第五話
翌朝。
ルギーの西側にある門にフォイデルとアイゼンの二人は居た。
「雲量は少ない、いや無いに等しいと言うべきか。ともかく実にいい天気だ。」
アイゼンは空を眺めながらそう言った。
フォイデルもアイゼンのその言葉で空を仰ぎ見る。
まだ朝日が出てからそう時間も経っておらず、西側の空はまだ東に比べて暗いもののそれを除けばほぼ雲一つ無い快晴であるこの空は、確かに、まさしく絶好の旅日和となるだろう。
「それに月日の双子が見える」
「月日の双子…ねぇ……」
アイゼンの発言に対しフォイデルは眉をひそめた。
月日の双子。
このアクルステリア王国における、明け方にのみ見える月と太陽が同じ空に存在する現象の名前である。
名前の謂われはとあるお伽噺ーーこの国が建国した当時、実際にいた姫と英雄のお話ーーが元となっており、
『例え如何なる事があろうとも、例えどれ程道が遠くとも、あの空に揺れる悲しき双子の如く、必ずや貴方の元へ馳せ参じましょう。』
という、一日の終わりを一日の始まりが追い続けている事を、自分達の現状に当て嵌めた英雄が姫に捧げた言葉がその由来である。
なお、建国当初という古くから伝わり、子供の頃絶対に一度は聞いた事がある筈だと言われる程に親しまれているこのお話により、月と太陽が見える早朝がこの国では誓いや新しい物事を始めるのに最適とされる時間となっている。
アイゼンが月日の双子を話題に出したのもそれが理由だろう。
「そんなもの早起きすれば誰にでも見れる
」
「しかし、早起きしなければ誰でも見みれない。だろう?」
フォイデルは自分の辛言にすかさずそう返してきたアイゼンをジロリと睨み付ける。
「……何が言いたい」
「特に何も。ただ元担ぎがしたかっただけだ。実に縁起も良い、とな」
「はんッ、俺には皮肉られている気がするがな」
それは君の勝手だ。アイゼンはそう言いながらフォイデルに一枚の鉄板を手渡す。
鉄板は厚さは約五ミリ、鈍い銀色の手のひら程の大きさで、フォイデルにとっては酷く見慣れた物であった。
アイゼンに手渡された鉄板の名称は、所謂ギルドカードというものだ。ギルドに所属している冒険者や職員にとって、自己の身分及び役職を証明する為の重要なものである。
しかしそんな重要な筈の物を受け取ったフォイデルは、釈然としないと共にとても困惑した表情を浮かべていた。
「なんでこんなものを俺に?」
「それは君のギルドカードだ、持つべき者に渡すのは当たり前のことだろう?」
「しかしアイゼン、俺は既に一個ギルドから貰っているんだが」
フォイデルは鞄から鉄板を取り出すと、それをアイゼンに手渡された鉄板と並べて見せる。
「『原則として同一職員によるギルドカードの多数所持は禁止とし、発見した場合は身分詐称並びに犯罪者と見なす』確かそうギルドの規則で決まっていた筈だぞ?」
昔はギルドカードの複数所持は認められていたのだが、二人つ以上のギルドカードを巧みに使い身分を偽る者が現れたので、現在は厳しく制限されている。
ギルドカードとは各国家が国民に渡している市民権とはまた別の、一種の身分証明書だからである。故に、ギルドの掟としてギルドカードの複数所持は禁止されているのだ。
「お前は俺に犯罪者にでもなれと言うのか?」
「まさか」
アイゼンはフォイデルの言葉を鼻で笑って否定する。
「よく考えてくれ。昨日私の部屋でも言ったが、君は近隣諸国の中で百人にも満たない高いランクであり、尚且つ一級観測官でもあるんだ。そんな人物が魔獣が増えてきている現状で指名依頼といった理由もなく旅をしていたら、一般人の間ではさぞかし愉快で笑えない憶測が飛び交うことだろう。君に手渡したそのカードは、いわばそれに対する予防策のだ」
「予防策だと?」
「ああ、予防策だ。試しにカードの内容を確認してみるがいい」
アイゼンに言われるがままにフォイデルは、手渡されたギルドカードに魔力を通す。すると鉄板の表明に文字が浮かんできた。
『所属:ルギー支部
名前:フォイデル
ランク:A
職員:二級観測者』
ついでにフォイデルはいままで使ってきた、鞄から取り出したギルドカードに魔力を通す。
『所属:ルギー支部
名前:フォイデル・エルフマン
ランク:S
職員:一級観測者』
二つのギルドカードにはそれぞれの違う事が記されていたのだった。
「予防策だと言った理由は分かっただろう? 私が手渡したギルドカードは君のランクと観測者の級が落ちている筈だ。それは君という存在をあの有名なフォイデル・エルフマンでなく、只のフォイデルにするための物なんだ」
アイゼンはフォイデルがカードの内容を確認したのを見計らって話しかける。
