最終話 「王の剣」
私が朗読した「勇者と竜の女王」は、ある英雄が絶望の末に狂った王と成り果てる悲劇を、後世の人間が都合良く端折った歪な物語です。
人は時として都合の悪いことや耳障りが悪いことを、真実を捻じ曲げてでも美しいカタチに整えようとします。
私は事実を真実のままに見聞きし、傍観するのが務めです。
もし、あなたが望むのならば、私は真実をお伝えしましょう。
――王の剣――
トーアが王様になってから数十年が経ち、すっかり世界は平和になりました。
王様は自ら森を整えて開拓し、街道や橋、運河や堤防を作り、人に害をなす獣を退治したので、国は豊かになりました。
「王様、いったいどちらへ行かれますか!」
元町長が、城の外に出掛けようとする王様に声をかけました。元町長は今や財務大臣です。
「うん。イチリンゴの苗木を植えにだな」
王様らしく、ゆっくりと低い声で答えましたが、トーアはいつまで経っても全く王様らしくありません。
「トーア王、これから国の予算会議ですぞ!」
早口にまくし立てる大臣に、トーアは「任せる」とだけ答えて、お城の外に出掛けて行ってしましました。
王様は会議が嫌いでした。偉い大臣や頭の良い役人たちは、自分たちの取り分を考える事に夢中でした。王様はそんなことよりも、畑を耕したり困っている人を助けることの方が好きでした。
「ふうむ、王様の勝手には困ったものだ」
元町長の大臣が溜め息をつくと、そばを通りかかった若い役人が、「王様があんな様子では、この国の未来が心配ですね」と、大臣に言いました。それを聞いて大臣は、またも大きな溜め息をつきました。
王様は町の中を歩いてイチリンゴの林に向かいました。町には物が溢れています。でも、町のあちこちには働かないで遊んでいる若者も溢れていました。
果物屋さんの前を通りかかった王様は、ふと、イチリンゴの値段が気になって、店の中をのぞいてみました。そこで、イチリンゴの値段を見て驚いてしまいました。
「すまんが、イチリンゴはこんなに高かったか?」
王様の質問に、果物屋の店主は、「ええ、王様。イチリンゴは今の相場ではこれくらいです」と、答えました。
「相場だと? イチリンゴの値段が変わるのか?」
「頭の良いお金持ちがイチリンゴを買い占めて、自分に都合の良い値段で売っているんですよ。最近ではどんな物でもそうなのです」
王様はなんだか悲しい気持ちになって、果物屋さんを後にしました。
次に王様は、子供たちが一生懸命に勉強をしている建物の前を通りかかりました。それを見て王様は嬉しくなりました。知らないことを学ぶのは王様も大好きです。
ちょうど建物の中から教師が出てきたので、王様は声を掛けました。
「子供たちがあんなに頑張って勉強をしているとは、よほど面白いことを学んでいるのだろうな」
「これはこれは王様、面白い冗談ですな。子供たちは一番の成績を取るために頑張っているのですよ」
王様はイチリンゴの値段を見たときよりも驚いて、教師に聞き返しました。
「一番の成績だと? 何のために一番の成績を取るのだ?」
「成績が一番になれば、一番のお金持ちになれます。二番の成績になれば、二番目のお金持ちになれます」
教師は「私は、この国で一番の教師です。だから教師の中では一番のお金持ちなのです」と、胸をはりました。
王様はもっと悲しくなりましたが、トーアの作った国はとても豊かで、誰も傷つかない平和な国でした。
「竜の女王よ。これで良かったのだろうか」
町を抜け、甘酸っぱい香りのただようイチリンゴの林に踏み入った王様は、空に向かって寂しそうに呟きました。
お城の外でも中でも「王様なんて要らない」という若者たちの声を、王様は知っていました。
トーアは平和になった国を見て、王様を辞めようと言い出したことがありました。しかし、トーアが退位しようとする度に、火の山が噴火したり、悪い流行病が国を襲いました。だから、トーアは国を守るために王様を辞めることは出来ませんでした。
トーアには思い当たることがありました。
黄金の剣の『願いをかなえる力』です。
黄金の剣はトーアを王様にすることで世界を平和にしました。だから、黄金の剣はトーアが王様を辞めることを許しません。
トーアは二つ目の願いに「王様を辞める」と、願おうと思いました。しかし、そうすることによって国に悪いことが起こるのではないかと思って諦めました。自分が我慢をすれば良いだけだと思ったからです。
「おーさま、遅いよー! 何してたのよー!」
イチリンゴの苗木を手に持って声を張り上げるカーレの姿を見て、王様は、ほっとしました。
妖精の女王の魔法で人間の姿を得たカーレは、数十年経った今も、変わらず美しい娘の姿のままでした。
「ねえ、王様。何かあった? 元気が無いよ」
王様は、自分を見上げる無邪気な瞳に救われた気持ちになりました。
王様にとってカーレだけは、黄金の剣の力を使わずに手に入れた宝物だからです。
「あの歌を歌ってくれないか」
王様は、イチリンゴの苗木を植えるために夢中で穴を掘っていたカーレに声をかけました。
カーレは、王様を見上げて「王様はあの歌が好きだよね」と、笑いました。
怖くなんてないよ。
