第三話
「魔王の観測、か……」
フォイデルは来客用の椅子の背もたれにもたれ掛かる。
「なあアイゼン」
「なんだ?」
「魔王の観測ってのは、その、つまり……あれだよな。魔王の生体や能力を調査し、時と場合によればその場で討伐を行う事……だよな?」
アイゼンは狐につままれたかの様な顔をする。
「そうに決まっているではないか。なに寝惚けた事を言っている?モンスターや魔獣の観測は君の十八番だろう?」
「話の規模が大き過ぎて話の内容をよく理解できねぇんだよ。魔王の危険性は、モンスターや魔獣と比べたらそれこそ雲泥の差だぞ?」
「寧ろ私には天と地程の差はあると思うがね」
「どっちでもいいわ、そんなもん!」
「……はあ、理解してくれなければ此方が困るんたが……」
溜息と共にやれやれと言わんばかりに肩を竦めながら首を横に振るアイゼンに、ふつふつと苛立ちを感じるフォイデルであったが、怒ってもどうにかなる問題では無いのだと解っているので、握っていた拳を開く。
「……そもそもどうして俺が魔王の観測をしなくちゃならねぇんだ。他の監察官や観測官がいるだろう?」
各ギルドには必ず在中していなければならない職員がいる。モンスターの大量発生や地震といった自然災害を始めとし、クーデターや反乱分子による革命活動・多国間の戦争といった人的災害などの、復興や鎮静化をしなければならないからである。
その為、ギルド支部長、支部長補佐官が1人、総合業務取締人が1人、諜報員が1人、監察官が1人、そして観測官が二人。の計七人が必ず在中している筈であり、少なくともフォイデルの代わりになれる人材が後二人いるという事になる。
なのでフォイデルは往生際悪く、せめて他のギルド職員に自分の仕事を押し付けようと奮起する。
「さっき魔獣の出現場所はバラバラだと言ったが、実はその中の一つはルギー近郊だったのだよ。だから魔王の出現に伴って更に魔獣が出てくるかも知れないとして、今が緊急時と判断されて彼等は派遣されたのさ。ということで現状で動くことが出来るのは監察官と観測官は、お前独りというわけだ」
フォイデルは大きく目を見開く。
監察官や観測官が1人も居ない事態に焦ると共に、自分の預かり知らぬ所でこの町が危険に晒されていたことに驚愕したからだ。
「ルギーの近くで魔獣が出ただと!?なんで俺に通達しなかったんだ!」
「いや此方としては通達したかったんだが……、お前はつい一昨日までダクスで出現した魔獣の観測でルギーに居なかっただろう?だからしたくても出来なかったんだ」
フォイデルは「さっき渡した報告書を読めばいい」というアイゼンの言葉に従って、先程手渡された『魔獣ハニー・ラビットの鑑定報告書』をもう一度見てみる、すると確かに。魔獣の出現した日時はフォイデルが帰ってくる数日前となっていた。
「わかったかな?」
「ああ、理解したよ。だがルギーの近くにも出たんだよな、住人は大丈夫なのか?」
「その質問に対してだが、軽傷者が数人出たものの、死人はいない。まだ大丈夫と言える範囲だ。とでも答えておこうか」
「そうか……。」
死者はいない。フォイデルはその言葉を耳にして、いつの間にか込めていた体の力を抜く。
「というわけで君にはその彼らの代わりとして魔王の観測をしてもらいたいのだが、どうかね?」
「嫌だ」
即答だった。
流石に直ぐさま否定されるのは想定外だったのか、アイゼンは少し呆けた顔になる。
そして表情が固まっているアイゼンに、フォイデルは更に発言を重ねる。
「何が『とい訳で』だよ、嫌に決まってるだろうが」
暫くの間固まっていたアイゼンであったが、「成る程」と小さく呟くと、
「……そんなに行きたくないのなら此方にも考えがある。フォイデルはミリーの事は知っているかな?」
どうやらアイゼンは自分の命令を、にべもなく否定するフォイデルに業を煮やしたらしい。若干語尾を荒げながらそうフォイデルに詰問する。
「はあ?知っているも何も、今日アイツにここまで連れてこられたんだが……、ミリーがどうかしたのか?」
「ミリーは容姿端麗で勤勉でしっかり者だ。そんなこの町では引き手数多であるあの娘がどうして、ならず者達の集まりである冒険者ギルドに所属しているか知っているかい?」
「引き手数多って……、あーー。確か監察官……じゃなくて観測官を志望しているからだっけか?それがどうしたんだ…………って、まさかっ!」
フォイデルはアイゼンがどうして急にミリーを話題に持ち出してきたのかを理解する。それは余りにも荒唐無稽で酷く非人道的な予測だったが、黒い革張りの椅子に不適に笑いながら座っているアイゼンを見て、それは確信へと変わった。
先程までの発言でアイゼンは言外にこう言っているのだ、「君が行かないのならば、代わりにあの娘を行かせるぞ」と。
「……てめぇ、まだ年端もいかない少女を人質にとるなんて、正気の沙汰じゃねぇぞ!」
まだ二十歳にも満たず、能力も冒険者見習い程度で、恐らくモンスターもろくに倒せない少女を魔王の観測に向かわせる。
まともな人間ならまずその考えに至らない筈だ。
肩で息をしながらフォイデルは目の前に湛然と座っている男を睨み付ける。
「ははは、何を言っているのかなフォイデル。勘違いしないで欲しい。いくらなんでも自分の娘にそんな酷いことはしないさ」
ーー無論君の行動次第では、だがな。そうアイゼンは付け加えた。
