残念男子は長く成る。
どれだけ寒い親父ギャグを言っても、涼しくはならない八月。そろそろ溶けてスライムになるじゃないかと思いつつ、俺は重い足取りで学校へと向かった。
目的地へ向かう途中、ふと窓の外を見るとグランドでは運動部の連中が汗水垂らし、秋の大会に向けて精一杯練習をしていた。この光景を見てアホらしさを感じるのが、俺の悪い癖だと思う。
誰も居ない廊下を一人ぼーっと歩いていると、気が付けば目的地に到着していた。人間という動物は不思議で、物事に集中すると時間が飛んだように感じるのだという。どこのキングクリムゾンなんだろうか。
ドアの前に立ち止まると、俺は大きな溜息をした。ドアには「文芸部兼、相談部」と書かれている。始まりは今年の五月だった。思い返すと鬱になりそうなので、一旦思考を停止してドアノブに手をかける。
ドアを開けると、エアコンの涼しい空気が外に漏れ出すのを感じた。一瞬、ここは天国のような幻想に囚われたが、間違っていることに気付く。
長机の一番奥いる、こちらを心底馬鹿にしたような目で見ている少女が俺に向けてこんな言葉を吐き出した。
「また来たんですね。このファッ○ン野郎」
ここは、美少女に毒舌を吐かれる地獄なのだ。
………まぁ、マゾには天国だが。
※ ※
「ここは俺の部室なんでね……」
そう呟きながら、俺は自分の定位置である席に着く。俺は五月からこの三ヶ月、ずっと彼女の毒舌と戦っているのだ。この状況を簡単に説明すると、俺は元々文芸部という何の変哲もない部活に所属していた。ところが、部屋の空きが無いという「だったら部活を承認すんじゃねぇよ」と思うくらいの理由から、「相談部」と言った意味不明な部活との合併を顧問に命じられたのである。
最初彼女に会った時は、青春ラブコメの幕開けかと思った。類稀なる優れた顔立ちをしていて、どこから見ても漫画やアニメのヒロインにしか見えなかった。しかし、彼女の次の一言で俺の青い春は終わりを告げた。
「ジロジロ見ないで下さい。 根暗菌が憑ります」
彼女は、ドSだった。もう手遅れな位に。
彼女こと、夏芽冬花は顧問である一条先生の姪っ子であり、彼女の毒舌の件を伝えたのだが、先生曰く「時間が経てば慣れる」。
……「慣れ」って怖いなと思いました。
「……十条さんが入って来た所為で、部屋の室温が上がってしまいました」
「そんなこと言ったって精々一、二度だろ? 外と比べれば天国だぞ。そのくらい我慢しろよ」
「それもそうですね。早く冬になってほしいです……」
澪川の声は、夏の暑さに呆れたかのような声だった。それに苦笑いしつつも、俺は冬の厳しさについて説いてやった。
「冬も案外辛いだろ。何枚来ても寒いし。コタツに入れば、堕落した生活になっちまうし」
「そうですか? 私は夏の暑さよりは、冬の寒さの方が好きですけど」
「寒さが好きなのか。ならお前の前世は多分、雪女だな」
凍えるような毒舌吐きやがるし。
「じゃあ、十条さんの前世は多分、コモドドラゴンですね」
「どうしてそこで、マイナーな爬虫類が出て来るんだよ……」
そこまで怖い顔してないと思います。
「似てるじゃないですか。エロ本という餌を見つけた時の足の速さとか。時速何十キロでしたっけ? 」
「人を欲求不満みたいに言うんじゃねぇよ」
「違うんですか? 」
「違う違う。全然違うね。性欲が湧かなくて困ってる位だ。年中無休賢者モードだ」
エロ本とか、そういう類の物は買ったことがない(借りた事はある)。え、えっちぃのはダメだとおもいますっ!
「そう。じゃあ、一昨日コンビニで見た週刊漫画雑誌の卑猥なシーンだけをやたらとじっくり黙読していた貴方の姿は幻覚だったんですね」
「違う! あれは偶々開いたページがエロいシーンだっただけで、決して黙読などしていない! つーか、お前の家って意外と近所なのかよ!」
俺が必死に言い訳をしている間、澪川は口元に冷たい笑みを浮かべ、実に楽しそうにしていた。ドS怖い……。
と、ここで。
不意にドアをノックする音が部室に響いた。
「どうぞ」
さっきまでの冷笑が篭った声色とは違い、透き通った綺麗な声だった。なんで、俺と話してる時はこんな声色じゃないんだろう。ツンデレなのかな?
