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決別2

 クロフ達が案内されたのは、城の隅にある古井戸だった。

 辺りには茨がびっしりとはびこり、ほとんど人の手が入っていないのを物語っている。

 城壁の高い石垣はツタや枯れ草が絡まり、古井戸のつるべは風に揺れてきいきいと乾いた音を立てている。

「ここです」

 先頭に立つ中年の男は、城壁の側にある古井戸を指で示した。

「この古井戸の底に、城の外に通じる抜け道があるという話です」

「話、とは?」

 不思議に思ったクロフが聞き返す。

「誰も確かめたことがないからだ。北の国には、城や王を見捨てて逃げる腰抜けはいないってことだ」

 コナルは肩をすくめる。

 ディリーアがコナルに疑いの目差しを向ける。

「それは、本当のことか?」

 中年の男が代わりに答える。

「本当は、この古井戸が作られた当初、事故があってそのまま使われなくなったのです」

「まあ、最近は古井戸が、地下に通じているとか、夜に奇妙な声が聞こえるとか、気味の悪い話もあるけどな」

 一行は枯れ草をかき分けて、崩れかけた古井戸に近づく。

「真っ暗だな」

 ディリーアが古井戸の中を恐ろしげもなくのぞき込む。

「底が見えないほど深い、ということかな」

 クロフもつられて井戸の底をのぞく。

 ディリーアが顔を上げると、古井戸から少し離れたところに一人で立つコナルと目があった。

「もしかして、怖いのか?」

 ディリーアは疑念に満ちた目でコナルを見つめる。

「そ、そんなことは無い」

 言いながらも、コナルは一向に近づいてこない。

「やはり、怖いんだな」

 ディリーアは呆れたようにため息をついた。

「断じて、そんなことはない!」

 クロフはディリーアとコナルのやり取りを聞きながら、井戸の底に目をこらした。

 暗闇に目が慣れてくると、井戸の底に揺らめく青い水面が見える。

「この井戸には水があるようだけれど、外に通じる道は」

 クロフは顔を上げ、側にいる中年の男に話しかけた。

 言いかけて、クロフは古井戸を囲う石垣に置いた手が滑るのを感じた。

 古井戸の石垣が崩れ、風雨によってもろくなった石が次々と井戸の中に落ちていく。

 クロフは体勢を崩し、もう一方の手が何かをつかむように宙に伸ばす。

 中年の男の伸ばした太い腕は、クロフの手に届かず、虚空をつかむ。

 クロフは叫ぶ暇もなく、井戸の暗がりへとその身を躍らせた。



「おい、大丈夫か!」

 クロフが落ちた井戸の中をのぞき込み、コナルが叫ぶ。

 叫び声は井戸の暗闇に飲み込まれ、物音一つ返ってこない。

 ディリーアは不安に駆られる気持ちを抑えながら、井戸の底を見下ろしている。

「井戸に縄を下ろして、彼の様子を一刻も早く確かめてこないと」

 中年の男は手近の枯れ木に器用に縄を結びつけ、縄の丈夫さを確かめるように何度か引っ張る。

「おれが井戸の中のあいつの様子を見てきてやる」

 真っ先に名乗りを上げたのは、さっきまで井戸には近づきもしなかったコナルだった。

「待て。わたしが行く。わたしに行かせてくれ」

 ディリーアは今にも倒れそうな青白い顔色でつぶやく。

 縄を持っていた中年の男は、二人の顔を見比べる。

「では、若にお願いしましょう」

 中年の男はコナルの腰に器用に縄を結びつける。

「待て、わたしも」

 言いかけて、コナルに肩を押さえられる。

「ここで待っていろよ。いくら実の兄が心配だからって、お前まで怪我したらどうにもならないだろう?」

 コナルは縄の片方を腕に巻き付け、井戸の内側の石に足を引っかけた。

 もう片方の縄の端を中年の男が持ち、青年の動きにあわせて緩めていく。

 コナルの姿は徐々に小さくなり、暗闇に消えていった。

 ディリーアは祈るような気持ちで、縄の消えた先を見つめていた。



 水の流れるかすかな音で、クロフは目を覚ました。

 ――ぼくは、井戸から落ちたのか?