フォイデルに睨まれても顔色一つ変えずに、相好を崩し続けながら。
「……俺が行けば全て丸くおさまるとでも言うのか?」
フォイデルのその言葉にアイゼンは満面の笑みを浮かべる。
「よく解っているじゃないか。『可愛い子には旅をさせろ』とか『獅子の子落とし』とは言うけれど、子供に辛い思いは余りさせたくないんだ。君が英断をしてくれる事を私は心から期待しているよ」
飄々と心にも無いことを言うアイゼンに今度こそ手が出そうになるフォイデルだったが、
「クソ野郎が」
そう吐き捨てる事で何とか怒りを抑えこんだ。
「お褒めにいただき実に光栄だね」
「はんっ誰も誉めてねぇよ。よく回る口だな、なんだ、油でも塗ってるのか?」
「ああ、ばれたか?実は最近唇の乾燥が酷くてな、ロッキ油を塗ってるんだが」
「どおりで大層燃えそうな口だと思ったよ」
「はは、生憎だがロッキ油は燃えにくい事で有名なのだよ、御期待に答えられそうにはないな」
「……本当によく回る口だな」
「奇遇だな、よくそう言われる」
アイゼンは大仰に頷く。
皮肉の一つを言おうとしても、アイゼンはのらりくらりとかわしてしまい、フォイデルは全く手応えを感じなかった。
(やはり舌戦は俺に向いていないな)
改めてそう内心で納得するフォイデルであったが、
「話を戻すがね、何も理由無しで君が選ばれた訳では無いのだよ」
という、アイゼンの言葉で現実に引き戻される。
「そもそも君は我が国に両手で数えれる程しかいないS級冒険者であり、更に一級観測者であるのだから。魔王の観測に強い実績を持っている者が選ばれるのは、至極当たり前の事であり、当然の帰結でもあると言えるのだよ」
カラカラと笑うアイゼンに、フォイデルは驚愕の顔になる。
「まて………今なんて言った?」
「簡単に言えば当たり前だって言ったんだ」
「違う、別にお前の話が理解出来なくて聞き直したんじゃない。お前の言葉に引っかったんだよ」
「何に引っかかったのかね?」
「今お前は俺が選ばれたって言ったよな?魔王の観測に選んだのはお前じゃなかったのか?」
「いいや。お前を選んだのは私じゃない。お前を指名したのは私よりも、つまりギルド支部長よりも更に上の御方だ」
アイゼンの発言に、フォイデルは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。
(やられたっ!)
フォイデルは魔王観測の命はアイゼンの独断であり、アイゼンさえやり込めれば魔王の件はどうとでもなると考えていた。だが、それは大きな勘違いであった。
冒険者ギルドにおいてアイゼンより位が高い人間はたかが知れている。ギルド全支部総合取締官と、臨時に設けられる特別な役職、そしてギルド本部長である。
冒険者ーー特にフォイデル達観測者にとってギルド本部長からの命令は、それこそ国王の勅命と同等であると言っても過言ではない程の重要度だからだ。何故だか詳しくは割愛するが、組織に所属するというのはそれ相応の義務が生じるのである。
つまりアイゼンにはミリーを魔王の観測どころか、モンスターの討伐に行かせる気など端から無かったのだ。それなのに何故あれだけ思わせ振りな発言をしていたのかというと、恐らくだがそれに対するアイゼンの反応を楽しんでいたのだろう。
ギルド本部長からの命令とでも言えば、フォイデルは否応なしに承諾しなければならないのだから。
アイゼンに弄ばれていたと分かり、無駄に怒った自分が酷く馬鹿らしいと共に恥ずかしく感じたフォイデルは、先程のミリーの下りの時に無意識の内に机を叩いていた手を引っ込める。
そして暫く頭を抱えた後に、
「それを先に言えよ……」
そう声を絞り出した。
「ははは、済まないねフォイデル。ついつい伝えるのが遅くなってしまったよ」
「この野郎……」
フォイデルの声に先程までの覇気はもうなかった。
「で、最終確認だが、魔王の観測の命は受けるのか受けないのか、一体どっちなのかな?」
「……そりゃあ行くしかねぇよ。本部ギルド長かそれに類する権限者からの指名だからな」
そうか。やっと納得してくれたのか。そう惚けたふりをするアイゼンを、フォイデルは暫くの間睨み続けたのであった。
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それから、魔王観測の旅の準備を遅くても明日の正午までには済ませておくこと。また、用意ができ次第ルギーを出発する様に。そしてもし魔王を発見した場合はまず観測ではなく監察を行うこと。そうした幾つかの取り決めをして、話しは終了する。
帰り仕度を済ませてギルド長室から出ようとするフォイデルに、アイゼンが「ああ、そう言えば」と声をかける。
「普段なら多少渋りはするものの最終的には承諾してくれる君が、どうして今回だけは頑なに飲み込もうとしなかったのか、教えてくれないか?」
「さあな、風邪でもひいてたんだろ」
「もしかしてあの事が関係しているのか?」
「…………」
その沈黙は無視か、或いは肯定か。
「フォイデル。君の事情は百も承知なのだが、それでもこれだけは言わして欲しい」
「……なんだよ」
「 『恐れるな』 」
アイゼンの底冷えしたかの様な声がフォイデルの耳を打つ。
そこには遠慮や配慮等は一切無く、ただアイゼンのフォイデルに対しての確固たる意志が存在していた。
「…………」
それに対しフォイデルは、無言であった。