澪川の返事が聞こえたのか、訪問者はドアを開けて部屋に入って来た。上履きの色を見たところ、どうやら一年生のようだ。生徒の訪問と言う事は、澪川への相談が目的だろう。その為の「相談部」なのだ。仕方なく、同じ部室に居るが違う部活の俺は、部屋を出る事にした。
「じゃあ、俺ちょっと散歩して来るわ」
一年生の女子の横を通り過ぎてドアを開けようとした時、背後から声を掛けられた。
「30分後に戻って来て下さい」
俺は軽く相槌を打つと、部室を後にした。
※ ※
夏休み中の校舎は静寂そのものだった。廊下に響くのは俺の足音と、窓の外から聞こえて来ると運動部の掛け声だけだった。そんな静寂に満ちていた廊下を、俺独りで黙々と歩くこの光景。多分、俺はこの先、超能力バトルとかに巻き込まれてしまうのではないかというそんな妄想、じゃなくて想像をしてしまう。
喉の渇きを覚えた俺は、中庭にある自動販売機へと向かった。幸い、自動販売機は日陰にあるので、太陽に当たらなくて済むとかそんな事を思いながら目的地である中庭を目指す。普段の中庭はリア充共で溢れかえっている為、リア充撲滅委員会会長と自負している俺にとっては絶対に近づけない場所であった。
目的地に着き、自動販売機にお金を入れた俺は迷わずブラックコーヒーを押した。昔、父親が飲んでいたコーヒーを見栄を張って飲み、母親の顔面に思いっきり吹きかけた記憶がふと蘇る。かあちゃん。ごめんよ。
昔は飲めなかったコーヒーだが、高校生になった途端に飲めるようになった。これも成長の証なんだろうか。何と地味な成長であろうか。
人間の成長とは厄介なもので、二パターン存在する。目に見える成長と、目に見えない成長。簡単に言えば、身体的な成長と心身的な成長だ。
前者に限っては見て分かる。身長が伸びただとか、筋力が増したなど。比較的、相手が気づきやすいだろう。しかし、後者は違う。心身的な成長とは、自分でしか気付けない。俺が一番、成長したと感じた時は、澪川の毒舌を適当に適切にスルーするスキルを会得した時だ。何だこの悲しい成長は。
ポケットのモンスター風に例えれば、身体的な成長は、レベルが上がると「進化」するということ。心身的な成長は、レベルが上がると防御力や攻撃力などが上がるのだ。つまり、形が変わるか中身が変わるか。形は第三者から見ても、直様分かる。しかし、俺達人間という動物は他の動物達とは違い、どの他人に対しても「仮面」を被っている。他人の本性に気づける人間なんて、一握りの存在だ。所詮、自身の本性に気づけるのは自身だけなのだ。
俺は成長した。成長と言っても最悪な成長だが。
中学生の頃の俺は、青春のど真ん中にいた。
部活のエースとして一生懸命練習をこなし、部員を支え、出来ることは全てやった「つもり」だった。そう、所詮は「つもり」なのだ。
その時の俺は気付いていなかった。あの頃の俺みたいな奴を、この世の中では。いや、この世界ではどういった存在なのかを。
「………はぁ」
コーヒー買いに来ただけで、昔のトラウマがフラッシュバックしてきた。ティーバックではない。あくまでもフラッシュバック。
ベンチに座り、ただ一点を見つめて、時を加速させようと思った矢先。視界の角で女子生徒の姿が目に見えた。
「お兄ちゃん!」
ラノベの主人公の条件。それは、可愛い妹がいることだと思います。妹マジ天使。
「おう、夏希。今から部活か? 」
「うん。……あれ? お兄ちゃんも部活じゃなかった? 」
「まぁ……色々とあってだな」
わざわざ事の顛末を話すのが怠かったので、適当に濁すことにした。夏希は重そうなギターケースを置き、俺の隣に座ってきた。
「もう高校生活には慣れましたかな? 」
親戚のおじさんみたいな事を質問する。
「さすがにねー。先輩達も優しい人ばかりだし」