きみが一緒だから。
どこにだって行ける。
きみが一緒だもの。
トーアは、カーレが一緒ならば他には何もいらないと思いました。
いつまでも若く美しい女王様は、国じゅうの女たちの憧れの的でもあります。そして、何年経ってもシミどころかシワ一つ増えない女王を、女たちは不思議がりもしました。
そこで、ある貴族の奥様が「女王は特別な美容クリームを使っているに違いない」と思いつき、女王付きのメイドにお金を渡して、その美しさの秘密を探らせました。そしてメイドは、女王が満月の夜だけは絶対に部屋から出ないことを突き止めたのです。
何としても女王の美しさの秘密を知りたい貴族の奥様は、満月の晩にこっそりと女王の部屋に忍び込みました。そして、見てしまったのです。部屋の中を飛び回る黒い妖精の姿を。
「誰か! 誰か来て! 魔物がいるわ! 汚らしい黒い魔物が!」
貴族の奥様の叫び声に、城の衛兵たちが駆けつけました。
黒妖精は部屋の中を必死で逃げ回りましたが、ついには棒で叩き落され、踏みにじられ、黒い翅をむしり取られて、窓から中庭に向かって投げ捨てられました。
翌朝、女王の姿が見えないことを心配した王様は、「女王の姿が見えないが」と、大臣に聞きました。
すると大臣は「そういえば昨晩、女王様のお部屋で騒ぎがあったとか」と、答えました。
王様は嫌な予感がして、女王の部屋に走りました。そこで、女王の世話をしているメイドに、昨晩に部屋で何があったのかを問いただしました。
女王つきのメイドは「昨晩のことですが、女王様のお部屋に汚らしい魔物が入りこんでいたので、衛兵が踏んで叩いて窓から投げ捨てました」と、笑顔で答えました。
王様は「何てことだ」と呻いて、お城じゅうを探して回りました。
「カーレ! カーレ! どこだ、どこにいるんだ!」
王様は不安になって、大声で女王を呼びました。
すると「あたしは、ここだよ」と、中庭の方から女王の声が聞こえました。
大急ぎで王様が走っていくと、植え込みの中に倒れ伏した、痛ましい姿の女王を見つけました。
「窓際で月を見ていたらね、落っこちゃったの。馬鹿だよね、わたし」
王様は、腕の中で冷たくなっていく女王を抱いて、声にならない呻きを上げました。
「怖くなんてないよ……きみが一緒だから……」
女王は、王様が大好きだと言った歌を、かすれた声で歌い出しました。
「怖くなんて……怖い……怖いよ、トーア」
それっきり、カーレは何も言わなくなりました。
王様は、愛する女王の亡骸を抱いて妖精の泉に向かいました。
トーアを出迎えた妖精たちは、変わり果てたカーレの姿を見て泣きながら飛び回りました。
「トーア王。あなたはカーレを大切にすると約束をしたではないですか。『命にかえても』と、言ったではないですか」
妖精の女王は、可哀そうなカーレを胸に抱いたトーアの顔をにらみつけました。
トーアは草むらの上にカーレを優しく横たえて、「妖精の女王よ。黄金の剣を返してくれ」と、低い低い声で言いました。
「トーア王、それはいけません。あなたは気が付いているはずです」
トーアは答えず、ざぶざぶと泉に入っていきました。
「黄金の剣は、確かに願いをかなえます。でも、それは願った者の本意とは違った……」
王は黄金の剣を携え、泉から上がってきました。そして、黄金の剣を天に掲げ、天地に響くほどの大声で叫びました。
「カーレを俺の元に返せ! カーレを俺に返せえ! カーレを返せえぇ!」
泉が揺れ、木々が震えました。妖精の女王と妖精たちは、狂った王と女王の亡骸を見守りました。
やがて、草むらからカーレが起き上がりました。
美しい黒髪、つやつやした褐色の肌、そして光の無い黒い穴のような瞳。それはカーレであって、もはやカーレでは無い、別の何かでした。
王様は獣のような声を上げて、不浄の女王を抱きしめました。
そのあまりの恐ろしさ、おぞましさに妖精たちは飛んで逃げて行きました。
「トーア王、あなたはカーレの魂を汚しました。私はあなたを許しません」
妖精の女王は泉に姿を消しました。
「ねえ、トーア。狂っているのは、この世界?」
カーレだった何かが、トーアの耳元で囁きました。
「なあ、カーレ。狂っているのは、この俺か?」
トーアは、かつてカーレだった何かを胸に抱きながら、黄金の剣を天に掲げ、叫びました。
「俺は、この世界を
……ここから先は、本の汚損が酷くて読めません。この本ですら、禁書処分を免れた一冊なのです。後世に残っては都合の悪い話なのでしょう。
いかがでしたか? あなたの想像の通りでしたか? 真実なんて大概はこのような物です。
トーアとカーレは「勇者と竜の女王」の中で、幸せに暮らしていた方が良かった、などと思うのも、真実を知ったあなたの自由です。
私は真実を傍観するだけの存在
私は真実を知るか、知らずに本を閉じるかの分岐点
私の名はエフェメラ
ただ一枚の栞
「王の剣」
それが この残酷で 悲しい物語の題名
それは 忘れられ 消えていくだけの物語
――完――
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
感想、批評、楽しみにお待ちしております。




