わたしは呆れる。
どれだけ振り回そうと全然落ちるきがしない。
諦めて、姉さんをそのまま引きずって行くことにしました。
手を合わせ供え物を奉納し、祈りや感謝を紡ぐ人々の声を聞きながら、わたしもまた、祈りを紡ぐ。
神が祈るの?と、お思いかと思う。だが、その力は小さく、その姿も維持できずに幼い姿でいるわたしにとって、祈ることしかできないのもまた事実。姉さんであればその言霊にのせて、奇跡を運ぶことも出来るが、力なきわたしはただ祈る。この地に繁栄と祝福を、と。
しばらくすると、姉さんが起き上がる。
宣言通り三十分ちょうどで起き上がるため、叱ろうにも叱れない。
欠伸をし、頭をかきながら、姉さんはわたしの隣に腰を下ろす。
「おはよう、あおちゃん」
「おはようございます、姉さん。今朝はまた一段とすごい執念でしたね」
「春になっても、まだ寒いからね。布団が恋しくなるんだよ」
「去年もそのようなことを言っていましたよね」
「さあ、記憶にないね」
何気ない会話をしながら、わたしはいつまでも変わることのない姉さんを見つめる。
自分とは、似ていない。姿も、性格も、声も。ただ、艶のいい黒髪とその髪の色よりさらに深い漆黒の瞳が二人の数少ない共通点と言える。
姉さんは急にこちらに顔を向ける。
「ねえ、あおちゃん、幸せって何だろね」
「どうしたのですか、いきなり」
「いやぁね、祈りに来る人々がさ、よく幸せになりたいって願ってるから、幸せってなんなんだろうなって」
「人それぞれ違うと思いますが」
「うん、そうだね。ある人は裕福になること、ある人は家族が健康で暮らせること、ある人は恋が叶うこと。人それぞれ千差万別。だから分からないんだよね。明確な答えが無いから」
「姉さんにとっての、幸せとは何なのですか?」
「そうだね、あおちゃんとこうして暮らせる日々、かな」
「普通ですね」
「む、普通とは失敬な、これが今の私にとって一番の幸せなんだよ」
「ふふ、冗談です。ありがとうございます」
そんな会話をしながら、今日も時間が過ぎてゆく。
神であるわたしたちにとって、時間とは、ある例外を除けば無限である。
何もせず、惰眠をむさぼる日や一日中ぼーっとしている日も少なくない。
日が沈み、月が上った夜空を見上げ、姉さんがつぶやく。
「あおちゃんは、カランコエという花をしっえいるかい?」
「いえ、知らないです」
「カランコエ。花言葉は『幸福を告げる』『あなたを守る』『たくさんの小さな思い出』だったかな」
「その花がどうしたのですか?」
「私の好きな花なんだ」
「初耳です」
「教えたことはなかったからね」
月の光に照らされて、もう一日が過ぎたのかと思う。
何百年も代わりない日々。
そんな当たり前の日常がもうすぐ壊れようとしてるとは、今はまだ分からなかった。
季節の節目を迎え、また、数年の月日がたつ。
姉さんはたまに何処かへと出かけ、夕暮れ時になると帰ってくる。
それからであろうか、わたしが話しかけても姉さんはどこか上の空であることが多くなった。
わたしは、何処へ出かけているのだろうか?と思い、何度かあとをつけたことがあるのですが、いつも見失ってしまうのです。
わたしは諦めて、姉さんに直接聞くことにしました。
「姉さん」
「・・・」
「姉さん?」
「ん?あ、あぁ、どうしたんだ?あおちゃん」
「姉さんは、最近よく何処かへと出かけているようですが、何処へ行かれているのですか?」
そう聞かれ、姉さんはばつの悪そうな顔をする。
わたしには知られたくないのだろう。尾行しているわたしを撒いて、いつも何処かへと行くのだから。
「いえ、言いたくなければ、言わなくてもかまいません。単なる好奇心からですから」
「そうだね、こればかりはあおちゃんにも知られたくないことだね」
「そうですか、まあ、わたしは姉さんがそばにいてくれればそれでいいですから」
「そうか、ありがとう」
あの頃から数年たった日の夜。
寝室から動き出す影がある。
この場所には姉さんとわたしの二人しかいないので、姉さんが起きているのだとわかる。
どうしたのだろう?
普段は何をしても十分に睡眠をとるまで決して起きることの無いのに。
「姉さん?」
「おや、あおちゃん・・・起こしちゃったかい?」
「いえ、眠れなくって」
「そうか・・・」
姉さんが身支度を整えている。
こんな夜更けにどこに行くのだろう?
「姉さん、どこかへ出掛けられるのですか?」
「ああ」
姉さんの雰囲気が、いつもと違う。
長年一緒に暮らしてきたわたしだから気づける些細な変化。
それは、唐突な危機感に襲われる。
そしてそれは現実となったのです。
「ごめんね、あおちゃん。【眠れ】」
【言霊】の力でわたしに催眠をかけているのが感覚として分かります。
力の弱いわたしは抵抗することさえも叶いません。
「姉・さ・・ん」
どうして?
「ごめんね、あおちゃん」
なんで?
「さようなら。元気でね」
その言葉を聞き、わたしのまぶたが降りた。
目が覚めたとき、わたしの頬に涙が伝う。
根拠はありません。
ただ、分かってしまいました。
姉さんはこの社を出ていったのだということを。
土地神としての力も置いて、理由も言わずに。
土地神の存在なくしてその地に繁栄は無い。
その神がいなくなることは、その地の未来を閉ざすこと。
土地神であるわたしは、この土地の土地神が今、わたし一柱しかいないことが分かりました。
その地を去る土地神は、その後、数年も生きることができない。
新たな地に土地神として、祀られないかぎり、神気が減って行き、やがて、消滅する。
「なぜ・・・出ていかれたのですか・・・姉さん」
また、涙が溢れてくる。
その涙はいつまでも止まらない。
幾年と時を重ねようやく止まるほど、その悲しみや孤独は強かった。
◆◇◆
わたしの頬に涙が伝う。
久しぶりに涙を流したきがします。
それは昔のものとは違い、少し、温もりが感じられます。
きっと、夏さんと出会って安心したからだと思うのです。
「夏さん、起きてください。今日からまた学校が始まるのですよ」
「葵ちゃん、あと十分・・・」
本当に姉さんにそっくりなのだと思うのです。
ただ・・・
「えへへ、葵ちゃ~ん。んふふ、あ~」
変態でなければ・・・ですが。