まぁ、夏希は可愛いからマスコット的な存在になってるんだろうな。夏希の欠点は、可愛いらしいという所だ。ギター出来るし、ルックスも良いし、性格が天使みたいだし。自慢じゃないが、俺とは全くの正反対だ。
「いいか? 男子高校生という変態共は、全員が女に飢えた狼だ。常に女にモテることしか考えていない 」
「お兄ちゃんは? 」
「もう諦めた」
「もっと飢えようよ……」
いや、お兄ちゃんは女子の知り合いとか、ほとんど皆無なんで。元々人見知りだった性格が、高校に入学すると同時に深刻化していった結果がこれですよ。今ではカップル見る度に、封印されし右手が疼きます。
「とりあえず男子が話しかけてきたら、大声で『この童貞!!』と言うんだ」
「いや、それはちょっと嫌だよ……」
夏希はNGサインを表情に浮かべる。
「確かに、あの野郎共にとってはただのご褒美か……」
「性癖の問題じゃないよ⁉ 周囲の目の問題だよ!」
「周囲の目? 大丈夫、大丈夫。皆がお前を嫌っても、俺はお前を嫌わない!」
「私がお兄ちゃんの事を嫌いになりそうだよ……」
ははっ。またまた冗談を……。
と思ったが、顔が意外とマジだったので俺は空気を読んで違う話題を振った。
「そういや、お前ってライブとか出るのか? 見に行きたいんだけど」
「あー、一番近いのは文化祭かもね。だからこうして夏休みも部活に来てるんだし」
「ギターだよな……? 」
「ベース。あと、偶にボーカルもやるよ。まぁ秋人くんが大概だけどねー」
俺のセンサーは見逃さなかった。その秋人と言う奴の名前を。
「秋人……? 誰だ? 彼氏か? 」
「疑い過ぎ……。ただ部活が同じなだけ」
俺の短い人生経験の中で「ただの」と付いた言葉は大概、ただでは済まない。きっと、その「秋人くん」とは親交が深いのだろう。今日のところは深く突っ込まない。しかし名前は覚えたぞ。手を出したら、ただで済まないぞ。この俺様、容赦せんッ!
「……というか、部活の時間大丈夫か? 」
「えっ? あっ……! 意外とヤバイかも!」
夏希は、急いで近くにあったギターケースを肩にかけた。俺はそのまま走り去って行く妹に、さっきついでに買ったジュースを手渡した。
「じゃあ、部活頑張れよ」
「うん! お兄ちゃんも色々と頑張って!」
その言葉だけで、軽く世界を救える位の力が湧いてくるような気がした。最愛の妹は、屈託のない笑顔で俺にエールを送る。
「お兄ちゃんの部屋から、エッチな本見つけたってお母さんが言ってたよ! だから頑張ってねー! 」
最高の笑みを見せながら、最悪な事実を告げる我が妹だった。
※ ※ ※
「あれ、十条さん。遅かったですね。……顔色悪いけどどうしたんですか? 日射病? 」
澪川は、とっくに相談者との話を終えた様子で、椅子に腰をかけスマホを弄っていた。
「ほっとけ」
俺は今、人生の帰路に立たされてるんだよ。
「ひょっとして、エロ本でも母親に見つかったんですか? 」
「これは余りにも怖くて突っ込めないぞ。何で知ってんだよ……」
「妹さんから私にメールがきたんです」
……何してんだよ、マイシスター。
「何ちゃっかりとメアド交換してんだよ」
「十条さんには関係ないです。それにしても、エロ本ですか……。先生に手錠を借りた方がいいですかね」
「待て。言い訳をさせてくれ。それとあの先生、手錠持ってんのかよ」
あの人、ミステリアス過ぎるだろ……。
「言い訳? 懺悔の間違いじゃないんですか? 」
「違うんだ。ほら、あれだ。友達からエロ本を預かったんだよ。偶然にもな。俺、本当はあんなエッチな本なんて嫌いなんだ。けれども、大切な親友の頼みを一蹴するなんて酷いと思わないか? だから渋々とエロ本を受け取ったんだよ。断じて故意じゃない」
ど、どうだ⁉ 俺が苦し紛れに考えた、この「親友の為ならプライドなんて捨ててやるさ。だって、それがハードボイルドって奴だろ?」作戦! 略して「ならだろ」。ラノベ風にしてみた。