フォイデルは「成る程」と小さく呟き、「理由は理解した。だがギルドの規則はどうするんだ?」と質問をしようとするが、「ああ、ついでに」というアイゼンの声に遮られてしまう。
「これはギルド本部長の許可、というよりギルド本部長直々の命で作られた物で、緊急事態により今回において君だけはギルドカードの複数所持を黙認された。無論だが────」
「ギルド本部長が俺を信頼してたからこそ作ったものであり、これを使って何か犯罪を企てようとすれば、ギルド本部長の信頼を裏切ったとしてそれ相応の罰を受ける事になる……か?」
アイゼンは頷いた。
「そのとおりだ」
その顔は憮然としたものだった。
フォイデルは溜息をつく。
「わかった……、今回の観測の旅にはこのギルドカードを使うようにする。それと他に何か俺に言いたい事はあるか?」
アイゼンは首を横に振る。
「特にないな」
「そうか。じゃあ月日の双子の妹が沈みかけていることだし、俺はもうそろそろ行くことにするか」
魔王観測の旅に。そう言いながらフォイデルは今まで傍らにずっと佇んでいた馬に跨がった。
「ああ、伝え忘れていたが馬は駅伝制だ。旅の道中で度々乗り換えるといいだろう」
「わかった」
フォイデルは荷物がきちんとくくりつけているかを確認した後に、鐙を履いた。
「精々死なないことを祈っているよ。フォイデル
」
「はんッ、テメェもな。それと魔獣からこの村を守れよ、アイゼン」
互いに憎まれ口を叩き合いながらも別れの挨拶を済ませ、フォイデルは旅に出る。
こうして観測者フォイデル・エルフマンの魔王観測の独り旅が始まる────筈だった。
突如フォイデルとアイゼンの後ろがガヤガヤと騒がしくなる。
その喧騒が気になった両者は後ろを振り向き、目にしたその光景に二人共目を見開いた。
何かが此方に向かってかなりの速度を出しながら近づいてきたいたからだ。
「すみません、どいてくださーーい!」
それは聞いたことのある声だった。
フォイデルは目を凝らす。どうやら此方に向かって来る何かは、馬に乗っているようだ。
「ごめんなさいーー!、お願いですどいてくださいーー!!」
やがてヒヒーンという馬の嘶きと、怒鳴り声を上げて近づいてくる人物は、日が上ってきたことで増えてきた西門前の通りを歩く歩行者達を半ば押し退ける形で、フォイデル達の近くまでやって来たのだった。
その人物とは言うに及ばずミリー・アスタイトである。
「あっ、先輩!それにお父さん!」
フォイデルとアイゼンの二人を発見し喜色満面の笑みを浮かべるミリーは、
「なにをしているんだミリー!」
そのアイゼンの剣幕に首をすくめた。
「それは私の馬だろう、何故お前がそいつにのっている。それに今の騒動はなんだ、周りの迷惑になることはするなとあれほど言っただろう!」
「ご、ごめんなさい……」
「そしてお前はまた私のことをお父さんと呼んだな?、公の場ではギルド長と呼べとなん度も言ってい──」
「聞いてくださいお父さん。私は今ギルド長の補佐官として此処に立っているのではなく、一人の女として、ミリー・アスタイトとしてここに立っているんです」
アイゼンの言葉を遮ったミリーは胸に手をあてて深呼吸をする。そして意を決した顔をすると、
「お父さん、どうか私に旅に出る許可をください!」
喉がはち切れんばかりの声量だった。
アイゼンは始めて見た娘の態度だったのか若干狼狽えた。が、直ぐに表情をもとに戻す。
「だめだっ!」
「なんでですか!?、私は今年で18歳です。15以上は成人として扱われる筈です!、例え旅の途中で何かがあっても全て自己責任として受けとめます。だから!」
「ミリー!」
アイゼンはミリーを睨み付ける。
「とにかく駄目なものは駄目だ」
取りつく島もない、押し付けるような言い方だった。
「そんな……」
アイゼンににべもなく懇願を断られたミリーは項垂れ、
「そう……ですか……」
そうポツリとそう呟く。
「 やっとわかってくれたのかミリー」
ミリーのそんな様子に安堵の息を吐きながら近づいたアイゼンの顔は、しかし直ぐに驚愕へと変わった。
「……そこまで私を認めてくれないなら、私は今貴方をこえる!」
「な、何を言っているん──
「どいてください! てやぁっ!」
狼狽えるアイゼンを尻目にミリーは馬を操りアイゼンを飛び越えた。
そして綺麗に馬に乗りながらも着地すると、
「私の道はーー私が決めるっ!!」
そう言ってフォイデルの横へと走ってくる。
娘に反抗されるのが始めてだったのか、唖然とした顔を浮かべていたアイゼンだったが、我に返ると直ぐ様自分の後ろを走っている娘を呼び止めようとする。
「待ちなさいミリー、ミリー…… ミリーーーーッ!!」
そして泣き崩れるアイゼン。
……なんだこれは。
それが突如目の前で行われた親子喧嘩に対するフォイデルの率直な思いであった。