 それにしては体が軽く、痛みを感じなかった。

 クロフは辺りを見回し、ゆっくりと立ち上がった。

 辺りには背の高い木々が生い茂り、鋭く長い刺が幾重にも絡まり合っている。

 空を見上げると、夜空には青い月がぽっかりと浮かんでいる。

 ――いつの間に、夜になったんだろう。

 クロフは鈍く痛む頭を押さえ、考える。

 いや、そもそも井戸の中に落ちて、どうして空に月が見えるのだろう。

 それにこの林は。

「ここは死の国へ通じる道。青い月の光導くリンボクの林。お前も一度は訪れたであろう。もう忘れたか?」

 クロフから少し離れた茂みに、青い頭巾を目深にかぶった男が立っている。

 男はゆっくりと顔を上げる。

 青い月の光に照らされて、男の白い顔と金の瞳がこちらに向けられる。

「ここが死の国に通じる道ならば、あなたはさしずめ月の神の使者といったところですか?」

 クロフは神殿で伝え聞いた伝承を思い出す。

 月の神の使者は青い衣をまとい、死に瀕した人間の前に現れ、その魂を死の国に連れて行く。

「ぼくの魂を、死の国に連れて行こうというのですか?」

 青い衣の男は何も答えず、白い口元を奇妙な形にゆがめる。

 まるでクロフの態度をあざ笑っているかのように。

「何がおかしいのです?」

 クロフは男の態度に腹が立った。

 男はなおも笑い続ける。

「何がおかしいんですか!」

 そこでようやく男が笑うのをやめた。

 頭巾をかき上げ、リンボクの間から金の瞳でクロフの方をじっと見つめる。

「わたしのことを忘れたか、火の神よ」

 男の髪は朝早く漂う霧のように白く、瞳は夕暮れ時に現れた星のように金色に輝いている。

「まあ、あんなことがあれば無理もないか。思い出したくないことは、素直に忘れてしまった方が楽だからな。それとも、夜明けの三神に、その記憶と力を引き渡したか?」

 男は口元を手で押さえ、くっくっと声を立てて笑う。

 クロフは男のその態度に無性に腹が立った。

「ぼくが何を忘れていると言うんです?」

 クロフはリンボクの刺が服に引っかかるのもかまわず、男の方へ走っていく。

 しかしいくら走っても、男との距離は一向に縮まらない。

「お前も、あの娘も、哀れなものだな。せっかく人に生まれ変わるときに、神であった頃の記憶を消してやったのに。わざわざ苦しむために過去を思い出そうとするとは、愚かなことだな」

 男は長いため息をついた。

 クロフは男に近づこうと、リンボクの木々を必死でかき分けた。

「何が哀れだと言うんだ」

 木々の枝をかき分けているうちに、クロフの手足は傷つき、細い擦り傷からは大粒の赤い玉が浮かんでいる。

「お前こそ、なぜ自分の素性を探ろうとする? 知らなければ苦しむことも無いというのに」

 手にはひっかき傷が無数に走り、服のあちこちからは血がにじんでいる。

「本当に、哀れだな」

 男は青い裾をつと横に振る。

 クロフはようやく男のいる茂みにまでたどり着いた。

「お前は、何を知っていると言うんだ!」

 クロフは男の青い衣を乱暴につかむ。

 男は表情一つ変えず、蔑むような金の瞳でクロフを見つめている。

「話せ! 全部話せ! ぼくが一体何を忘れていると言うんだ!」

 男はクロフの燃えるような赤金色の瞳から目をそらし、ふっと長いため息をついた。

「いいだろう」

 男がそうつぶやくと、リンボクの枝がざわざわと夜風に鳴った。

 冷たい風がクロフの首元を通り過ぎ、背筋を怖気が走る。

 リンボクの木々はぎいぎいときしみを立て、空ではごうごうと風が渦巻いている。

 青い月が輝きを増し、男の金の瞳に狂気が宿る。

「いいだろう。そんなに知りたいのなら、教えてやろう」

 男は白い口元を奇妙に歪め、妖しい笑みを浮かべた。

 クロフは男の胸ぐらをつかんだまま、動けなくなった。

 男の金の瞳から目がそらせなくなり、顔に出来た擦り傷の上を冷や汗が伝い鈍く痛む。

 男の顔の肉はただれ落ち、その両目にはぽっかりと暗い空洞があらわになる。

 クロフはそれでも男の暗い両目から目をそらすことが出来なかった。

 体が芯から凍り付いてしまったかのように、指一本動かすことが出来ず、心臓が早鐘のように打ち付ける。

「思い出すがいい。忌まわしい過去の記憶を」

 周囲の景色が歪み、男の低い声がクロフの耳の奥に木霊する。

「それがお前の望みであるのなら」

 クロフは青い光の奔流に飲まれ、やがて何も見えなくなった。


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