「十条さんに友達なんて……。いえ、ごめんなさい。すいませんでした」
「待てやコラ。何故謝る」
謝るのやめて。深々と頭下げるのやめて。プライドの高いお前が謝るって、俺の現状ってどんだけ深刻なんだよ。
「それより、相談の件はもういいのか? 」
「それよりだなんて……。私にとっては、さっきの件の方が大事です。軽率な言動をしてごめんなさい……」
「もういいだろ。俺のライフポイントなくなるよ? 闇のゲームに飲まれちゃうよ? 」
澪川はとてつもなく可愛い笑顔で、俺に微笑んだ。酷く見下した笑みだったが。
「それで? 相談者との話はもういいのか? 」
「はい。ですけどこの相談は、私が一番苦手な奴ですね……」
「お前が? 」
ほぼ何でも出来る夏芽が苦手なものと言ったら、虫と怖い話と恋愛か。なんだこのベタな設定。どこのヒロインだよ。
「ら、らぶれいたー? らぶりたー? 」
「ラブレターな。可愛い間違え方するな。あざといぞ」
「……その、らぶれたーの書き方の相談に来たんですけど、私そんなもの書いた事ないんで。貰ったことはありますけど」
「誰もお前の自慢は聞いちゃいねぇよ」
「朝霧さんは貰ったことあり……すみませんごめんなさい」
「謝るな! 全てを見透したような目でこちらを見るな!」
小学校のトラウマがフラッシュバッグした。
机の中に入っていた可愛いハート型のシールが貼られてある手紙。手紙の封をドキドキしながら開ける純粋な俺。そして自分達がした悪戯を遠くから見つめる同級生達。ヤバイ、吐きそう。
俺が過去のトラウマを思い出している最中も、夏芽は俺に今後の指示を提示して来た。
「これからほぼ毎日相談者が来ます。私とアイディアを出し合って、らぶれたーを書く為に。ですから、十条さんは午後から部活に来て欲しいんです」
「了解」
そう短く相槌を打つと俺は鞄を手に取った。
「あれ? もう帰るんですか? 」
「……なんだよ。俺が帰ったら寂しいのか? 」
「寂しいのは十条さんの交友関係……なんでもないです」
「夏芽。いいか? ここまでだ。ここまでがネタのラインだ。ここから先は虐めだ。教育委員会が出てくるレベルだからな? 」
「そもそも虐めとは一体何ですかね? どこからが虐めで、どこからが虐めじゃないんですかね? 私的に美少女から罵声を浴びらされる事は虐めじゃないですよ。ご褒美です。サービスです。もっと嬉しがって下さい」
「全世界の男性がマゾヒストだと思ってんじゃねぇよ。少なからず、俺はマゾじゃない」
「この前、私に踏まれて喜んでましたよね? 」
「クソっ! 半分事実だから否定したくても否定出来ない俺が嫌いだ!!」
話せば長くなるので詳しい事は割愛する。
まぁ、短く纏めてしまうと「マジギレした夏芽さんに俺が土下座して余りの怖さに笑しか出なかった」という事だ。あの時の事はなるべく思い出さない様に、脳内の黒歴史ノートの二百二十五頁に刻んでいる。というか、頁まで覚えてるし俺。簡単には忘れられない様だ。
「早く帰らないんですか? 」
「誰の所為だと思ってるんだよ……」
改めて部室から出ようとして、扉を開ける。
すると背後から、先ほどと同じ声色で夏芽が言葉を放つ。
「また明日」
デレも可愛げもない声に、手を適当に振りながら適当に答える。
「お疲れ」
この何の変哲もない会話が、この部活の日常風景として染み込んでいた。
扉を閉める。開いた窓から、運動部達の煩わしい掛け声が聞こえてくる。
きっと、昔の俺はあの馬鹿馬鹿しい奴らの中に混じって阿呆らしい汗を流していたはすだ。「仲間」とかいう赤の他人との脆い友情を保ち続けながら。俺は心底蔑んでいる模範的な青春を生きていたのだろう。
やっぱり「成長」してんじゃん、俺。
読んでくれて本当にありがとうございます。